イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本人の心の原形を妄想してみる?(幸福曲線を辿る ① 9/10)

2014-08-16 | 第七章「光と復活体」

 縄文土器や縄文文化と日本神話(古事記や日本書紀に書かれている)の不思議な関係を知ってから、もう一度古事記を楽しんでいる。松木のNo.107遺跡から出た石棒と天の御柱の関係とか、縄文中期のランプの写真を観つつ、火の意味とイザナキの悲劇を考えたり、妄想は尽きない(笑)。

 

 しかし、日本神話は実に日本人の心の特徴を言い表してもいるなと思う。U先生も、西欧から渡来したカウンセリングや心理療法関係で日本人の心の特徴を理解しないケースを嘆いていらしたが、日本人の心の特徴は6つにまとめられると言われる。①ケガレとミソギ②恥の文化③甘えの構造④侘びと寂⑤幽玄の美⑥もののあはれ。そして、今、U先生はブログで、この6つについて書かれているが実に勉強になる。因みに今は甘えの構造。イザナミにのぞいてはいけないといわれても見てしまうイザナキは甘えの構造の元祖かもしれない。

 さて、今日はについて少し深く考えてみたい。日本神話(今回は古事記をベース)を読んでいて思うのは、火が特別の存在だということだ。イザナミは火の神を出産することで亡くなる。火の危険性を暗示している内容とも言えよう。しかし、火の神を出産する前には食物の女神(オオゲツヒメ)を産んでいるのも暗示的だ。食物の神は日本だけでなく世界中の神話にもよく出てくるので、これまた興味のあることである。火がいつから人類が使いだしたかは明らかでないようだ。しかし、土器と一緒につかうことで、恐らく、その有用性は格段に向上したのだろう。

 食物を土器で煮炊きし、食物を変容させて食する。この中には生では食べられないものが食べられるようになったり、まずいものが旨くなったり・・・私も最近料理をするので判るが不思議なものである。そして、私たちの祖先もお袋の味を楽しみ(たぶん)、愛の原形を竪穴式住居で育んだのだろう。

 

 さて、妄想ばかりをしてもいけない。今日は勉強会。準備をしなければ!

幸福曲線を辿って ① 9/10

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探すと、見つかる!(幸福曲線を辿る ① 8/10)

2014-08-15 | 第七章「光と復活体」

 ことしのお盆の大掃除も昨日ほぼ終了した。縄文遺跡の発掘ではないが、大掃除をしていると昔の懐かしい思い出の品や、いつの間にかどこかに消えていたものが出てきたりしたり。

 さて、今日は幸福曲線を辿る上でも大切な、希望というか意思というか・・・考えている。

 よくU先生の言われる、「人間は思ったとおりの人間になる。」。原典は古いヒンズー教からだそうだ。また、新約聖書のマタイ伝の7章も、実に深く、求めれば受け、探せば見つかる、門を叩けば開かれる・・・そんな深い話がでてくる。最近年のせいか(若いころから変わらないとの説もあるが)、メガネを探したり、鍵を探したりすることが多くなったようだ。それゆえ、探す、見つかる。のたとえが自分にピンとくる(笑)。

 小学生のころとか、20歳前後のころとか、当時探していたものは意外にも現実化しているっことが多い。勿論、30年越しとかで現実化してきたこともある。信仰の問題もそうだし、人間関係などもそうかもしれない、あるいは心理学の学びも。勿論、現実化しないこともあるが(建築家になるとか、金持ちになるとか)、今から考えると、自分の心が意識の世界だけでなく、無意識の世界もあり、本気で探したのかなと思ったり。あるいは、神の世界、愛の世界という与える側の事情を想うと。現実化しなくてかえってよかったと思うことも多い(やせ我慢か?)。そして、私は、「探すと、見つかる!」は深い意味で正しいように思うようになった。

