田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

農地・水・環境保全の集落共同作業について

2006年11月16日 | 日記
11月16日(木)晴 後 雲多し
  11月の始めに常会で説明会があった「農地・水・環境の保全について」ということに「来週にでも詳しく書こう」と思っていたが、その後このことを調べてみると益々混乱して来ている。
  農水省はお題目をあげて平成17年度に「農業用水等の資源保全施策検討会」なるものを立ち上げ、5回の会議を開き、8月には富山県砺波市(8/2)山形県上山市、天童市(8/4)の現地調査をしている。また、18年度にも同様な会議を重ね継続している。この会議の資料を開いても(農水省ホームページ参照)それぞれの地域の行っているいることは信州のここと同じように農道の整備や草刈りである。しかし、視察した場所は水田の整備もなされ、いわゆる米処としてブランド力のある場所であるとみえる。課題になっていることは、後継者がなく高齢化から農地の荒廃、収量の減量が如実に現われている。
  私の居住集落でも農道整備として道普請があり、地区全体で行う場合は区長から『通常道路普請割込』として勤務を命ぜられ、欠席の場合は出不足金を課せられる。これは都会から入った者には戸惑いは隠せないことだが、生活の中の常識と言われれば田舎の常識なのかも知れない。しかし、これは当事者同士での分け前であり区長の裁量は全関係なく出不足金が消えていくのも納得がいかない。これが
現実の小集落の実態であるがら、農水省が笛を吹き、役場が太鼓をたたいて農地は国民の財産です。地域の環境は全住民で守って後世に伝えましょう。などと如何にもきれい事である。
  実際に非農業者に対しての農地の取得は厳しく制限されており自分の金で購入したとしてもある面積以上でないと正式に登記はできないのだ。単純に見てもこのような矛盾があるにも関わらず、地区や集落単位で全住民を巻き込んで農業環境の整備作業に公の金を課金として住民に分け与える制度に疑問を持つ。また、地区にもよるが超高齢化が進み参加できないのと同じように集落の活動に不参加の健常者者がいることも確かだ。
このような環境でうまくいくのだろうか。
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プリンターの故障とインターネット契約の

2006年11月15日 | 日記
11月15日(水)晴 後 雲多し
  プリンターの故障!!最近機嫌が悪く印刷しても擦れていたりカラーインクが印刷されなかったりで役たたず的な存在になっている。これも自分の手で解決させようとしていることで不具合が長引いているのは確か、しかし、男子たる者機械に弱くてど~するの!!というのが持論である。妻・Mは年賀状大丈夫?などと戯けた言葉を発しているが、私としてはもっと大切なファイルがプリントできない悔しさを通り越した悲しささえ感じているのだ。
  修理と言っても何が悪いの?何処が悪いの?それぐらいは理解できるのだ。インクが出ないことは事実、確実な対処法として、新しいインクカートリッジを大枚6千円近く出して入れ替えた。替えたら2~3頁は印刷されたがその後は前と同じに戻ってしまう。メーカに問い合わせてもサービスセンターが松本にあるから持ち込んでください。若しくは、ドア・ツー・ドアの宅配サービスがあります。と言われる。2年前に購入したものを修理に出せば同等の新品が買えてしまう市場の有り様だろう。
  今日も何回もトライしたが・・・・ 明日の心だ
  我が家のインターネット環境は4年前此処へ家を建てたときに手続きした「佐久浅間農業組合立科支所」を通じてJANISをプロバイダーとして使用している。最近何か不具合が起きて農協へ電話をしても『長野のJANISへ直に話をしてくれ』と言われる。回線使用料(プロバイダー使用料)は農協へ支払っているんだから農協がサポートの手配をするものだと思っていた。当初はそうだったのだ。いつから変わったのかは知らないが、現在は蓼科ケーブルビジョンでもインターネットサービス(JANISで)を行っている。これからのデジタル時代にはケーブルテレビの方が何かと便利だと思うし、社員の方も農協の等閑形とは大違いで『当社は○○がサポートができます・光ケーブルだから早いですヨ 』とかいろいろ言ってくれるのである。
何故、農協はサポートをしないのに?集金だけしているのだろうか?
  農協ヨ驕ル無カレ 町民は傲慢と怠慢には態度で表すであろう・・・・
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愛犬SALAの躾はだれが

