田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

たてしな歴史研究会(第12回現地学習会)

2006年11月25日 | 日記
11月25日(土) 快晴 夜明け寒い 6:30霜で一面真っ白 一日中快晴
  午前中の作業はストーブの掃除だ。午後は1時30分に公民館集合たてしな歴史研究会定、16時から望月駒の里ホールでシャンソンコンサートがある。
  ストーブの掃除は春まで使ったままで掃除をしてなかった。灰の掃除は簡単だが正面のガラスにこびりついたタールはなかなか取れない。最初の頃は灰を水で錬ってガラスを磨いていたが、今ではマジックリンを汚れた面に吹き付け、ペーパータオルを張ってしばらく置く。その間に灰やドア周りの汚れをとっているとガラスのタールは簡単に取れる。1時間半位くらい掛かったがシーズン・インの作業だから入念にやらねばならなかった。
  午後は簡単な食事をして中央公民館へ向かった。公民館から軽トラに分乗して芦田城へ向かう。主郭の下で車を降りて落ち葉がつもっている中を滑りながら上まで登る。講師はT先生で歴史・芸術に造詣が深い教育者である。芦田城は古町にあり戦国時代の典型的な山城の形態を留めている。別名は「木宮城」「倉見山高井城」とも言われている。展望台に登ると町内西北部一帯を越して長和町の長久保城、丸子方面をのぞむことができた。また、説明の中で現在の笠取峠は「雁取峠」中山道がなかった時代には我が家の前にある大内道が使われていたなど身近な話が聞けた。「雁取峠」が「笠取峠」に変わったのは近くに『芦田宿本陣があるため笠を外して歩くため』と言う説もあるとか・・・・
  次に廻ったのは蓼科神社でこれも明和2年(1765年)に建てられた石碑を見ると『立科神社』となっており、古から立科の文字は“立"“科"を使われていたそうだ。この文字を使うことが伝統である正当派と言われている。此処には3回も火災にあった神大杉があり樹齢1500年を越していると言われている。古びた石段を上がると本殿の棟には菊と桐の門が飾られ、脇には神楽舞台がある由緒正しさを誇っている。毎年9月15日の祭礼には町内集落から神楽の奉納が行われているように、立科町全体のものとして崇められている。
  定例会の終了が4時半になってしまった。
  冷たい風で身体冷え切ってしまったために、シャンソンには行かないことにした。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする