イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

湧き起こる感情を役立てる!(その2) (心の健康度 ① 8/10)

2014-04-20 | 第三章「無意識の世界」

 健康なうちは、感情は湧いては消え、新たに別の感情が産まれ、消え・・・こんな感じで一日のうちめまぐるしく変わるように思う。

 しかし、あることが起こり、それが頭にこびりついてくるようで、同じことをずっと考えたり、さらに寝られなくなったり・・・こんなことが日常の中で起こると、その様相は随分違ってくる。

 こうした時、ストレス曲線の理論を知っていると随分役立つ。それは、暗い感情を簡単に5つに分類して、今自分はどういう段階にいるかということを知り対処することだ。

 五段階とは、①不安感 ②怒り ③身体症状 ④ウツ ⑤錯乱

 日々、こうした五つの感情はスポット的にはいろいろ出てくるものだが、先のこびりつくような感情で自分のストレス状態はどこかということを考えてみる。

 ちょっとした失敗をする。それを、うまく処理できず放置していくと、不安感から怒り、そして身体症状といったように変わっていくのだ。そして、問題が深刻であれば、身体症状ー>ウツー>錯乱といったように異常な世界を突っ走っていく。自分の事例を思い出し理論の意味を考えていくとよく判る。

 そして、一つの知恵であるが、身体症状(人によって違うと思うが、寝られなくなったり、免疫力が低下して風邪をひきやすくなったり、胃腸がおかしくなったり、・・)になるまえに意識して、問題を処理するのが良いようだ。

 不安のレベルか怒りのレベルを察知して、それなりに人生の知恵を活かして対処するのだ。

 暗い感情をうまく変換して、将来への夢への推進力にできたりすれば最高である。

心の健康度 ① 8/10

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湧き起こる感情を役立てる!(その1) (心の健康度 ① 7/10)

2014-04-19 | 第三章「無意識の世界」

 昨日の勉強会では、参加者が一年以上学んだ方ばかりで、「生き甲斐の心理学」を学んだ成果というか効果の話で嬉しかった。自分自身の経験を振り返っても、「生き甲斐の心理学」をもっと早く知っていたら、ずいぶん仕事も含め生活の質は随分向上していただろうなと思い、「生き甲斐の心理学」普及の仕事の「生き甲斐」を感じさせていただいた。

 それにしても、自慢ではないが、植村先生のテキストを使いながら、勉強会で共に学んでいく方法は実にすばらしいと感じた。今まで、この年になるまで、様々な研修を受けたり、学校で学び、講師やプレゼンテーターとしての経験も仕事柄結構あったが、今は少人数ながらとても充実している。

 それは、植村先生の素晴らしい欧米をはじめ実務からの経験を踏まえた、現代心理学のエッセンスがつまった教材によると思う。NPOの宣伝になってしまうが、次のような教材ラインアップがあるのだ。

 1.テキスト: 「生き甲斐の心理学」 何度も読み返す基本テキストは、実用的な勘どころを押さえていなければならず、かつ必要な理論が偏らず網羅されていなければならない。この条件がある基本テキストは、意外にあるようで無い。大学の先生の本が良いかというと、そうでもなく、自分の得意部分に熱が入りすぎバランスが悪くなったり、実務の経験が少なく役立つかというとそうでない基本テキストが多いのだ。

 私は、このテキストを人生始まって以来これほど繰り返し読んだ本はない。そして、読むたびに何か発見をしたりする。そして他の心理学関係の本を深く理解する上でも、何かガイドブックというか地図のようで、とても役にたっている。

 2.動画: 「元気に生きる」 DVDも発売されているが、クリックを押すと24編の動画で学ぶことができる。経験豊かな先生に直に楽しく教えていただいているようで、とても参考になる。短期間で概要を理解し生活に役立てたいと考える人には最適。もちろん、1編が10分くらいなので、繰り返して観て理解を深めることもできる。

