9月26日(月) 涼しさを通り越した朝 一日中曇り 寒っ
東に浅間を望む景色も生活の一部になった。東京にいたときは西に富士山が見える安堵感と同じような感覚がある。
今朝は厚い雲に空全体が被われて浅間山は姿を見せることはない。見えないとなると見たいと云う身勝手な想いがわき上がる。
ここに載せた一連の写真は3日前、24にの浅間の姿だが、昨日は薄い靄のなかに姿を見せていた。姿を見たと云うよりもほとんど記憶にないくらい、ナイもの欲しさの身勝手なことだろう。
秋が深まるにつれて朝の霧は濃くなり僅かに頂上を見せる程度になる。運が良ければ快晴となり気温が低くなることで、浅間山の水蒸気(噴煙)が白く見える。活火山ならではの噴煙も気まぐれなもので観光客にとっては不公平極まりないイベントに見えることだろう。
浅間山も麓の軽井沢から見ると噴煙なのか曇なのか判断ができない。見上げるほどの近すぎということで、数年前の噴火のときの黒い噴煙ならば石の焼けたような焦げ臭い匂いと黒い粒が落ちてくるので解る。
山の姿も噴煙の棚引きも美しさから判断すると遠くから見るのがよい。特に秋から春にかけては北からの風にのって噴煙が長く中棚に流れる様は、ここ立科町からの眺めが一番とみている。しかも、それが黄昏時だとしばし、時を忘れ天空に星が光るまで見とれてしまう。そんな景色を見てもらうには、やはり立科町白樺高原に宿泊することで天空のドラマを手に入れることができる。
今日の午後は少しだけ曇が薄くなり浅間もそれに合わせて薄く墨色になって姿を現した。しばし休憩ということで、ぼんやりとイスに腰掛け眺める景色に見とれた。
何をするでもなく一日を過ごしてしまったが、夜には役場の会議室で開かれた環境フェアの出展団体代表が集まった。一通りのイベントの説明があったが、なんとなく聞き流すことで負荷を避けようとする自分が見えた。俺がそんなことを思っているなどとは知らずに実行委員長が相づちを打たざるを獲ないような呼びかけをしてくる。