2006年11月14日 | 日記
11月14日(火) 晴 後 曇 夕方からは雨
  午前中は風が強よかったがウオーキング・コースの距離を測りに軽トラで山に行く。呑龍尊の案内板から直登のコースをゆっくり進むと日陰の部分の草が生えている場所は霜がまだ乾いていないのか滑り轍にタイヤを捕られ危なかった。家に戻ってきてから寒さに弱いイチジクの幼木に藁束を巻き付けて防寒処理をした。柿の苗木もした方が良いのか?植えたばかりなので少々心配だがもう少し様子を見ることにする。
  午後は宇山周辺の集落や山での鳥や草花のデジタル写真を整理する。今まで沢山写真を撮ってきたが日付で分けていたのでその日のホルダーの中には風景有り雉の写真有り、庭の草花有りとごちゃ混ぜになっている。これを基はそのままにして、季節・花・風景・行事など別のホルダーを作って整理するのは大仕事になるだろう。パソコンの便利さは充分解っているがプリントした写真でさえ友達からもらったり、昔の写真だったりと沢山箱詰めされたままで置いてある。
  パソコンの作業をしていると宅配が来ても離れるのが面倒だし直ぐに玄関まで行くのは億劫になるが、すかさず愛犬SALAが呼びに来る。家の中はトイレもリビングも全て引き戸になっているのでSalaは開けることができるのだ。これも今年の春頃から家中の部屋は勝手に入るようになった。母親としてのMは「和室にだけは入れたくない」と徹底的に躾たので最近は全く入っていないそうだ。しかし、困ったことに閉めることはなかなか覚えない。
これから寒い季節になるが開けっ放しの戸ではいくらストーブを炊いても暖房効率が悪くなる。
Salaに薪を運ばせるか、引き戸を閉めさせるか・・・・
当分は私が動くようになるのだろう・・・・
  
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ストーブの薪運び &TCV番組審議会

2006年11月13日 | 日記
11月13日(月)快晴 昼頃東から西への飛行機雲1本
  昨夜空全体に星が沢山見えたとおり今日も快晴だ。南側の芝生の切れ目に霜柱が長く土を力強く押し上げているのがわかる。だいぶ気温が下がったのだろう。
  午前中はストーブの薪を家に運び込まなければならない。薪は西側の廊下から台車に乗せたダンボール箱に縦に並べて運ぶ。今日はまだ日中も陽が入ると暖かいので薪ストッカー(写真)に軽く並べるくらいにしておく。薪ストッカーは市販では適当なものがなく町内のY鉄工所で制作してもらった。薪には虫が付いていないかなど慎重に確認しながら箱に入れる、薪に付く虫は二つ星のテントウムシダマシや臭いが堪らなく臭い屁糞虫?などがいる。また、外の薪は運んだ後に高さを揃え平らになるように並べ替えておかないと、強風やものがぶつかったときに崩れるおそれがある。今回運び込んだ薪はリンゴ、山桜と臭いの良い樹を薪にしたものでストーブを炊くのが楽しみだ。
  午後1時30分からは蓼科ケーブルテレビ(TCV)の番組審議委員会がある。これは以前一般から募集していたのに応募したもので11月から新たに任期が始まり第1回の会議だ。7名の審議委員で定刻に始まった。集まった方々は公民館活動で顔を知った方々なので緊張もなく討論に参加できた。TCVの資本形態が51%を立科町行政が保有するというので、町民と行政が反目したときの公平性はどのように保たれるのか不安がよぎったがしかし、この審議会が継続していく限りでは意見の公平や諮問に対する答申の場で審議委員個々人が対等の立場で責任を持つ事が重要だ。会議の進行と供にみえてきたことは撮影現場での町民からの細かな要望など、客観的な番組の見方では知り得ない御苦労があるようだ。また、個人情報の保護によるテロップの出し方など苦労されており、向後、デジタル放送の充実に向けて様々な問題と課題が山積しているように思えた。町民が必用とするTCVになることに向けて微力ながらお役に立ちたい気持ちを強くした。
  