 では、今私は何を探しているのだろうか?いろいろあるのだが、最近訪問した諏訪や霧ヶ峰に絡めて縄文文化探索もある。縄文の祖先が元気になった死と復活の思想は何だったのか。今の世の中でも、厳しい現実があり、元気に生き抜くことは結構大変だ。しかし、縄文時代も今以上だったろう。その中で元気に生き抜く思想は何だったのか?多分、そのエッセンスは今の時代にもどこか流れていて、今日の「花子とアン」の中での、歩君の再生があるようにも。

 

幸福曲線を辿る 8/10

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現代人と縄文人の思考を想う!(幸福曲線を辿る ① 7/10)

2014-08-14 | 第七章「光と復活体」

 先日立ち寄った星糞峠のおみやげとして買った黒曜石のブローチ(半完成品)を仕上げた。黒曜石を削って完成させたのだが、教科書では加工しやすいと言われていたが、実際はガラスの一種なので破片が飛び散り、危険な面もあることを知った。

 日本では3万年くらいから2000-3000年前まで黒曜石は貴重品として扱われ、今でいえば最先端の技術で発掘したり加工したりしたようだ。

 現代はご存じのとおり、現代の黒曜石?コンピュータ、遺伝子技術、脳科学などが発達し、それにより随分生活も環境も変わったが、その現代の思考・思想は、縄文時代と比べてどうなのだろうか?

 ちょっと不気味な縄文の土器や土偶などを最近、観る機会が多かったせいか、思考・思想を何となく俯瞰したくなり、「ニューエイジについてのキリスト教的考察」というカトリック中央協議会の冊子を再読している。人類の思考・思想は多様であるが、いつの時代も傾向は似ているところがある。2000年前と今と、普通の感覚では全く違っているようで、意外に思想・思考の風景は似ている。

 縄文時代という例えば4500年前の時代。その世界も、人々の思想は単一でなく多様だったのだろう。そして、意外に傾向も今と似ている可能性もあるかもしれない。黒曜石を巡って、どのような思想があり、どのような感情を産み、どのような社会的問題があったのだろうか?そんなことを妄想してしまう。

 昨日の「花子とアン」では花子さんの長男、歩が亡くなってしまう。当時の医療技術の限界だったのだろうが、その中で花子さんは蓮子さんとの再会する。そのシーンには思わず涙が出たが、そうした出会いやドラマも4500年前にあったかもしれない。そういえば新約聖書にでてくるサマリアの女が井戸端(この井戸も一種の技術なのだろうか)でイエスに出会うシーン(2000年前)を思い出し、思わず考え込んでしまう。

 思考・思想は心の支援の中でも、支援する側にとっては大事な要素。どのように鍛えるかは大事だと思う。

幸福曲線を辿る 7/10

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こどもの怖いもの見たさは大事・・・感情の光と影!(幸福曲線を辿る ① 6/10)

2014-08-13 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、オフであったが孫娘の突然の来訪。そこで、埋蔵文化財センターの縄文の村に連れて行った。最近は、かくれんぼやお化けなどに興味を持ち、縄文の世界も、孫娘の成長に繋がるかなとふと考えたからだ。

 昔は、闇というものが日常的にあった。3.11の時には少し闇が増えたが、今は闇は意識しない限り都内では得難い状態になったようだ。それと共に、お化けや怖い話をする場所が少なくなる。

 さて、縄文中期の竪穴式住居は、いまの住居と比べても、より深い哲学・宗教に基づいているようだ。技術的には高床式とかいろいろ別の選択も可能なはずなのに、何故このような住居を選んだのか。

 例えば、円形の竪穴住居で井戸尻文化とも言われている住居には、出入り口のところに埋甕があり、胞衣が中に入っているとか、死産の子供の亡きがらとかが入っているとも言われている。今ではヘンだが、当時は神聖な意味があったに違いない。また、実際に入ってみると、文字通り、座れば大地そのも(自然のクーラで涼しい)、殆ど光が入らないので真っ暗。何か、母体の中にいるような感覚だ。

    

