イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ネコちゃん、私は756歳?!(幸福曲線を辿る ② 4/10)

2014-08-21 | 第七章「光と復活体」

 お盆前の大掃除で発掘したマグを、最近愛用しています。もう20年以上前のマグですが、可愛いネコちゃんがコンピュータ上であっかんベーをしているのを観ると元気がでます。

 小学生のころ、登校時に「人は右、車は左、ネコ自由」と子供たちに注意しながら散歩をする謎のオジサンがいましたが、そのネコ(犬だったかも)を思い出したりします。

 さて、人生黙っていても、何か気になることがやってくるものです。そんな時にこのネコちゃんのように、自由に囚われなく対処すできれば最高。しかし、なかなかそうはいきません。これは、14の防衛機制の問題と微妙に絡むからでもあります。生き甲斐の心理学では、この防衛機制を結構深く学び生活に活かしていきます。

 防衛機制は、生き抜くこころの大切な仕組みですが、それがヘンに強すぎると問題を起します。特に、問題解決に関しては、心の扉を閉ざしてしまうようなところがあり、問題解決が見えなくなることも。

 最近の例ですが、この暑さも手伝い加齢が気になっています。仕事を含め、年相応のことをしなければと不安感があるのです。それに先日の健康診断で、昨年までと違っている点がショックでした(私は心配性で気が小さいので話半分以下と思ってください)。そんな今朝、防衛機制の知性化のマグマがが発動しました・・・朝のテレビ番組で、バリ島の暦の話に刺激を受けたのです。バリでは一年に二回新年があるという話です。

 ちょうど、歴史家の古田武彦さんの本を読んでいたら、この歳の話がでていてタイミングがあってしまったこともあります。今私は63歳ですが、これは太陽暦の周期的な一年をベースとした歳の勘定のしかたですが、バリ島のように半年を1年とする数え方もあるのです。一年で二歳。この勘定だと私は126歳となります。

 さらに、月の満ち欠けのサイクルを歳の表記に結びつければ、一年で12歳とかの表記に(例えば私が756歳とか)。伝承等で昔の人の年齢が旧約聖書や日本書紀に残されていますが、アダムの930歳や景行天皇の147歳も何のサイクルをベースにしているかが分れば、かなり合理的なのでしょう。日本語に残されている歳。これは年ではなく、一つの任意のサイクルを表す歳を意味しているようです。歳という言葉の起源は意外に古いかもしれません。

 しかし、こんな話題を振りまいて知性化でがんじがらめなると、自分の加齢についての問題は先送りになり、本来気づくべき何かを見落としたり、とっつきにくい奴だなと嫌われたりすることもあるでしょう。

 まあ、コーヒのひと時、気楽なネコちゃんを思い出し、へんにむきにならないよう、自然体を心がけたいと思います。それが、幸福曲線を辿るうえで重要だとネコちゃんも言っているようです。

幸福曲線を辿って ② 4/10

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黒潮のように血が騒ぐ!(幸福曲線を辿る ② 3/10)

2014-08-20 | 第七章「光と復活体」

 考えてみれば、今年は8月に海に一度も行かないで終わりそうである。生まれてから今まで、そんな年は殆どなかった。そのためか、昨日八王子の中央図書館に何年かぶりに行ったが、海とか黒潮に飢えているのか、そういうものに眼を奪われがちなのだ。まあ、今は縄文や弥生などに(すこし時代が近くなって快方の方向か?)心を奪われているので、3万年前くらいの歴史をもつ伊豆諸島の神津島の黒曜石関係の本「黒氏をを渡った黒曜石」(池谷信之著)を読み、「失われた日本」(古田武彦著)も読み始め、5,6千年前の縄文文化の凄さを妄想している。

 しかし、神津島の黒曜石に見せられて、財産をなげうって高額の蛍光X線分析装置を私費で購入した研究者の凄さには驚いてしまった。世の中の多くの人は、何となく常識の中に生きているが、悔いのない人生を歩む人は、ある意味世の常識を超えた世界を歩む。私も、11年前に会社を辞めてから、「生き甲斐の心理学」を中心にした毎日を歩んでいるが、これも、プチ・悔いのない人生かもしれない。そして、少しヘンな私の周りには、やはり悔いのない生き方を目指す方々が集まってこられるようにも思う。ありがたいことでもある。

 さて、黒潮に関わる今朝の妄想を一つ。私は、7歳の時に南西アラスカの島、シトカに家族で約1年暮らした経験がある。アラスカの先住民族はハイダ族とかクリンギット族を言われる人々で、黄色人種だ。ある夜、いくらを売りにきた女の子がいた。父は、広島の瀬戸内海生まれだが、こんな日本人が好きなものを食すのは黒潮に乗ってきた日本人もいたのではと言っていたのを、思い出す。