 3.ブログ: 「生き甲斐の心理学」 日々楽しめるが、テキストと同じ章立てになっており、理解を深めるうえで質・量とも豊富でありがたい。基本テキストはコンパクトだが結構難しいので、併読すると良いと思う。

 4.NPOCULLの地域勉強会: U先生に指導を受けた認定講師から直接学べる。心理学系の勉強は、本ではなかなか判らないので、定評ある勉強会に参加することは実に有意義だ。

 さて、昨日の勉強会でも触れた、心の健康度とも深い、湧き起こる感情に対する知識。世の中ではほとんど語られることが少なく、実に残念なのだ。これから2回にわたり思索してみたい。

 通常、湧き起こる感情は、あまり気持ちの良くないものが多い。罪悪感、劣等感、激しい憎悪、嫉妬、疑惑感、・・・もちろん、平安感、幸福感、ときめき・・・など良い感情もあるが、たいていはネガティブが圧倒的に多いようだ。それどころか、暗い感情は人間の本質だとする説があるが、その説を信じると私もそうだが、かえって心が安定する。

 湧き起こる感情は自分の深いところから湧き起こる生命体本質の声であり、すべて宝物のように重要な意味があると私は考えている。貴重なシグナルとしての感情の意味を考えることで、随分助けらることが多い。感情そのものは宝もの、さらにこれを「生き甲斐の心理学」で理論武装しつつ、意味を読み取る技術を訓練したら良いのではないか。優秀なセンサーシステムを備えることで、建物に侵入者がいることを京妙に検知したり、エレベータの異常を検知し危険を知らせたり、そういったセンサー技術は日常に随分取り入れられてきたが、心の世界でも同じところがあるように思う。

 次に、どのように感情の意味を読み取るのかを拙い経験から考えていきたい。

 一つは、その感情が簡単に理想と現実のギャップ(感情の本質)から生まれていることが判るようなケースだ。一例をあげよう。大切な打ち合わせが10:00とする。その打ち合わせに、5分~10分遅刻をしそうだと思うような事態だ。こうした場合も、後悔、自分に対する怒り、相手の混乱を想っての恐怖・・・様々な感情が湧き起こるだろう。しかし、そのなかで湧き起こる感情から自分の理想や現実のありようを考えると随分違う。

 自分の感情を引き起こす、自分のどこかにある理想と現実の認識は客観的なようで実は違ったりする。理想も現実も、自分の主観に縛られているのだ。そして、解釈の仕方が変われば感情は激変する。混乱から平安に、錯乱から統合に変化したりする。

 相手に電話して10;00到着を変えてもらう(理想を変える)。今回の相手は話が分かるから、10:15でもそれほど問題がないと考え直す(理想を変える)。タクシーを利用すれば間に合うことを発見する(歩いている現状を変える)。こんな風に、対応すればギャップとしての暗い感情は激変する。

 異常事態で錯乱するときも人生にはあるものだ。突然の病気や事故など。その中で様々な感情が飛び交う。恐怖感、事態を招いた失望感や劣等感、将来に対する疑惑感などだ。この中にあっても、自分の蟻地獄のような疑惑感に気付けば随分違う。

 フォーカシングで良く行われる最悪の状態を想定してみることで、底が見通せ楽になる。

 湧き起こる感情が身体からか、生育史からか、魂(宗教的な領域)からかと分類することも大いに意味がある。イライラが単純にお腹が空いているのだということに気付いたりする。

 生育史からくる不安の中には訳が分からないものも多い。何年もかけて生き甲斐の心理学というコンパスで自分が何故車恐怖症になったかを突き止めたことがあった。それでも自分の無意識からくる不安感をすべて突き止めることはできないだろう。しかし、東洋の易経から何か自分の傾向をつかむとができたりすることもある。

 湧き起こる感情、それが激しい憎悪であったり、疑惑や嫉妬であっても、それは生命体から発生する貴重なシグナル。シグナルを大事にするため、素晴らしい応答力と対応方法を訓練することで、生きる質が変わってくるようだ。

心の健康度 ① 7/10

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自分の心を開く! (心の健康度 ① 6/10)

2014-04-18 | 第三章「無意識の世界」

 同じ日本人とはいえ、生育史の影響はものすごいと思う。深層心理学では、自分以外の他人は驚きの対象と言われているが、生き甲斐の心理学を学んでいくとますます、そうだなと思うようになる。

 昔。昭和30年台くらいのころは、私の住んでいた町は~らしい人で溢れていたようだ。学者らしい人。畳屋さんらしい人。家庭の主婦らしい人。八百屋さんらしい人。一流会社のサラリーマンらしい人。私の祖父は、社会的地位は高かったがとても庶民的であった。そんなこともあり、様々な人が祖父の家を訪れ、私も隣で遊びながら、それとなく会話を聴いてしまうのだが、今思い出すと何か不思議であった。

 大学の先生が来たと思うと、町会のオジサンがきたり、時には、酒屋さんの御爺さんと一杯飲みながら談話をしたりする。

 本当に様々な人と会話を楽しんでいたようだ。何で、様々な人と会話を楽しめるのか、幼いながら不思議に感じていた。

 これは、祖父の話であるが、世の中には、ちょっと会って、一言二言話す中で、不思議に心を開ける人がいるものである。近所のH医師は、今風に言うとホームドクターであったが、近所のY医師のように気さくな感じでは無く寡黙であったが、何故かお会いすると心が開け、子供なりに信頼したものだ。

 生き甲斐の心理学では、こうした様々な心を開く現象についての理論を教えてくれる。特にカール・ロジャースの心理療法の必要にして充分な6つの条件とか、最近は良く耳にする傾聴のための傾聴訓練表などである。これらの理論は祖父やH医師のような他者との関係で、力を発揮するのが主であるが、もう一つ隠れた部分がある。それは、自問自答として自分で自分のこころを開くことだ。自分で自分のこころを開く?ちょっと不思議な感じであるが、これが実に大事で、他者の心を開くにも自分の心が開けないと難しいというポイントもある。

 自分に対する自分は、時に倫理道徳・社会的規範の代弁者のようになり、自分を厳しく裁いたり、叱咤激励をする。しかし、そうではなく、優しい祖父・H医師・・・かのように、理屈はさておいて、自分の湧きだす様々な想いや感情を優しくまずは受け容れてくれる自分も、実は必要なのだ。そして、自分の心が開かれれば、何か心が自由になり、自分自身を俯瞰できるようになり、活路が開かれたりする。

 この心を開くポイントは、心の健康度にも関係が深い。

心の健康度 ① 6/10

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涙(るい)活に想う!(心の健康度 ① 5/10)

2014-04-17 | 第三章「無意識の世界」

 今朝、NHKのテレビを観ていたら、「涙(るい)活」のお話が詳しく報じられていた。涙を流すような感動的な映画などを、仲間で楽しくみることが心の健康にも良いという話で、最近、ちょっとしたブームになっているとのことだ。

 報道によれば、緊張しているときは交感神経が高まり、リラックスしているときは副交感神経が活躍するという傾向があり、涙を流すのは眠るときと同じように副交感神経が活躍するという。そして、涙活が何か自律神経系に良いようなのだ。

 ところで、今朝は気功・太極拳を楽しんだ。A先生の素晴らしい指導で、いつもそうだが、疲れているときも何か爽やかになる。不思議なことに、A先生の楽しい話をお聴きしながら練習を初めてしばらくすると欠伸がでてきたりする。それこそ副交感神経も高まるようである、勿論、武道の影響も色濃いので交感神経も高まる場面もあるのだ。一説によると太極拳も自律神経に良いということで、涙活に何か似ているかもしれない。

 さて、生き甲斐の心理学を学び、心の健康を考えるときに、眼を開かれたような6つのポイントがある。

 心の健康に影響のある6つの分野をしっかり記憶していると、日常の中で得をするようだ。

 外部的要因: <遺伝> <老化> <環境>

 内部的要因: <自律神経> <免疫> <内分泌>

 この中で、自助努力でコントロールできる分野は<環境>が一番だと思うが、考えてみれば、<自律神経>などの分野に好影響を与える活動もあるのだなと思う。心の健康と繋がりのなさそうなことが、実は繋がっているということもある。