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生きることと死ぬこと 今日の体験

2006年11月12日 | 日記
11月12日(日)晴 雲あるが心地よい
  午前9時30分に友人Y婦人が車で迎えに来てくれるのでその前に一通りのことを済ませておく。妻・Mも同行して丸子セレスホールで催されている『丸子地区消費生活展』を見に出かけた。10時前にはホールへ着きそのまま会場へ入る。入り口では葱、大根、ニンジン等生鮮野菜を販売するテントとが立ち忙しそうに野菜を並べているところだった。ロビー全体に様々な業種が出店しているが、目立つのは行政の臭いのしない主婦の団体が活発に活動している。特に地球温暖化対策としての研究発表では大気汚染をメインとして環境保全をテーマに毎日の生活の中での対応を訴えていた。健康作りのための9つの目標と題して「栄養・食生活」「身体活動・運動」「たぼこ」など等、心と体の事で細かいレポートと食の実際では小学校高学年の一週間の給食(実物)の展示などが目立った。また、多くの発表が世代間を感じさせないものだった。
  昼からはステージで各団体の発表があるのだが午後は松本へ行くことにしているため11時過ぎに会場を後にした。
  松本では1時から「尊厳死を考えるin松本」主催日本尊厳死協会が「あがたの森文化会館・講堂」に参加した。会場には80名位の人が集まり皆真剣な面持ちで資料に目を通していた。聞きたかった講演は「尊厳死の条件 太田満夫医師(九州がんセンター名誉院長・尊厳死協会副理事長)」で本日のメインである。現在の医療事故と医師の葛藤の話のなかで自分の意思とおりに最期を迎えるための意思表示が如何に難しいか。また、自らが選ぶ死に方を親兄弟親族、家族が認めることは常日頃会話の中に人の尊厳ということを話し合わなければできないことも事例を挙げて話していた。終末医療が意味のないものであっても施している延命治療は医者や家族誰の手によっても止めることはできないと法で定められている。
  私も妻も延命治療をしない尊厳死を宣言しているが、最期の時に「自分の死に様を自ら決められる」ことで医者との対等の立場でありたいと考えている。
                                     (写真は丸子セレスホールにて)
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観郷ウオーク 新コース検討

2006年11月11日 | 日記
11月11日(土)雨 後 曇 降ったりやんだりの一日
  晴れて欲しかった!天気予報のとおり雨!!
  朝9時30分に笠取峠松並木公園で「ユーユーたてしな」のH氏と待ち合わせをしている。「観郷ウオーク」の新コース設定で距離を測るために一回りすることにしていた。
  時間通りに軽トラで出発、集落の中を通り抜け曲がりくねった農道を走る。今日のコースは山道以外は全て舗装されているので雨の日でも走りやすい。ゆっくりと景色を見たり目標物を確認しながら走る。このコースには集落の人々が古くから守り続けている道祖神、神社、厄除地蔵尊、水神呑龍尊碑など等、多くのものが祀られている。道祖神には馬頭観音もあれば各家で守る屋敷神様もあり人々が自然を神と崇めて生活してきた営みが今でも続いているのが観える。登り坂に入ると雨に濡れた落ち葉が沢山積もっておりタイヤがすべる。急登のところは車で登るのは無理と見て迂回路を通るが、ここは赤松の自然林のため2日前の強風で枝が折れて道に散乱している。やがて城山の下に着き、ここからは急坂を歩きで水神呑龍尊へ向い90歩で標高903.5mの頂上に着く。西側隣地は長和町で学者村の別荘が建ち並んでおり、ちょうど中年の男性が出て来たので声を掛け話をすると10年前にここを手に入れ、買い物などは立科町を利用しているとのこと。「立科町の観光資源など考えると将来長和町と合併してくれると嬉しいが」と我々と同じ考えを持っているようだ。
  出発点の松並木公園に戻ったのが11時30距離8.3kmと長過ぎるので7kmに押さえなくてはならない。ウオーキングコースの設定にはトイレの箇所、飲料用の水場と休憩する場所を考慮を第一に考え、この町に住む者が人に歩いてもらいたい場所で自らサポートすることの楽しみは格別だと思う。
  午後は「山のこと水のこと歴史や畑仕事等々」お世話になり家族同士でお付き合いさせてもらっているY氏の退院祝いに伺った。昭和4年生まれ末永く元気で、まだまだ教えてもらいたいことが山ほどあるのだ。
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晩秋の片付け(2)