 DNAの研究などで、12,000年前の旧石器時代の海進期にベーリング海から陸路を渡ってアメリカ大陸にシベリアから到来したという説が叫ばれているが、この黒潮による海からの到来説も地味ではあるがたしかではないかと思う。

 黒曜石は、神津島から伊豆半島までの60Kmの海を渡り、その恩恵は近隣だけでなく、広く関東にも及んだようだ。当時の船舶技術はカヤックのようなものに過ぎないと思われるが、海上運輸は陸路よりも効率的だったかもしれない。なお、黒潮は日本、アラスカから、アメリカ大陸の西岸をなで、南米まで至るという。縄文土器がエクアドルに持ち込まれバルディビア遺跡に繋がるという研究者もいる。まあ、縄文土器は当時としては最先端技術で、これが中国なども含輸出されたことは間違いないと思うが。

 もう一つ、神津島の黒曜石は、黒潮の分流に乗って、東伊豆の今井浜の近くに到着して陸揚げされたようだ。その陸揚げ・加工基地の遺跡が「見高段間(みたかだんま)遺跡」だそうである。蛇足ながら、この遺跡の近くの今井浜は私が小学生のころ、海水浴で溺れかけた思い出の地で、今は亡き父によって奇跡的に助けられた。この7月には和田峠産の黒曜石の一角をなす星糞峠を訪問したこともあり、この地にも行かねばならない気がしている。

 因みに、妄想?を現実化するのは、幸福曲線を辿る定石かもしれない。3Vの法則が生き甲斐の心理学ではよく引き合いに出される。自分の夢を想いうかべること。それを具体的に言語化すること。そして、実行すること。次の三つのVである。

Visualize, Verbalize, Vitalize 

幸福曲線を辿って ② 3/10

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朝に機嫌を整えて、平安感を呼ぶ!(幸福曲線を辿る ② 2/10)

2014-08-19 | 第七章「光と復活体」

 平安感を得ることはなかなか難しい。平安感は環境に従属するかのように錯覚しがちだが、昔だったら死語で成田離婚という言葉があった。ハネムーンという素晴らしい環境でさえ最悪になる例だ。幸福感を得られる最高の環境?のはずが、ひどい話に。

 自分の胸に手をあててみても、幸福なはずの環境で必ず平安感が得られたかというとそうでないことも多かった。感情は正直だ。それに気付くのは実に大事である。

 昨日の自分の平安感は?と考えても、平安感は結構少ないことに気付く。一生のうちで、平安感はどのくらいあるのだろうか。しかし、この平安感は、5つの幸福曲線の感情の最初であり、これが問題だと、友好的感情、健康感、幸福感、統御感は実に得にくい。

 さて、今朝は、ここひとつ体調がすぐれず、しかも今日は健康診断に行かねばならず、そんなことを契機に暗い気持ちになりがちだった。こうした場合、負のスパイラルに実に落ち込みやすい。ちょっと気になっていた将来のこととか、ネガティブな想念が誇りのように舞い上がり、朝の一日の始まりの大事な時に、それを追ってしまいがちになる。

 先日、Aさんに聴いたが、座禅の時に何か想念が浮かんだら「追ってはならない」だそうだ。実に合理的だ。今、それをやらなくていい時にパンドラの箱を敢て開ける必要はない。素晴らしい知恵だと思う。心理学的に考えると、防衛機制の抑制を上手に使うのがポイントなのだろう。

 さらに、平安感を取り戻すには、感謝が効果的だ。ロジャースのベン図が二つ重なったカルテの考え方では感謝は第一領域として大事にされる。こころの健康の鍵は感謝なのだ。感謝を意識するのだ。今朝の青空は実に素敵であった。そんな時に明るく感謝をする。青空だけでなく、ふと開けたSNSで友達のコメントに思いがけないメッセージを発見し、これにも感謝だ。

 それと、信仰をもっていたら、祈りを捧げることかもしれない。

幸福曲線を辿って ② 2/10

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夜の動物園で幸福曲線を辿る必要条件を考える!(幸福曲線を辿る ② 1/10)

2014-08-18 | 第七章「光と復活体」

 街の中で、時々出会いちょっとした顔なじみの人がいる。いつも、苦虫を潰したような顔をして、挨拶でもしたら怒られそうな人もいる。あるいは、こちらが、どなたかなと思ったりする前に、いちはやく明るい笑顔であいさつをしてくれる。そんな人もいる。

 「生き甲斐の心理学」のU先生のテキストを読んでいると、どうも臨床心理学的には幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)の道を歩むには必要条件があるらしい。

 それは、「何のために生きるか?」、「生き甲斐は何か?」、「自分を本当に大事にするとは?」などのアイデンティティに関わることを時に応じて考え、アイデンティティが健全であること。こころの防衛機制(抑圧、感情転移、逃避、昇華・・・)が健全でさわやかに生きていること。そして、日常の中で的確な判断力というか現実吟味力を発揮している。この3つのあるようだ。

