田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

寒気が来てるという 花もひかえているのだろうか 

2008年04月25日 | 日記
4月25日(金)曇りから 晴れに代わり雲一つ無い晴天となったが冷たい風

午前中に役場へ行き書類を提出する予定だったが、電話でアポの確認をしたが・・・
ご本人はが出張だと言う・・・
時間が空いたので今月中に提出しなければならない書類の再確認をした。
文言の見直し、行間を整理・・・時間と時刻の違いなど細かいことを上げるといろいろある。
もっとも人からメールで転送された書類を元にしたから拘りの違いは仕方がない。
気分転換に畑に出てみるといつの間にかルバーブが冬を越えシッカリとした赤い茎に緑濃い葉を際だたせている。

離れた処では青梗菜の種採り用の菜花が明るい緑を見せている。

浅間山が“遙かぶりに”(信州方言・ヒサシブリニ)姿を現した。
果樹の間にある花桃を手前にパチリ・・

春に浅間山が綺麗に見えるのは珍しいことだ。
サクランボ(佐藤錦)の花が沢山咲いたいた。浅間を借景にする。

風が冷たいので襟のボタンを掛けた。
果樹の花も寒くて虫が飛ばないようでは花の開きも控え気味なのだろうか?
このところの暖かい空気に慣れると直ぐに軟弱な身体になってしまう。
家の後ろの一段高いところへ登り、浅間山を眺める。
ここでもユキヤナギが手前にそして僅かに拙宅の瓦屋根が景色を削る。

裏山へ登ってみようと歩き出すが急さかを一気に登ると息が切れる。
最後の急登では両手を後ろに組んで一歩いっぽ踏みしめながら登った。
一冬でこんなに身体がなまってしまうのが悲しい。
後を振り向くと下の方に集落が見えるが大きな杉がその高さを一際表している。
この杉の根元にある石には宝永5年(1708年)とあるが・・・そのときに植えたのだろうか・・
300年の樹齢にしてはやや小振りなのだ、後の大内道を通行する人によって手向けられたものだろう。

宝永4年は富士山の大爆発があり翌年、宝永5年6月22日、大雨によって大量の火山灰が酒匂川に流入したということだ。
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/kouhou037_18-19.pdf
この路の山側には沢山のボケが咲いているが、集落の人は“ジナシ”と呼んでいる。


夜には山裾の集落と隣の『日の字集落』と合同の町議員懇談会が地区の集会所で開かれた。
ここの集落からは議員が出ているので出席しないわけにはいかない。
町の仔細を知る上でも参加した。
町議12名の内今日の担当は3人、住民の参加5人なんとも寂しいことだが、広報では紙面を使い行政のTVチャンネル、有線ラジオ放送・・・・
これだけやっても2つの集落で約45世帯各世帯代表1名としても少々情けない状況となった。
コメント (2)
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