 こころの健康を考えるにあたりロジャースの6条件を練習するのもよいが、太極拳に眼を向けたり涙活に眼を向けたりすることも、あって良いようだ。

心の健康度 ① 5/10

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無意識を考えさせる易経!(心の健康度 ① 4/10)

2014-04-16 | 第三章「無意識の世界」

 意識の世界だけでなく、無意識の世界があると知ることは大事だと思う。しかし、それを変に探究するのは信頼できる支援者がいない限り止めた方が良い。

 「生き甲斐の心理学」を学んでいくと、湧き起こる感情の大半は、暗い感情=理想と現実のギャップで理解できるものだ。しかし、無意識の世界からくるものは、実に判りにくい。逆に無意識は、不可解な感情・情動が現れたりすることで気づくような謎の部分でもある。

 ちょうど私にとって、今は、新年度を迎えての変化の時でもあり、年齢からくる前期高齢者(?)への転機(笑)の時であり、それから「生き甲斐の心理学」で自己分析を深める時でもあった。ついでながら、昭和26年生まれは、日本で愛好されている暦によれば八方塞(笑)。

 そんな中、この数週間、自他肯定的な情動ならいざしらず、何か変な情動や感情に悩まされていた。勿論、これはアイデンティティの問題とも関係が深いが、その背後には心の奥底にある、得体のしれない感情がふつふつと湧いてくるのであった。

 こんな時に、昨日U先生の勉強会があり、久しぶりにユングが愛好した易経をやってみるチャンスがあった。易経は数千年にわたる東洋の知恵であり、その知恵からは欧米の心理学者も大事にされ無意識の研究にも貢献しているようだ。

 さて、私の易経の結果は天水訟であった。その意味は争いであり、潜在意識の中に自他肯定的でない攻撃的な要素がうごめいていることを暗示していた。まあ、偶然の一致にしては、余りによくあたっていて驚いたのだ。そして、今日は、その意味を自問自答している。

 10歳の時に、海水浴で溺れかけ父に助けられたことが、自分にとってどのような影響を及ぼしているかは今でも謎であった。6歳の時の友達の交通事故死の影響で車嫌いになったりすることははっきりしてきたのに、10歳のときの経験は何を残したのかよく判らなかった。エリクソンの理論であると、この時期は技能、勤勉性、劣等感の時期である。

 私は、有島武郎の「一房の葡萄」を愛読しているが、この短編はこのエリクソンの理論からみても実に考えさせられる。ちょうど主人公が10歳前後くらいなのだ。この話には隠された部分があり、主人公の嫉妬や劣等感が大きなテーマなのだ。そして、よく判らない情動の中で主人公は友達の絵具を盗んでしまう。小説の後半は先生による愛の教育がテーマで素敵な話で、全体的にいろいろ考えさせられる。

 私の、10歳の時に溺れかけた事件の無意識への影響は、いろいろ思索するといろいろ思い当たる。父と子の肯定的な絆がある反面、何か変な依存関係や劣等感の強化もあったかなと、ふと思った。強烈な恐怖体験は光と影を残すのだろう。易経から自分のことではあるが知らない自分を知り、自分の防衛機制の傾向を知る上でも助けになったようだ。

 無意識の世界は、実に不思議である。それは科学的に解明できる部分もあるかもしれないが、魂といった時空を越える部分ともつながっているという説もある。そして、無意識の意識化と自己開示は一般的には良いことのようだが、時には自分のアイデンティティを崩す何かに触れるため悪影響を及ぼすこともあるのだろう。

 つくづく思うが、無意識の領域を探るには、信頼のできる知識豊富な人の元でやるべきだ。そして、易経をはじめ伝統的な人類の智恵はバカにしてはならない。

心の健康度 ① 4/10

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