中央の炉も不思議な意味があるようだ。火は一年に一度祭儀の中で点火されたとも言われる。祭儀の時には不思議なランプ(表面がポジティブ、裏面がネガティブな感情を湧き起こさせるような)に火がともされたりしたとも。勿論、火は食物の変容の鍵であり、女神イザナミは神々を産んだ後に、火の神を産んで死んでしまい、黄泉の国に行ってしまう。そして、有名なイザナギの黄泉の国の探索と、この世と黄泉の国の境目の話などにも通じる。

土器の図柄を研究する方もいろいろいらっしゃるが、今私が読んでいる「縄文のメデゥーサ -土器図像と神話文脈ー」の田中基氏によると、日本神話のイザナミーイザナギの神話に通じる土器図像や祭儀跡、そしてこの縄文住居もどこかで繋がってくるようだ。8世紀に成立した日本神話の源流は、やはり縄文時代や旧石器時代まで辿ることができるようだ。古事記や日本書紀は、当時の政権によりかなりバイアスがあると思うが、祖先の歴史は残されていたようだ。

孫娘と、一緒にこの暗い住居の中に入り、怖いお化けの話?をしてあげた。余り怖くなかったという感想だったが(私の準備不足もあり)、良い思い出となった。しかし、怖さを求めるのは、感情の光と影で、その反対の幸福感とか愛を求めるための何かのようだ。お化け屋敷に一緒にはいると、家族の絆が一層強固になったり。ストレス曲線は幸福曲線を得るために必要なのである。これは、縄文時代の私たちの祖先も同じ知恵をどこかで使っていたかもしれない。

幸福曲線を辿る 6/10

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縄文遺跡で神のイメージを想う!(幸福曲線を辿る ① 5/10)

2014-08-12 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、夕方涼しくなってから、近くの愛宕神社周辺まで登って散策した。東京都の遺跡、No.446遺跡周辺である。縄文時代の早期から中期くらいの住居跡が発掘されたところである。

 愛宕神社の裏の丘の上に立つと、いくら暑くても立秋を過ぎたためか、秋の雰囲気が漂う。そして、完全には観えないまでも富士山や、大栗川流域、東中野の中央大学、500m北東の有名なNo.72遺跡・・・が一望できる。感動である。

 http://youtu.be/1IIgqjcmPXo 

 そして、その場所でしばらく、移りゆく景色の変化を楽しみつつ日没寸前までアース・フィーリングを楽しんだ。

                    

そんな中、ふと縄文時代の人が神のイメージをどのようにもっていたかについて想った。ちょうど、夕日が低く輝き、遠くの多摩ニュータウンの高層ビル群を、赤く照らしたこともあった。土偶等の中には、涙を流している神?の像もある。縄文人の悲しみを一緒に嘆く優しい神もいることを知ったのは大きな感動であった。

ただ、国宝の縄文のビーナスも先日じっくり拝見したが、当時の神のイメージは今の感覚とちょっと違うかなと思った。何か異界のイメージというか、そんなイメージは縄文人だけでなく、私も時に経験したことがある。怖い神、怒る神、そんなネガティブなイメージもあるようだ。

さて、私たちは神仏の物語や神学等を幼いころからいろいろ聞いたり読んだりする。しかし、神仏の感情をともなったイメージについてはどうだろうか、意外に大事なはずなのだが神学関係と比べると少ないかもしれない。だが、とても大事な気がする。幸福を考えたり幸福感を考える上で、神仏のイメージは実に重要だと思う。

昔、「ジャンヌダルク」という映画を観たことがあるが、幼いころのジャンヌダルクと神父さんとの関わりは、ジャンヌダルクが神のイメージをどう考えていたかを投影するようで興味深かったのだ。

自分が、どのような神仏のイメージ(怒ったり、優しかったり、親しみやすかったり、無関心だったり・・・)をもっているか、それを意識してみると、幸福の問題が近づいてくるように思う。

幸福曲線を辿る 5/10

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