田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

梅に鶯 どちらも幼さを見せた

2009年03月21日 | 日記
3月21日(土) 晴 風もなく穏やか 少しだけ冷たさを感じる風がある



今日から外仕事が本格始動です。
身体の慣らしからはじめるには最適のストーブ用の林檎の樹を軽トラに積み込んで下ろす作業だった。
普通ならチェンソーを使って切るところからはじめなくてはならないが五輪久保のYHさんは軽トラの荷台に載る長さに切ってくれてあった。
ありがたいことだ。



一回目運んで降ろし始めていると、鶯の初啼きが聞こえた。
初啼きと云うことだから“ホー”はまだ着かない、キョキョ・ケキョだけだ・・
何回啼いてもホーは云わず仕舞いだった。
俺が口笛で見本を示してやるとキョキョキョと慌ただしく3回啼いてどこかへ行ってしまった。
2~3日内にはホーを付けて啼けるようになって戻ってくるだろう。

午前中はりんご園と山裾を2往復して昼飯となった。
1回目で12時までもう少しと云うところだったが、昼飯はまだだという。
2回目に帰って来たところで全て降ろしきらないところで“昼だ”という。
どちらの都合を優先するかと云うほどのこともないので・・・・・
今年初の外飯と云うか・・・野良飯というわけだろう。


午後は2往復・・・・最後の荷下ろしは腰が結構キツイ!!
腕には力が入らなくなってきている・・・・
久し振りの重労働に身体が悲鳴を上げていた。
5時半を過ぎて全て完了・・・
庭は既に薄暗くなって来ているが、梅の木の花が咲き始めたようなの見に行く。
地面に近いところは暖かいのか二つだけ花びらを広げていた。


家の中に運び込むストーブの薪を移動して今日の仕事は最後となった。
裏口に向かうと横にある紫陽花の新芽が開きかけて淡い緑の葉を除かせていた。
昨年の花をそのまま残しておいたのが、花芽が出るのをたすけたのかも知れない。
世代交代を目で見るように昨年の花は摘み取らなければならない。
コメント (11)
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お彼岸という一日 静かに過ぎていった

2009年03月21日 | 日記
3月20日(金) 晴 朝陽は出ているが元気がない 午後からは雲が一掃された

昨日の夕方からから気温が下がり気味だったが、三寒四温とは良く云ったものだ。
今朝はだいぶ冷えて外の空気もスッキリしている。

午前中はケーブルテレビでエコクラブの“仲間とエコを楽しむ一日”を放映したので齧り付いていた。
はじめて来てくれた人も楽しかったと云ってくれているので嬉しい限りだ。
終わってからから月曜日に役員会がある歴史研究会の年度末の会計報告、新年度の総会のレジメなど書いて終わってしまった。

「たてしな歴史研究会」は高齢者が多く、総会も事務的だけで終わったのでは、苦労して出かけてくるのだからもったいないと云う。
然りとて、どなたかに講演をお願いするわけにも行かずに、町内の『お話バスケット』という団体に出演をお願いした。
この会は、小学校で子どもたちに読みきかせのボランティアをしている。
日頃、超若い者を相手にしているので、たまには高齢者の相手も悪くはないだろう。

彼らは20年度長野県地域発げんき支援金を受けて大型紙芝居を創ったという。
それも、町内の昔話、“青木原の彦左衛門稲荷”を題材にしている。
芸達者の団体なので、我々歴史的高齢者の集まりである、『たてしな歴史研究会』の21年度総会には相応しいことだろう。

日本の野球が韓国に勝ったそうだ。
《そうだぁ~》なんて云うと今や非国民的な扱いをされると思うが・・・・
我が家ではいつの間にかMが選手の名前を呼んでアウト・セーフと叫んでいる。
かつては、右打者が打ったらサードへ、左打者が打ったらファースト・・・・と訳のわからないことを云っていた人だ。
日本の国民的な野球ゲーム イヤ ゲームが着くとお座敷での遊びなのだろうか??
とにかく日本が勝ったことは嬉しいことだろう。

アッtというまに夕方近くなった。
しかし、5時半になってもてこの小さな集落も明るくて確実に春が来ている。


世間は三連休と言うことだが、山裾の集落は人影もなくただただ静かな一日が終わろうとしている。
浅間山は最後の夕陽を少しだけ浴びて僅かに紅く染めていた。
コメント (4)
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