2006年11月10日 | 日記
11月10日(金)快晴 三日続き と言っても好い
  夕べ遅く寝たわりには今朝の目覚めが良い。6時に起きて外に出てみると意外に暖かいので冬が後ずさりしたようだ。
  今日の仕事は軽トラや農機具、除雪機等が置いてある車庫の大掃除をすることとなった。屋根は立派だが柱だけのコンクリートの土間だが、外で使うものは全て此処に置いてある。南から入る車庫として計画したが、突き当たりは東に曲がっており和室に面している。それ故、和室から見えるところにゴッタク(便利な信州弁)を置くと家人・妻からクレームが掛かるので此処にはストーブ用の薪を並べてある。
  10時作業開始、先ずは場所を塞いでいる桜の薪材を全て外へ出すと広いスペースが現れた。45cmに揃えて切り次に盾に割る。三年も寝かせた桜の樹は楔が入ると薪割機は要らないくらいにパカッと気持ちよく割れる。半分くらい割ったところで妻が公民館の合唱を終えて帰ってきたので昼食とする。
  食事は外で陽にあたりながら摂る、静かだ・・・やがてツカツカツカと離れた所にある小さな工場のプレス作業の音で午後の開始時刻だ。耳がその音に慣れてくると、同じリズムでチッチッチッチッっとの藪の中で鶯が地鳴をしている。食後庭を歩いているとオレンジ色のバラが霜に当たり赤味を帯びて咲いているが蕾は開くことができるのだろうか。また、隣には秋明菊の花弁が落ちたマッチ棒のような処が弾けタネが綿毛に包まれて風に乗るタイミングをねらってる。旨く飛んで新天地で芽をだせるのか?まるで蜘蛛が糸を張って風を待つのと同じように思えた。この季節は庭の花もほとんど終わり秋明菊の純白の綿毛、蓑虫のように沢山ぶら下がっている白樺の花殻などが眼を楽しませてくれる。
  来週此処の集落にある別荘に来る友達のために薪を五束用意して軽トラに積んだ。全ての薪を片付けたが予定した作業の1/3しかできなかったが五時半で暗くなり終了とする。
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八千穂高原から見る富士山は・・・

2006年11月09日 | 日記
11月9日(木)快晴 二日続き
  夜7時に消防団が鐘を鳴らしながら廻ってきている。火災の予防週間なのだろうか?朝は7時に半鐘がが鳴り霜の注意にしては遅いと思いながらベッドから起きあがったが、あの鐘を鳴らすのも消防団員の仕事だろうか??ご苦労様だ!!
  午前中に昨日の続きで管理機(小型耕運機)の手入れをした。ワイヤで引っ張るアクセル、クラッチの動きを連結するレバーの関連などにスプレイ・グリスを吹き付けた。更に車軸のグリスアップ用ニップルが欠けていないかを確認をした。昨年の春交換したままのエンジンオイルは除雪機の入れ替えの時にやることにして今日は止めた。冬までにはまだ仕事が残っている。薪のために確保してある山桜の樹を40cmに玉切りして更に割る仕事があるが月末の予定とする。
  10時半には外仕事を終えて家にはいると妻・Mが天気が良いので何処かへ行く?と声を掛けてきた。珍しい!!私をどこかへ誘ってくれてるのだろうと直感したが・・・・
  家を出たのは11時半、昼飯の心配があるが取り敢えず、女神湖方面に向けて走る。Mの車は基本的に私は運転しないことにしているが何故か今日は運転を任される。私が入院中にMが自ら看病疲れの癒しということで購入した、新しい車なので3ヶ月近くなっているが私が運転席に座るは初めてだ。女神湖に着いたのが12時を廻っていた、閑古鳥の鳴くここで昼食を摂る店はあるのだろうか?女神湖通りの上海料理店に入ったが思ったととおりの失敗!!早々に引き上げ八千穂高原に向かった。山の景色はすっかり落葉してメルヘン街道の一番高い2100m近くでは雪で辺りが白くなっていた。途中のドライブインは休みだったが看板に写真のように「富士山が見えます」とあったので見に行くと小さな頭だけの富士山が空の色に同化寸前でかすかに見えた。今日は好い日だ・・・・  富士山が小さくゴメンナサイ
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畑の冬仕舞

