イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

目指すことが観えるには、暗い感情をなんとかせねば!(異文化と愛 ① 4/10)

2014-10-10 | 第九章「愛」

 朝ドラをしっかり見て、今日もはじまる。マッサンも紆余曲折あるが「ウィスキー造り」のアイデンティティをエリーさんに支えられて強め、いい方向に向かいはじめているようだが、優子さんは、婚約解消の痛手から、嫉妬など暗い感情の嵐に翻弄されているようである。

 暗いストレス曲線に翻弄され、明るい感情が殆どなくなり、14の防衛機制(抑圧、抑制、逃避、感情転移・・・・)で覆われるような生活をしだすと、不思議なほど自分の中から知恵が湧いてこず、何か大事なことを忘れるようになる。ちょうどマッサンが鴨居社長から「やってみなはれ」と言われても、何も動こうとせず鴨居社長にがっかりされ、チャンスから遠のくように。

 仕事でも家庭でも・・・そして自己実現のためにも、暗い感情に支配されて、もがきまくるスランプの経験は、私にも沢山あった。本当は、様々な回答が自分の中にあり、自分の知恵が湧いてもいいのだが、その時は何故か湧かない。心理学の理論通りなのである。

 さて、昨日は町田の本町田遺跡を見学したついでに、久しぶりに薬師池公園に寄った。目だった花もなく、公園は閑散としていたが、カメラを持ってふらふらしていると「あっちで青い鳥をカメラで撮っていますよ!」と親切な方に声をかけられた。指された方角に行ってみるとカワセミが池に立てられた竹竿の上にとまっていて、池の小魚を狙っている最中だった。そして、ぱっと水に飛び込み小魚をゲット。馴れたカメラマンはそうした素晴らしい瞬間を収めていたようだが、私は・・・

   

  

 カワセミも人間のように暗い感情に翻弄されると狩りも下手になるかもしれないが、今回は上手に現実吟味力を働かせ、ごちそうを楽しんでいるようだった。

 暗い感情に支配されているとき、どうしたら脱失できるか?いろいろあるが、カワセミのように不安感を引き起こす、自分の理想(魚)と現実に立ち返ることが大事だと思う。そして、自分が楽しくなるような環境(例えば竹竿)を探してみるのことも大事だと思う。

 自分だけでは、なかなか探せないものだが、そんな時、背中をおしてくれる方がいれば幸せ。スランプを抜け出させる名コーチというか・・・私の「生き甲斐の心理学」の課題も、同じことだと最近思っている。

異文化と愛 4/10

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心が繋がらないで大変!(異文化と愛 ① 3/10)

2014-10-09 | 第九章「愛」

 今朝のマッサン。エリーさんが苦労して優子さんと話をし、ゆるされたかな?と思いきや、激しい復讐が始まったようだ。厳しい関係での傾聴(心理的接触)の難しさ、エリーさんのことを全く笑えないなと思ったりした。

 ちょうど、縄文の勉強で日本書紀の神話を紐解いていたので、女神イザナミが火の神を産んで亡くなり、悲しんだ夫のイザナギが黄泉の国を訪れるが、観てはいけないという約束を破り、イザナミの激しい復讐を思い出してしまった。

 日本神話の黄泉の国の話は、日本人のアイデンティティ、①ケガレとミソギ②恥の文化③甘えの構造④もののあわれ⑤幽玄の美⑥侘びと寂 を思索する上でも良い話だが、何かマッサンの婚約者の話も似ている。美しい優子さんがほほ笑んだ後に、ちょっと眉をひそめる。恥の文化、汚れ、曖昧さ、四谷怪談みたいな怖さ、時間の残酷さ、一瞬だがいろいろ考えてしまう・・・

 黄泉の国の話は、最終的に、黄泉の国とこの世の境が作られ、そこでイザナミとイザナギが言葉を掛け合って終結する。

 黄泉の国の神イザナミは一日に1000人殺してやるというが、この世のイザナギは1500人を産むと言う。弥生・・・律令制建設の時代の生産性や合理性の論理がむき出しの話であるが、考えてみれば人を殺傷する武器を全くつくらなかった縄文文化は10,000年の歴史があったのだ。

