「安芸の宮島に行くならゆっくりと一日かけて見物するのが良い」
そんな話を聴いて、もう3年前になるが友人と午前から午後にかけてほぼ一日宮島を体験した。何故一日かというと、厳島神社の干潮と満潮をのんびり体験することを薦められたからだ。月の影響で干潮があるのは知っていても、一日に二回干満があることや大潮があることなどはあやふやな人も多いだろう。月の重力とケプラー力の関係から、月の方向と180度の方向が満潮となり、90度と270度の向きのときに干潮となるからである。また、太陽と月と地球が一直線になると重力の影響で大潮が起る。
写真は干潮の時の有名な厳島神社の鳥居。干潮の時に歩いて近くまで行ったことは良い経験であった。
私はどうもせっかちで、のんびりと厳島神社に一日いるのはもったいない気がして、その日は干潮の厳島神社を見た後、弥山(みせん)にケーブルカーで登り、観光を兼ねながら歩いて下山した。弥山は山の頂上付近は巨大な不思議な岩(ドルメンか?)があり、縄文時代も信仰の対象ではなかったかなど、いろいろ考えさせられた。しかし、のんびりと海を一日見るということも後で思えば良い経験になったかもしれない。
弥山登山のあとは、麓で再度厳島神社にもう一度寄った。すでに満ちていて、何とも言えない風情。海を大切にしていた祖先の想いが伝わってくるようであった。
さて、干満は月の重力に関係しているが、それがどのように起き、どのような法則に支配されているかは、多分万有引力の法則等がわかるまで科学的には理解できなかったのだろう。アイヌの伝説のように巨大な怪魚がいて、息を吸ったり吐いたりするのが干潮だというように考えていた時代もあっただろう。
話は変わるが明治維新による変化の中で、後で考えると前のが良かったというような変化もあった。廃藩置県は間違いで廃県置藩すべきだというような話をする人もいて楽しくなる思考実験だが、私は太陽暦を明治6年に制定しなかったらどうかなと妄想した。もちろん世界標準という良い面はあるのだろうが、悪い面も大きい。私は古来の自然への日本的感受性が随分失われたのではと想像している(自分がそうだから)。従来は太陰太陽暦で閏月など面倒なことはあったが、月をベースにした太陰暦(一日が新月、15日が満月、30日は晦日)であり非常に便利だったのではと思う。さらに冬至を起点にした24節気は季節を五感に訴えた表現にした太陽暦の注のようで、日々の生活の仕方に直結していただろうと思う。
また、太陰暦であると、1日や30日は月が見えないが、大潮であることが分かり(15日も大潮)、上弦や下弦の時が小潮であることも連動して実感しただろう。海や川との関わりを強くもった人にはよかったろう。
実務的なところとは別に、暦をとおしこの世の中が神秘的な法則に統御されていることを実感することは、こころの健康から見ても良いことだと思う。生活の中で統御感を持ちやすいからだ。暦は宗教を信じる人も、その中から恩寵等を感じると思うし、宗教はちょっとだが科学を愛好する方も万有引力の法則を信じていらっしゃるわけであり、やはり心は落ち着くのだろう。
さて、世の中には信じていたのに裏切られるような時がある。突然津波が打ち寄せて来たり、突然に日食が起ったり、自然現象だけでなく人間の間ではたくさんありそうだ。統御感は錯乱と隣り合わせ。生き甲斐の心理学を学ぶと分かる知識だが、そういう時は神も仏もないという感じで大混乱する。
そうした、錯乱の時は何かと考えると、ネガティブなことも確かにあるものの、今まで解釈してきた方法の限界を打ち破り、再構築する可能性も暗示しているようにも考えられないだろうか。実際に、ニュートン力学はアインシュタイン等によって大きく再構築され、さらに今ではひも理論などで再構築されようとしている(私は内容はついていけないが言葉だけはなぜか知っている)。また、縄文時代なら突然の日食も新月と関係していると見抜きやや心を安らげる人もあったかもしれない。宗教の世界でも、その中で神義論が発達したりする。
話は大きくなってしまったが、個人的な錯乱の経験も、それから立ち直った経験(小さなこともふくめ)とともに生きるノウハウになっていると思う。
月を解釈する 4/10