 そして、自分の過去の様々なケースを考えると、幸福曲線の道を歩んでいるときと、そうでない時と厳然とした違いがあったことに気付く。若いころ一次営業の仕事をしたことがあったが、売れているころは、幸福曲線の道を辿っていたようであったし、そうでない時は先の3点のうちの何かが問題だったようだ。最近は、昔と違って社会が変わり、幸福の条件(例えば仕事で成功する)を得ることが遥かに難しくなり、幸福曲線と同期する幸せな事態はかなり厳しくなっているように思うが。もちろん、幸福感を得たりや幸福曲線を辿ることは考え方しだいで出来るところもあり、難しいものの、さほど変わらないかなと思う。

 さて、昨日は久しぶりに多摩動物公園に行った。通常は午後5時閉園なのであるが、夏季期間の8月の土日、お盆休みのころは夜8時まで開園している。それで今回は午後5時すぎに入園した。始めはライオンを観たが、日没時期の人間でも不安感が煽られる時だったのか、あるいはムシの居所がわるかったのか雄が、やたらと怖い声で吠えていた。望遠で雄を観ると顔が怪我しているようでもあり、何となく吠えるのもわかるような気がした。ストレス曲線の道を辿っているのかもしれない。

  http://youtu.be/NfxfmnkOPkI

 逆に、写真のチンパンジー舎のジン君は、ハンモックの上でのんびり眠っていた。ジンは動物園では有名な独自の生育史の主人公でもある、ジンはもう5歳くらいなのだが、生まれてすぐに母猿が育児放棄をしてしまい。人間によって、哺育ビンで育てられた経験をもつ。そして、そのまま人間の手でで育てるのは問題なようで、やがて、チンパンジーの群れに戻すべく養母役のサザエの力で、徐々に群れの中に溶け込んでいるようだ。それも、さまざまなドラマがあったようで、ネットで調べると胸が熱くなる。

 

 チンパンジーは人間ではないが、群れに入りアイデンティティの統合?に精進し、夜の動物園というチンパンジーにとっては異常な環境の中でも、吠えたり暴れたりせず、優しい養母サザエの近くでハンモックに横たわっているのだ。防衛機制も現実吟味力も健全なようだ。きっと、サザエの愛にも満たされて、幸福曲線の道を歩み始めているのではないか?そんなことを妄想してしまう。

 そのほか、コウモリを観察したり、キリンを観たり、カンガルーを観たり、コアラを観たり(コアラは相変わらず食事時以外は殆ど寝ているようだが)して楽しんだ。動物も、不思議な人間を観察したのだろう。

    

幸福曲線を辿って ② 1/10

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本質を見抜く目が幸福曲線をもたらす!(幸福曲線を辿る ① 10/10)

2014-08-17 | 第七章「光と復活体」

 傾聴やカウンセリングというと、親しく優しく話を批判せず聴いてくれる・・・そんなイメージをする方が多いが、本当の支援という意味では、ちょっと片手落ちに想う。もともと言語療法の一種なのだから、言葉による論理的な支援も実に大切なのである。

 もともと感情というのは、かなり自分のつぶやきというか、言語化された認識とリンクしている。例えば、昨日は私は勉強会を10:00からと連絡したものの、自分は9:30までに会場に到着することを決めていた(講師でもあったので)。それを決めると、9:30という言葉が一人歩きし、それに遅れそうだと慌てたり感情が動くのである。しかし、9:30が合理的判断で決めたかというと、意外に怪しい。過去の経験とかはあるが、良く考えてのことでもなかった。しかし、9:30という言葉は感情を支配するようになる。

 自分の願望や理想をセットすることは予想外に大きい。しかし、この願望や理想は深く考えず、他人から借用したにびや、なんとなく決めたことも多いのだ。さらに、ことを起す勉強会の朝になると、「あと30分あるが、電車は直ぐには来ないだろう」とか、現実の認識の確かさが問題になる。これまた、勘であったり、経験で振られたりで、過酷な現状認識に陥ったり。充分間に合うのに、9:30という言葉が無駄ともいえるストレス曲線をまき散らす。

 自分の理想と現実の把握に問題がないか、そして、問題解決への対応が適切か・・・これは実に日常的な問題であり、その対応を感情把握から言語化や理想と現実を揺り動かす訓練から乗り越えることは大切なのだろう。

 さて、昨日の勉強会は、こうした自分の感情を揺るがすことを、言葉や論理性というところに絞って楽しく語り合った。

 自分の理想や現実を言語化したりすることもしたが、昨日は私が所属する等価変換創造学会のとーかカードで遊んでみた。冒頭の写真はアザミの蜜を吸う蝶の写真であるが、蝶が花にとまって休んでいるのか、ミツを吸っているのか、・・・様々な仮定から本質を見抜く力は大事なようだ。ストレス曲線を幸福曲線に導く力も、こんな言語化の力かもしれない。

幸福曲線を辿って ① 10/10

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