イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

二人の心が通い、癒される時!(異文化と愛 ① 8/10)

2014-10-15 | 第九章「愛」

 今朝の「マッサン」はかまどの光景が多く、そして意地悪だった優子さんがエリーさんにごはんの炊き方を教える場面が印象的だった。憎しみの対象と和解することは、自分の経験からしても難しいことだと思うが、不思議にできてしまう。

 今回、かまどが背景にあって、縄文スイッチが入ってしまった。かまどは恐らく火の発見くらいから現世人類には無くてはならない大切なものだったと思う。勿論、縄文時代にもあり、それゆえ土器があった。

 もちろん、かまどは世界各国でもあり、灰かぶり姫の民話などは西欧ではシンデレラ物語として有名だが、同様の内容は世界中(日本の落窪物語あたりにも)に様々なバリエーションでひろまっている。

  

 そんなかまど、キッチンで母から子と技術は伝授され、そこには何か愛の原型のドラマが沢山あったかもしれない。それは日本でもスコットランドでも。二人の間には、かまどを通して何か心の接触がはじまり、そして、互いの愛の原型に何となく触れ合ったようである。

 「生き甲斐の心理学」の理論をつかって、大切な人の心の支援をする場合も、互いに憎み合うまではいかないまでも、心の接触が無い状態から始まることが多い。その場合、支援しようと思う側は、相手を感情面では嫌っていても、どこか相手の人間の尊厳とか愛を信じなければうまくいかないだろう。そして、自分とは違う生育史をもつ相手の愛の原型に関心をもち接触するのが大事だと思う。

 さて、写真は南多摩の由木、大栗川の先に丹沢山系最高峰の蛭ケ岳が観える風景であるが、蛭ケ岳は縄文時代に愛された山のようである。富士山も右手に観えるが、縄文後期などは噴火したりし生活に被害を及ぼしたかもしれない。形も良く、神聖な感じの蛭が岳はきっと愛された山だったのだろう。後に仏教が伝来してからは薬師如来等が祀られているのもうなづける。

 私にとって、川のある風景はどこか愛の原型に繋がるようだ。幼いころから住んだり訪れたりするところには川があった。そこでの懐かしい人との語らいなど・・・そうした愛の原型もあるが、「あなたは橋の下からひろってきた」という日本人なら多くの人が経験している伝説?にもどこか繋がる。今朝エリアーデの「豊穣と再生」を読んでいたら、子供の魂が誕生以前に大地等にあり、それが母を通じて生まれるという古い信仰は世界的に存在するらしい。ヨーロッパでも現代でも、沼沢、泉、川、木から子供の魂がやってくるという俗信が残っているようだ。

 今日は、かまどから川とか、縄文スイッチが入ってしまい夢見がちになってしまった。午後には仕事なので眼をさまさなければ!

異文化と愛 9/10

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台風が来ても元気に生き残る!(異文化と愛 ① 8/10)

2014-10-14 | 第九章「愛」

 朝ドラのマッサン。エリーさんも来日時は仰天することが多かったようだが、最近はやや落ち着いてきたようだ。今朝もご飯はうまく炊けないものの、おかゆやおこげはばっちり!でまっさんもおいしくいただいているようだ。

 さて、異文化によるストレスのドラマを観ていると、普段空気のようになっている生育史が、実はいつのまにかストレスの一翼である自分の中の理想領域と深く関係して苦しめていることに気付く。母国では、こうなのに日本ではああなっている。それが、ストレス。理想と現実のギャップである。

 マッサンの一つのテーマは異文化の克服だと私なりに思っているが、こうした異文化は実は人生の中でいろいろあるものだ。結婚も生育史の違う二人が一緒に生活するのだから、異文化の一種かもしれない。成長して就学、就職。これも異文化との遭遇かもしれない。人生には広い意味での異文化遭遇が結構あるものだ。そして、その中で空気のようであった、自分の生育史がストレスの原因といってもよい。生まれてから20歳くらいまでにつくられた生育史が大きな影響を与えているのだ。

 「生き甲斐の心理学」では、こうしたストレスにどう対応し、ストレス曲線を幸福曲線に如何に転換させていくかが大きなテーマになっている。

 台風19号は巨大台風として心配だった。しかし、大阪などでは大きな被害が出なくてよかった。その中で最近の防災でのタイムラインの話がニュース等で紹介されていた。上陸時間を推定して、それに合わせて事前にいろいろと手を打っていくという手法だそうで米国での対応を見習ったらしい。大きな防災は一人ではできない。企画・計画を立てて地道に、ステップを踏んだ行動計画を立てて実施しなければならない。小さな一歩が集まることで大きなことができるようになる。