 マッサンの今週のテーマは「禍転じて福となす」なので、これから戦争ではなく和解。感情面でもウツから幸福感に転換する何かがあるのだろう。大変興味があるが、縄文時代の日本人の戦争回避のノウハウもきっと何かあるのだろう。今日も、妄想はつきない。

異文化と愛 3/10

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日本の男性と女性をマッサンから妄想する!(異文化と愛 ① 2/10)

2014-10-08 | 第九章「愛」

 マッサンも大阪の生活に突入し、新しい展開を示しているが、鴨井社長が占いで積極経営にこったり、マッサンに女難の相が出ていることを告げたりして、これからが楽しみだ。

 さて、昨日は図らずもU先生の勉強会で、楽しく勉強したり学習とも雑談を楽しんだりしたが、話題の一つが易経であった。私も時に易経を勉強したり実際に自分でやったりするが、中国数千年の歴史の奥は深く自分の不安感を落ち着かせたりする意味で役に立つようだ。

 鴨井社長のように占いを前向きにとり、新しいビジネスをあれこれ楽しむ前向きな態度は素晴らしいと思うが、何かマッサンに女難の相だとネガティブに言ったりするのは、私見ではあるが火に油を注ぐようで良くないなと思う。

 私も男性だが、マッサンのように若い時分、女性が実に謎めいて観える時期があった。確かに、脳科学の知見では脳梁が男性と比べ女性が発達しているなど男女差があるようだし、実際に結婚して異性と一緒にくらしたりすると、ものの感じ方等女性ならではと思うこともある。

 記憶能力、思考能力、学習能力、社会関係性、感情、イメージ力いろいろな脳の働き*1があると思うが、女性と男性は確かに微妙に特性が違うかもしれない。そして、お互いに補う部分も少なくないのだろう。

 とはいえ、私は「生き甲斐の心理学」を14年学んできたが、特に性格形成論を勉強してくると、性差は生育史に比べれば影がずっと薄くなってしまうように感じてしまう。まあ、本当に個性は実に人それぞれなのであり、性も個性の一部のように感じてしまう。

 ところで、日本人は鎌倉時代から男性の社会になってきたようだが、それ以前は典型的な母系社会。源氏物語や萬葉集でも妻問い婚は常識である。日本神話でイザナミとイザナギが最初に女神から声をかけ、うまく行かないので男神から声をかけるという有名な話があるが、歴史学者Fさんは、これは弥生時代前・縄文は女性から声をかけるのが普通だった記憶というように解釈されているようだ。

 いろいろな説があって定説にはまだなっていないようだが、縄文中期などの繁栄期には、東日本などでは女性が堅果植物を採集し煮炊きをするなど、生活の基礎をつくっていたようで、男性はもっぱら外で交易や狩猟、そして外に女性を求めたりでふらふらしていたイメージかもしれない。

 今朝テレビで、家事をしない男性が話題として取り上げられていたが、これは縄文からの伝統で、そんなに簡単に変われないかも(私も含めて)。

*1 松木武彦著 「進化考古学の大冒険」 新潮選書 33ページを参照しました。

異文化と愛 2/10

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多摩で古層の性にまつわる愛を考える!(異文化と愛 ① 1/10)

2014-10-07 | 第九章「愛」

 台風一過の午後、地元の大栗川沿いを散策したり、愛宕神社周辺(縄文遺跡が近くに沢山ある)で富士山や丹沢を眺めたりした。台風の影響で、いつもの何倍か水量の大栗川を観て気付いたのだが、上流を眺めるとちょうど丹沢の蛭ケ岳(丹沢最高峰 1673m)が観える。そして、やや右側に富士山も見える。

 右に富士山、左のとんがっている頂が蛭ケ岳(頂の右が美しいスロープとなっている)

 先日、やはり川の上流の方向に田端環状積石遺跡があるのだが、その環状積石の長経の方向に蛭ケ岳が観え、冬至の日没にはその頂上付近に太陽が沈む。その時、蛭が岳は光背に包まれるように見えるそうだ(まだ観ていない)。今から3500年くらい前につくられた田端環状積石遺跡は深い祈りがささげられたのだとおもうが、この周辺の大栗川でも蛭ケ岳が綺麗に見えるスポットが多く、当時の文化の一端を担っていたのだと想う。