2006年11月08日 | 日記
11月8日(水)快晴 一日中雲一つない
  夜明け前に東側の出窓の障子を開けるとガラスが曇っている。今朝はどの位冷え込んだのだろう?西上州の山並みから日が昇って来るのを待って写真を撮った。陽が登ると供に浅間山連山が濃い紫色からグレーがかった色に変化してくるのが見事だ。ここから浅間山までどの位距離があるのかは知らないが朝陽の登るときには荘厳な趣を持つ。
  朝食後に外へ出ると昨日の強風でとばされた植木鉢のカバーや発砲スチロールの箱が裏山の上の方まで飛んでいたそうだ。大内道を挟んだ向かいの畑のIおばさんが拾ってきてくれた。礼を言うと「自分の畑のマルチが飛んでいったので取りに行ったから、いいに」といつものひょうひょうとした風情だ。今日の作業は9月の中頃に堀上げた(友人が掘ってくれた)ジャガイモの畑とタマネギの植わっていた(全く収穫できなかった)ところを肥料を入れて深く耕す作業をする。その前にニラ10株を別の処に移し、イチゴの病気にならなかった株も別の処に移した。耕すと云っても管理機で深く耕すにはなかなかうまくいかない。どうしても曲がってしまったり、前に動かなかったりで久々の農作業で力を使った。でも、やり終わると綺麗なもので来年に植える野菜のことを考えるようになるから勝手なものだ。近所の年寄りは「何でも好い、苗植ときゃ土が育ててくれる」好いことを云ってくれた。もっぱらこの手で行こう。
  畑起こしのすべての作業が終了したのは2時40分、昼食は妻が作ってくれたので外で食べたが、その取り合わせが愉快だ、おにかけうどん(野菜のみそ煮込みにうどんを入れる)漬け物、コーヒーゼリー、みかん、お茶!!自分ではゼッタイに作らないメニューだけど美味しく頂いた。
  管理機も今年はもう使わないので、ジェット洗浄機を使って綺麗に泥を落としてボルトなど不具合がないかを確認した。明日は油を差してやろう。
  