 異文化遭遇もある意味同じだ。私がコンピュータ業界から福祉業界に10年前に業種転換したときも、学校に行ったり資格をとったりし、さらにアルバイトをしたりしソフトランディングをしていった。自分の中に夢(自己実現)があったのもよかった。そして、その中では解釈の問題は特に重要だ。今までの生育史の常識を変えて行くようなところがあるからだ。ちょっと間違えば、自己否定・他者否定の負のスパイラルに陥ってしまうこともあるかもしれない。

 今日のまっさんでは「おかゆ」そして、バージョンアップ?の「おこげ」が象徴的だった。うまく炊けないごはんで嘆くのではなく、例えば「おこげ」という現実をおにぎりにして、2人でお弁当にして食べる。その中には感謝や満足の世界が現れているようだ。ストレス曲線がみごとに幸福曲線に転換されている。

 写真のコスモス。台風でよれよれになったコスモスをもうダメだなと思うか、こんなに頑張っているんだと見るかは解釈の問題。そして、辛いときに感謝の念を思い出し意識することは健全性を獲得するうえでもとても大事だと思う。「生き甲斐の心理学」でも第一領域(感謝・満足の領域)が自分を再統合していくときの柱となることを教えてくれている。

異文化と愛 8/10

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縄文語で繋がる古層の世界!(異文化と愛 ① 7/10)

2014-10-13 | 第九章「愛」

 今週の土曜日に新宿で勉強会を開催するので、準備をしているが、今回はいつも使っている日本語についても楽しみたいと思っている。詳しくは勉強会でなのだが、一つトピックを。

 日々のストレス(理想と現実のギャップ)の多くは生育史と関係があると言われている。そして、その生育史に大きな影響を与えているのが地元の文化(日本の文化)だと思う。そして、日本の文化(フィルター)の理解は、心理系の勉強をする上でとても大事なのである。

 それ故、日本人のアイデンティティとは何かなどいろいろ楽しむことになるが、私は縄文時代に興味を持ってしまっている。より基層基層と考えているうちに縄文にたどりついたようだ。そして、その文化にも大きな影響を与えているのが言語である。

 言語は時間と共に移り変わっていくものであるが、最近の研究では1万年くらい遡れるそうだ。日本も様々な方言があるが、本当に遡れるのかなと思っていたら、最近「縄文語の発見」(小泉保著)を見つけ、しっかりした研究がなされていることに驚いた。

 例えば、「木」はキであるが、縄文基形ではキ、「舟」は縄文基形ではプネだそうだ。この地でも縄文の遺跡があるが、そこでの祖先たちが木とか舟とかを話していたと妄想すると、実に楽しい。

 そして、今興味があるのは、そういう言葉を使う人の感情や五感・体感はいかなるものかということがある。たとえば、木という言葉を発して、視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚何が喚起されるかなど。私は、木という言葉で視覚、聴覚、触覚などが何か体感されるようなのだが、こんなことを研究している方もいるので、ワクワクする。私はどのくらい縄文の人たちと繋がることができるのだろうか?

 人と人のコミュニケーションは難しいものであるが、例えば、日本人同士でなくてもマッサンのように外国人とかと深いコミュニケーションがとれるのは何故だろうかと考えてしまう。私がカトリックを信仰するということも同じように不思議だ、何故、異国の宗教が心に響いたのだろうかと。とかく、この世は差別したり他者否定に走ったりするが、それは表層のことが多い。実は深層でしっかり繋がっている。そんなこともあるように思えてならない。

異文化と愛 6/10

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人は何故悩むのだろうか?(異文化と愛 ① 6/10)

2014-10-12 | 第九章「愛」

 マッサンもだんだん盛り上がってきているが、今日は日曜日なので休み。巨大台風も近づいてきて何となく不安であるが、秋も深まってきているのを感じる。

 さて、「人は何故悩むのか?」こんな問いかけを今日は朝から考えている。「生き甲斐の心理学」に出会わなければまず考えもしない問いかけだ。そして、これは病理論を鋭く問う問いかけでもある。

 悩みは大小沢山、毎日出会う。時には、どう考えても、どう行動しても悩みが頑として動かないような時もある。それは苦悩と中年のころに知って妙に納得したことがあった。

 いろいろな悩みは何故起こるか。これは、自分の今の悩みを思い起こすとよく判る。何とも言えない不安、怒り・・・それは何故起こるか?それは、そこに自分の理想が存在しているからだとテキストは教える。例えば、台風で不安。台風が来ないで、日常を平穏にくらしていることが理想になるかもしれない。そして、台風到来ゆえに変更しなければならないこと。台風到来ゆえに迫る自分や大切な人の身の危険など、迫りくる現実があり、そのギャップが不安となる。

 理想と現実のギャップが悩み。そんな風に考えると判りやすい。

 しかし、ほんとかなと思ったり、それを知って役にたつの?と思う人も多いと思う。そこで、さらに自分の胸を探ってみよう。仕事でも課題でも理想が高いとギャップが大きくなり悩みが深くなる。一所懸命になったときのことを思い出してみよう。

 そして、自分の悩みの原因の理想と現実のとらえ方をいろいろ吟味することで、悩みは無くなったり、いろいろする。これも自分の経験の中で見つけてみよう。そういいながら、私も過去の出来事をいろいろ思い出しつつ思索している。これが、とても大切だと思う。

 マッサンやエリーさんの悩み。大きな夢を持つことは大きな悩みを持つことでもある。そんななか、この理想と現実のギャップが悩みという知恵をうまく使い、日々を小刻みに、理想に押しつぶされないように、したたかに生き抜く。そういう知恵もこの知恵は教えてくれる。

異文化と愛 6/10

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国境を越えて仲良くできる!?(異文化と愛 ① 5/10)

2014-10-11 | 第九章「愛」

 マッサンのエリーさん、今日はなかなかの迫真の演技。涙もろい私は、思わず涙を流してしまった。しかし、優子さんの意地悪は凄い、もう仲直りはできないのでしょうか?

 さて、心理療法家やカウンセラー、あるいは「生き甲斐の心理学」を暮らしの中で活かそうとおもう人にとって、人間観は極めて大事。他者否定・自己肯定的なカウンセラーなどはクライアントが逃げてしまいがちで、支援どころではないと言われます。

 他者肯定・自己肯定を支援者は目指すのですが、私も、こうしたアイデンティティをつくるために、U先生から聖パウロの「人の身体は神の神殿」などを学んだりしました。しかし、意識だけでなく無意識の領域もあり、どこか他者否定的だったなと反省することは今でも。

 差別意識、差別無意識・・・いろいろあるようです。そんな中、例えば今日のエリーさんのような外国人に対する差別意識、差別無意識を産む常識が、最近随分遺伝子科学等の進歩で覆ってきているようです。自他肯定を目指す私にとって、人類・遺伝子研究や昔の研究は外せないようです。

 昔は、ピテカントロプスエレクトスは東洋人の元祖だとか、人類多元説が幅をきかせていて、それが争いを正当化する理論(例えば帝国主義)に繋がっているところがありました。

 しかし、この20年くらいでしょうか、人類多元説はDNAの研究で影をひそめ、20万年くらいまえに発生した現世人類がアフリカで長く住み、最近?5-6万年前に世界に散らばったという、人類単一説が学会の定説のなってきたようです。

 日本人の遺伝子研究も盛んで、ミトコンドリアの遺伝子から、アフリカから出立した時間的に3つのグループがどれも来日し、今でもこの3つのグループの遺伝子が日本の人から多く見つかるようです。

 大陸では争いが多いためでしょうか、こうした多様性が持ちにくいようで、日本は島国ならではの遺伝子保存環境(悪くいうと吹き溜まり)のようなのです。

 日本の中でも、北海道と琉球は昔の文化(縄文)を残しているとも言われますが、世界的にみると、日本とかイギリス・イベリア半島などがユーラシア大陸の東西の辺境として、よりアフリカ出立当時の文化を残しているのかもしれません。

 あの、難しい時代にエリーさんがマッサンに賭けたのも、そうした文化的近似性をどこかで感じたのかもしれないと今朝は妄想してしまいました。

 実際、ケルト文化やバスク地方は日本に似ていると指摘する人がいます。特に縄文土器のデザインとケルトの美術が似ていると指摘する人も。そういえば、イギリスやスペインにもストーンサークルが日本と同様にありますし、精神面でも似ているかもしれません。

 昨日、ちょっと古い本ですが「3重構造の日本人」(望月清文著)を読んだのですが、これは、例えば「明るい」という言葉(各国語であらわされる)が五感のどれと結びつくかをアンケートで世界中の人に尋ねたもので、多変量解析(主成分分析、因子分析、クラスター分析)で整理したものでした。

 この言語感性(意味と五感との関係)の傾向についての研究が、先のミトコンドリア遺伝子のパターンに連動しているようなので実に驚きました。おまけに、バスクの人のパターンなどは日本人のあるパターンににていたりも。

 エリーさんとマッサンが、感性的にも意外に東と西で繋がっている。そんなことがあるかもしれない。次は日本では「蛍の光」の歌なのだが、アイルランドでは次の歌詞で歌われるそうだ。

 昔馴染が忘れられていいものか、決して思い出されぬままに。

 昔馴染が忘れられていいものか、遠い昔の日々が。

 (折り返し) 遠い昔のため、遠い昔のため、

 我ら旧情の杯を上げよう、遠い昔のために。 (ヒゲのウヰスキー誕生す(川又一英著)新潮文庫118P参照)

ウヰスキーを飲みながら、世界中の人が元はアフリカ生まれなのだと思いつつ、歌いたくなる。

異文化と愛 5/10

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