 縄文時代の祭りでは、女性を象徴する土器(土器は女性によってつくられたようだ)や土偶が壊されたようであるが、同時に男性器を象徴する石棒も壊されたりしたらしい。

 さて、若いころに奈良・飛鳥を訪れた時、飛鳥坐神社(あすかいますじんじゃ)に観光で訪れたことがあった。その時に溢れんばかりの男性や女性のシンボル像があり恥ずかしくなった記憶があるが、現代でも、その古層の信仰はこの地元の道祖神等で祈りの対象になっているようだ。

 そして、昨日は愛宕神社の麓近くに、不思議な小さな祠を見つけた。その中には、賽の神として立派な男性のシンボルをかたどった石棒が鎮座していた。縄文遺跡に縁がある場所であり、ひょっとして、周辺にストーンサークルがあるのではと妄想したり・・・。

   

 

 現代人にとっては、こうした像はなまなましく、違和感を感じる人もいるようだが、良く考えると、私たちの生活の中でも、数千年の縄文時代以前からの文化がとうとうと流れているように感じてならない。

 例えば、明日は晴れで皆既月食が観られそうな満月だが、月といえばウサギが餅をつく姿を想いうかべる方が多いと思う。

 自らを火の中に投げ込んだ兎の逸話は有名だが、日本神話の女神イザナミが火の神を産んで亡くなる話を彷彿させるし、ウサギの餅つきのは、それこそ縄文時代の石棒などと似ている。縄文と言わず、それ以前のドルメンやメンヒルなどの巨石文化に起源をもつのかもしれない。

 性の問題は、ネガティブな側面もあるためか意外に避けられたりする方も多いようだ。しかし、豊穣や再生にもつながる人間の重要な一面であり、全ての宗教においても扱い方はいろいろあると思うが大切にしている。聖書の雅歌や仏教の理趣経などに想いを馳せると、愛を考える上で性は真面目に考えなければならない領域だと思う。

 若いころ、飛鳥坐神社で何か違和感を覚えたが、今では祖先の愛の思想の一端だと思いなおしている。

異文化と愛 1/10

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静けさもあれば嵐もある私とあなた!(私とあなた ③ 10/10)

2014-10-06 | 第八章「魂と聖霊」

 マッサンも竹原から大阪に移動。竹原弁が少し聞けなくなるのはちょっと残念。しかし、大正時代の国際結婚が引き起こす様々なことや、ウィスキー造りを生き甲斐とするマッサンの意欲・・・なかなか面白い。私もワクワクして「ヒゲのウヰスキー誕生す」(川又一英著)を買って読み始めてしまった。

 さて、今朝FBの知人の情報の中でアジャイルという言葉を知った。ソフトウェア開発の手法だそうだが、昔のように綺麗にソフトのデザインをしてからそれを展開・開発していくのではなく、チームで問題を発見しつつ敏速に開発していく手法だそうだ。生き甲斐や自己実現の世界も、到達地点が綺麗に見えているわけでもなく、初めに人世設計してそれを忠実に実現していくというわけには行かないので、まさにアジャイルかもしれない。

 マッサンも、竹原で難破しそうになるが、法事等のチャンスで家族からの理解も深まるが解決までいかない、これからは大坂で場所を変えての挑戦となっていくようだ。出たとこ勝負、アジャイルで人生の艱難に敏速に対応するしかないのだろう。

 そんな中、大切な人との関係も(例えばマッサンとエリー、マッサンと母、・・・)も、ブログの写真のような静かな光景ではなく、今朝の台風のような激しいものになったりする。そんな中、やはり人間観は大事だと思う。ただ、気が合うとか趣味が一致するとかの表面的なことではなく、深いところで信頼関係をもつなどが必要だと思う。それも、相手に強要はできないので、自分が相手をどこかで信頼するということが。

 昨日までの、U先生が欧米で学んできたA=B(X+Y)の考え方は、自分だけでなく相手のなかにもB(死んで身体を離れる、愛そのものの魂)を信じることは大事だと思う。嵐のように、嫌いとかネガティブなストレス曲線が吹き荒れても、その中にBを思い出せば、自分の中に柱というかを感じ、ネガティブな感情でもその意味(理想と現実とそのギャップとしての感情)を冷静に考えたりすることで、それこそアジャイルに状況に対応できるのではないかと思う。

 まだ、今台風が通り抜けていないが、世の中には台風一過があるのも事実だと思う。

私とあなた ③ 10/10

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