田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

何もしない しかし 継続 循環は 営みなのだろうから

2010年04月06日 | 日記
4月6日(火)  霧   暖かい  濃い霧  ボンヤリと暖かすぎた一日

濃い朝霧の中久しぶりに裏山に登ってみた。
尾根を右に東の方へ歩くと急に霧が晴れて太陽が既に高い位置にあるのを知った。
一週間前くらいからウグイスが鳴き始め、それも谷渡りなど技を練習している。
まだ道の草は丈が短いがスニーカーがびっしょりになるくらい霧の水分を受け止めていたのだ。
このような朝がこれから毎日繰り返されるだろう。
循環しながら変化をして人が手を入れるのはほんの僅かな人知れぬ山道が楽しい。
         

一回りして畑の脇から庭に入るとそこには一番に咲いた小さなスミレがいた。
名を何というのかは定かでないがこのムラサキが好い。
ここでも朝露を花びらにためてやがては根元に集め地中へ吸い込ませるだる。
夏になれば葉が広がり地中に蓄えた水分が蒸発しないように太陽の直射日光を遮る役をかってでる。
これもこの地で脈々と生き続ける循環の術なのだろう。


俺の畑は三年前から種から育てることを優先してきた。
2年前からこぼれてくれる種はそのままにして春を待つ・・・・
今年は草も抜かない肥料もやらないで野菜を作ってみようと思う。
去年はトマトを肥料をヤラナイ草をヌカナイでやってみた。
確かに7月のトマトは貧弱で直ぐに雨に打たれ地に落ちた。
しかし、それからが変換かが起こったのは、周りの草に絡まりつき倒れないように自立した。
すると9月になって“つるや畑”(店)のトマトの三分の一くらいの大きさしかないがうまい、香りがよい、濃厚だった。

今年もトマトの仲間であるレタスがコボレ種から芽を出している。
一気に沢山の芽が出るわけではないで育つ順に適当な場所に間隔を取って移植してやる。
これだけで充分な食べられるレタスができる。
このレタスが食卓に上がるときにはトマトは食卓仲間でもムリだ。


そういうときの仲間にはニンジンが好い。
小指サイズのニンジンが、去年のコボレ種からでている。
ニンジンはお店で売っているようなものを作るのは難しいが、濃厚な香りとこの若葉が美味い。
レタスだけのサラダは少々物足りないが若葉付きコユビニンジンは相性がよい。
そのころはこれも植えっぱなしのアスパラがある。
アスパラも“つるや畑”に行けば太くて立派なものが大きくアスパラと表示されて棚に野並べられる。
しかし、この町にはアスパラ専門農家があり、彼らも出荷できない「ハブキ」と称するものの処分に困るのだ。


そんな循環式農耕を楽しみながらやるのがよい。
特に今年は耕さない・草は抜かない・肥料もやらないと云う。
さて、そうすると肥料不足でできないだろう?と今日も云われた。。
ジッとガマンをする。俺ではない、野菜たちがガマンをして強くなって土の中の微生物を呼び寄せて・・・
そこから分けてもらった養分で立派な子孫を作ると云う。
だから・・・俺はその子孫である実を全ていただくのではなく自然の生き物たちと分け合って口にすればよい。

そんな話は理想だ。。と言い切られる。。虫がいるでしょうと云う。。
立派と称する野菜を必要とする時には【farmers' market】「菜々いろ畑」がある。
そんな安易な生き方に疑問を呈する者が畑から少し上の所にいる。
それは《白花山吹》なのだが、毎年沢山の黒い実を付ける。しかも、一箇所に4つの種を付けるのだ。
ニシキギや沙羅なども実を付けるが真冬の雪が積もった時には必ずヒヨドリが啄みに来るのだ。
ところが白花山吹は五月の節句になっても黒い実を付けている。
そして、その木下には僅かに数本しか実生がない。
この種に子孫を残させずにするのは何の仕業なのだろう?


くり返し繰りかえし毎年の営みを楽しませてくれるので一案は我が家のシクラメンの面々だ。
3鉢3種類このシクラメンが我が家に住み着いてから三つを合わせると優に30年は越しているのだろうか?
もっとも、Mが専任で世話しているのだが、夏場は外の直射日光の当たらないところに置いてある。
ただ置いてあるので8月の末から9月頃は悲惨な状況に見える。
花の咲くのを見たことが無い者ならあの時点で鉢の土を出してしまうだろう。


今年は特にスゴイ!!
褒めればホメル程華やかになってくるようだ。
花には水を・・・と云うたとえがあるが、水のやり方は相当に研究しないとダメらしい。
コメント (6)
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