田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

町の歴史的メンバーと疎水を訪ねる

2009年06月15日 | 日記
6月15日(月) 曇り  午後 雨 やんだり降ったり 繰り返す

13時半に公民館に向かい「たてしな歴史研究会」の定例学習会の下見に行く。
会長、副会長、そして今日の目的地立科町の稲作の原点《塩沢堰の集落をめぐる》と題するかは定かでないが・・・
水の大将様と呼ばれる六川長三郎氏の奥方が同行、そして庶務係の俺と4名での堰を訪ねた。

先ずは初代長三郎勝家翁の墓所にある苗代桜をたずねた。
ここは春にふるさとプロジェクトで行き桜が咲いている写真をUPしたことがある。
今日は会長他諸先輩方が後期高齢者にドッブプリ浸かっていることもあり、見るものは墓所の銘であったりその趣が話題になったことで桜の花のことは全く話題に上がらなかった。


塩沢堰は立科町の東北端にまで水をひき、そこに祠を祭り田の行事の折々に人々が祝い事をしたそうだ。
その祠がある隣は北御牧と言うこともあり、ここに集中的にいるオオルリシジミの食草クララが畦に残されていた。
全ての草を刈り取るのではなく、蝶にもその食を与えようという心が伝わってきた。

       《オオルリシジミの食草クララ》

クララを背にして田を見ると高台でもあるこの丘陵地まで良くも蓼科山から水を引いたものだ。
大きな重機もない江戸時代に私財をなげうっての大工事は大変なことだっただろう。


全ての田に水が行き渡り僅かの風になびく早苗が眩しかった。
水の配分も今では合理的なもので作られているが昔は板で水量を調節していたのでコッソリ盗むものをあり村中の騒動に発展した云う。


田を眺めていると雨が降り出したので次の目的地諏訪神社へ向かった。
ここでも急な階段を上がり下がりしながらの本殿までの道、田や畑で鍛えたとは言う会長の後はシャンとしたものだった。


中段の一にある六つの祠、今までは大したことを感じないまま過ごしていたが・・・
流石に今日の視察は細かく祠の字を検分しながら歴史的価値を見いだした。


公民館に戻ったのは4時を少し廻ったところ・・・・
頼まれた買い物牛乳の大・小各1個を忘れずにマイバックに納めてご帰還。
別荘のAさん夫妻が来ていたので玉葱、リーフレタスを差し上げた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PCの腹具合が悪いようだ

2009年06月15日 | 日記


6月14日(日) 曇り 雨は降らなかったが雷がゴロゴロしていた

このところPCがヤケに重たくなり昨日のブログは最後の段でクリックをしても反応がないため・・・・
と言うことで終末土曜日がダブったことになってしまった。

朝からPCの機嫌を取り持つためにあれやこれやさすったり叩いたり・・・
どうにもこうにも云うことを聞かない。
仕方なく腹の中の引っ越しを試みてみた。
いまはUSBのメモリも容量が多いものがあるので臨時的に使うには助かる。

「たてしなエコ・クラブ」の会報の編集、ウォーキングマップ、歴史研究会の案内冊子と溜まっているので困ったことになった。
一日中PCに囓り着いていたのでなんとか動いているがオーバーワークになっているのでファンの音がうるさい。

写真も撮らずに一心不乱・・・昨日玄関に来ていた“ガ"だと思うが写真もこれ一枚でオシマイにしておく。
早く復帰できることを願いつつ
今日はおしまい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする