田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

日ごとの春 日替わりの 温もりと寒さ 

2010年04月08日 | 日記
4月8日(木) 晴れ  快晴  冷たい風  

運び込んであるりリンゴの樹をストーブの薪の長さに切りる作業を予定していた。
しかし、朝の7時の電話で集落のKさんのお母さんが亡くなられたと言う。
しかも、午前一時・・・8時に女衆(オンナシ)が弔いに集まるというのでMに伝えた。
俺は、そんな日に外でチェンソーの唸りを上げるわけにもいかず予定の変更とした。

朝飯を終えて直ぐに本棚の片付けや地下室から上に上げてあるものも整理しなければならない。
Mは美容院に行くと言って出かけ、帰って来たのは昼を過ぎていた。
つるつるの頭になっていた?・・・心境の変化??なのか・・・・
短くしてあるのに後ろ姿は“刈り上げ君”状態とは違っていた。

昼飯を終えてから久々の青空が広がっているので外へ出てみると西のハズレにあるコブシが花を開き始めた。
この樹は吉祥寺にあった大きな樹の実生を鉢植えにしたものをここへ移り住む時に持って来た。
信州の地に根を降ろして10年を迎えるが花の数が増えた。
園芸種でなかったのが幸いしているが、花が開く時には蝶の羽化のように小さく折りたたんだ花びらを少しずつ開いていく。
遠目では純白に見える花も近くでは象牙色とでも言うのか少しだけ生成り、そして一筋の紅が見える。
夏の終わる秋から花芽を枝先に着け、堅いコルクのような樹皮に包まれて外側にはフェルトのような毛を巡らしていた。
厳しい寒さに堪え忍んでの開花、じっと診ていてやりたい。


コブシのある山との境の近くにも園芸種の花咲き出している。
数年前に山からの雨水を畑に入らないようにユンボでハケを掘ってもらった。
そのときの重機のバケットにでもついたのだろうか?
ムスカリがキノコのように紡錘形になって列をなしている。
地中深く球根を落とされながらやっと地上まできて花を開いたようだ。


同じ直線上に別の紫の花が地面すれすれに開きだした。
花の形からヒヤシンス?元だ、元ヒヤシンスだろう?
これも地中深く落とされた球根が地上まで上がってくるのにエネルギーを使い果たしたようだ。
ヒヤシンスならたっぷりの花数で花火のような優雅な姿を見せてくれるのだが・・・・
それでもこの小さな花の周りに三つの芽がでている。
地中深くから4つの芽で力を合わせ粘土質の土を持ち上げて、一本だけに花を着けさせたのだろう。
人が手をさしのべなくても自然の力で咲いた花は水耕栽培より気品と気高さに格段の差があるように思える。


まだ花の数はかぞえる程しか観られないが時を忘れてしまう。
重たいカメラを構えて身体ごと前後に動かしピントを定める。
三脚を持ち出して構えれば良いのだろうが其れをやれももっと時間を掛けなければできない。
家に向かいながら枕木の階段のところから水仙を眺めた。
彼らは用心深く今朝の寒いときには集団で下を向き、透き通った白い花弁を守ったようだ。
農協の放送で盛んに霜注意報を呼びかけていた。
明日の朝も“霜が降りるから生産者は注意をしろ”と言っているが・・・・
農業生産物だけがシモにやられるわけではない・・・・・
水仙が用心深く常にうつむき加減になているのは花言葉がイケナ
“ナルシスト・自惚れ・プライド・高潔”なんぞと着けられた所以だろう。
因みにに「黄水仙」の花言葉は《もう一度 愛してください》とこれも何とも気味悪い受け身の姿勢だろう。
そんな言葉にとらわれないでトランペットのように咲き誇り上を向いて咲いて欲しい。


家に入ると既に直射日光の光源は届かなく北向きの窓の光のような具合だ。
先日、この場でカランコエの「赤い花はど~した」と書いたばかりだが・・・
よく見てみると赤い花が咲いていた。
咲き出して色が変わるのだろうか??
静かな場所でSalaやArgoにも舐めたり囓られたる心配はなさそうだ。


午後の作業はほとんどしないまま夕方を迎えた。
そえでも書類はだいぶ片付いた・・・・
6時を過ぎると浅間山の噴煙も僅かに斜めに切り取られた落日の光線に照らされていた。


春の夕闇には少々冷たい風だが・・・・・
明日も晴天が続くというが。。
コメント (2)
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