田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

信州の祭り日だというのに・・・

2010年04月10日 | 日記
4月10日(土) 生暖かい一日   太陽はでているがうすく雲が広がる


早朝 二人の男性がゆっくりと我が家に向かう道を登ってくる。
ゆっくりと並んでしかも、時々顔を合わせるようにお互いが顔を寄せ合っているいる。
片方の人の手には白い紙を持ち、もう一方にでは何か黒い筒状のものを持っているように見えた。

起きててよかた・・・
何時なのか? 6時・・ 6時は過ぎているだろう。
俺が玄関を開けると、普段は登り坂を長く歩くこともない二人にとってはきつかったのだろう。
一呼吸置いて、・・・実はご承知のよう、上半のKさん宅の・・・
この事は、沙汰がないと思っていたが、この集落は全戸17戸、それが上・中・下と三つの班に分かれている。
上班で何かあれば中の班が、中の班の時には上が、そして下は・・・となる。
二人の代表が畏まり『明朝7時30分に上班K宅前に来て欲しい、墓の掃除をお願いしたい。』
続けて、隣の男性が『10時にバスが集会所に来るので乗ってもらい、葬儀・告別式の受付をお願いした』とのことだ。

田舎暮らしは“結(ゆい)”で始まり結いで終わると言うが・・・
日曜日の予定はあるのだが・・・・今日でなくってヨカッタ。
と前向きな俺の思考が明日の断片的な薪運びを頭の中に浮かべながら『結』を優先していた。

兎に角、気怠さを感じさせるくらい集落の役員は痛飲したわけでもないが、少ない人数で過去からの仕来りを守る難しさがあるのだろう。
来た者の俺を快く仲間として認めてくれる故、早朝から重鎮お二人の訪問を受けてしまった。
その話が終わった直後に、電話が鳴り午後に開かれる「歴研」の総会の内容変更を会長から伝えられた。
そう言うことなら予定は未定・・・レジメの作り直しをして余計なことを割愛した。

予定外の出来事に対応しなくてはならないのは承知しているが、其れによって他のことが後回しになる。
しかし、今日の歴史研究会の総会も参加者が危ぶまれると思ったのは新聞を広げた時だった。
日本の祭りの中でも輸送果敢傍若無人とまでは行かないが《諏訪の御柱祭り》が行われている。
俺のような俄信州人では到底理解できない、あの祭りの非現代的思考ではついて行けない祭りだが、歴史好き人間は熱くなっている。
朝からTVで中継をしていると言うくらいに熱い者が多い。

午後1時会場設営に公民館に行くが閑散としている。
テーブルをならべ椅子を配置・・準備万端となったところへ20人分の資料を置く。
定刻2時僅かに7名の出席者・・・・10分押しで開会宣言と相成った。
会長の挨拶、総会ということで前年度事業報告、会計報告、会計監査報告とあっさりと・・・
22年度の事業予定も予め何かをすると言うこともなく、例年どおり、町内研修では座学1回現地1回・・
町外研修、公開講座・・・何の変哲もない計画ながらフリートーキングとなれば、賑やかに全会員が出席しているようになる。
こういうときに参加してくれる人は普段でも協力的で会を盛り上げてくれるのが嬉しい。

お茶だけは用意したと言うところへ、地元のヨモギを練り込んだ草餅を持参してくれたTさんの手作り
今日の総会では一番の出し物だったようだ。
コメント (5)
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