  
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観郷ウオーク たてしなの郷 に参加して

2006年11月07日 | 日記
11月7日(火)雨 後 晴(強風吹き荒れる)
  雷と強い雨が夜中から朝方まで断続的に降り四時頃の大きな雷では、愛犬Salaがベッドに飛び込んできたのには驚いた。
  今日は立科町の「まちづくり協議会ユーユーたてしな」主催の『観郷ウオーク』が行われるので天気が良くなくてはならない。10時前に集合場所、津金寺駐車場に着いたときには降っていた雨も北からの青空に押されあがってきた。第3班に組まれた私を含め6名は仁王門を10時20分に出発した。リーダーの持つ地図を頼りに9つのチェックポイントを探し当て、そこに表示してある質問に答えるようになっている。コースは山部から権現山を巡る5kmだが、ふだんは車で通る道や集落の中の道のをグループで歩きながら屋根の形や壁の作りなど時代背景を観察しながら歩くのが楽しい。また、集落の中は庭先を歩くようで今の時代一人で歩くのは阻まれるようなところも語りながら歩くと新鮮なものの見方ができた。津金寺へ戻ったのは12時20分、2時間のコースなので時間ぴったりに到着したことになる。途中の設問が歩く環境とは関係なく世界的な次元のことや数字(%)で表す生産高などが多く感じた。設問は歩きながらグループで話し合えるような問題だとより深く観郷について楽しめるのではないだろうか。10番目の問題に「地元の方に聞く」とあり、歩き始めて直ぐだったが住宅から出てきた方が町の物知りの方に聞くことができて全て正解のことを教えていただいた。
  全員戻ってから「のんき村の交流センター」でコシヒカリの新米で作ったおにぎり二個の軽食を食べながら回答合わせをした。満点は何点かは解らないが60点だったので自動車教習所なら合格、学校なら再試験と云うことだろう。散会した後に友人二名とお茶を飲みながら健康のことや町の活性化について歓談できたことが嬉しかった。次回以降また歩いてみたい。
  夕方 妻が買いものから帰ると玄関で、今日は霜が降りるから野菜をガレージにしまって!!と大きな声で叫んだ!!ウ~ムとは思いながらも軽くない腰をあげ下野に置いてあったジャガイモ、玉葱を米袋のに移し運び込んだ・・・・
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銀杏の焙烙と久々の対面

2006年11月06日 | 日記
11月6日(日)晴 後 雨
  雨が降り出したのは午後二時頃だった。思いの外遅めに降り出したので庭の片付けも予定道理済ませることができた。天気予報が当たらないのもがっかりすることもあるが、こう云うときはよいものだ。
  我が家には門代わりに風知草の植えてある石積みがあり、その上の段に萩が植わっている。この萩が黄葉すれば見事なのだが今年も夏に雨が多かったせいか何となく茶色に変色して既に葉のほとんどが散っている。萩の軸を根本から切り離し、来春の新芽には新たな芽を出させるのだ。根の張り方によっては昨年より株が大きくなっているものもあり、余計な部分の根を掘りおこして抜き取る作業も同時にやる。また、夏の間に梅の木やサクランボ(砂糖錦)・プルーン、プラムなどの枝を払ったまま脇へ積んであったもを焼却する場所へ運ぶのだが一輪車のバランスが斜面では取りにくく一苦労だ。まだある。春先から初秋まで白とピンクの小菊のような花が風に揺れて咲く孔雀草これも冬に向けて根元から切り取る。根元を見ると既に来春に芽を出す準備ができており慎重に切らないと新芽の処まで切り捨ててしまうことになる。切り取った後は焼却場へ運び込み新芽の部分には枯れ葉を掃き集めて冬の寒さから守るようにしておく。雨が降り出したのは残滓がほとんど燃え尽きた頃だったので良かったが、昼を食べたばかりなので今から家にはいるのは少々残念だ。
  家ではキッチンに銀杏専用の焙烙が出ていた。妻が物置のダンボールから出してきたようだ。先日、商工会祭で購入した「銀杏」を焼くつまりなのだ。妻の掃除中に私が銀杏を煎る役をやろう。綺麗に焼ければ茶碗蒸?筑前煮?何になるんだろうか?と思いつつ焼き始めたが銀杏を割る専用のペンチのようなものが見あたらない。仕方なくクルミ割りの道具を出して割始めた。上手く薄皮がとれない。茶色の皮をとれば綺麗なグリーンの色が出てくるのだが・・・・
  東京にいたときには自前の銀杏で毎年焼いていたけど、この五年間は全く銀杏に触れていなかったので腕が落ちたのかもしれない。
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晩秋の片付け

2006年11月05日 | 日記
11月5日(日)快晴
  朝日が登ると山襞から靄があがってくるのは晴れの日の兆候だ。
  冬を迎えるための庭の片付けができていないので今日始末を付けたい。枯れてタネを沢山もったコスモスも大方は処分してあるが畑のはずれなどに残っている。これを始末しないと来年とんでもないことがおこるのは明らかなこと。他にも風に乗って飛ぶ種を付けた草が何種類かあるがコスモスとおなじように処分する。10日位前に引き抜いて積んでおいたのはすっかり枯れて今日一日で焼いてしまえそうだ。田舎の良いところは畑の残滓などの野焼きはよしとされている。良く乾いた植物を焼くときに出る煙は火と人との関係の原点を感じさせる。
  今朝から妻は親しくしている友人S婦人と角間温泉、菅平方面に紅葉狩りに出かけた。午前中は紅葉見物で午後はコーラスの演奏会があるので上田に廻るそうだ。妻は「帰りは夕方になるからお昼自分で食べて!!」と言い残し出かけていったので今日も手前昼飯で何を食べるか考えながら外仕事をしていた。
  白樺の皮がだいぶ剥がれ掛かっているので綺麗にしながら新たに虫が入っているかを慎重に確認しているとやはり樹液が垂れてシミになっているところに小さな穴がある。荷札の針金で中を探るが何も出てこないので薬を入れて蓋をした。小さな虫でも既に冬眠の準備をしているのだ。周辺には白樺の落ち葉が落ちていたのを掃き集め平茸の原木の周りに山のようにした。これで来年も楽しめるだろう。
 空腹になったのは午後2時過ぎ、道具を片付けて家に入った。昼飯は味噌仕立ての茸汁にうどんを入れて食す。美味い!! 一人飯だが納得して食べる。

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演芸会と音楽会 祭りにふれあう

2006年11月04日 | 日記
11月4日(土)晴
  朝食をいつもより早く済ませ妻の車に同乗して出かける。
  今日は立科町「商工会祭り」と福祉協議会「たてしなふれ愛むら」のイベントがあり、妻はふれ愛むらのヒューマンコンサートでコーラスに参加する。私は商工会の様々なイベントを見るのが初めてなので何となく嬉しい。
  10時前に会場に着き友人H氏と出会う。町役場の駐車場中央に作られたステージに向かうが、途中模擬店の中では焼鳥やスペアリブの好い煙が登ってる。やがて10時にピエロがアコーディオンを弾きながら唄を歌い出した。以前にもこの町に来ているそうだ。次に風船で犬や猿を作りながら皿回しまでこなしている。一生懸命が売りなのだろう芸は身を助けるのサンプルのようだ。30分ちょうどでステージが終了したのは一流の芸人さんに匹敵する。兎角、素人に毛が生えたような芸人は時間が延びて次の出番や会場に迷惑を掛ける。今日のピエロはしっかりと芸人というわけだ。次に開場を一巡した。商工会のH氏中央公民館の活動でも一緒のT氏の店では銀杏を焼いたのを食べたが、緑色の新鮮な銀杏だった。懐かしい、東京に住んでいたとき家には銀杏の樹があり秋のご馳走だった。一袋に沢山入っているのが200円お買い上だ。
  コーラスの会場に向かうとここでは豚汁が無料ということで美味しくいただいた。次には町の文化祭の展示物を公民館で見て回った。皆さんの多趣味と堂々とした作品には感心した。俳句、川柳、書道、油絵それに、キルティング、木彫と多種多様奥が深い素晴らしい。一階にお茶のサービスがあったのでお手舞いを一服いただいた。コーラスの時間になるので会場へ急いだ、この演奏会が私もH氏も今日の目的でお互いに妻が参加しているのだ。皆さん元気よく綺麗なハーモニーが聞こえる。「幸せなら手をたたこう」の唄も聴衆と心一つになって楽しいひとときだった。公民館活動の一環として自主運営されているコーラス「童謡唱歌を歌う会」の発展あれ!!
  コーラスを聴いた後はH氏と観郷ウオークの宇山7kmコースを実踏した。アップダウンのあるコースを二時間半歩き通しで疲れた。                      
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本を読む 雑感

2006年11月03日 | 日記
11月3日(金)文化の日  曇 後 晴薄雲多し
  ここの集落は子供が少ないのか休日と言っても平日と変わらない静けさをを保っている。天気予報では快晴のはずがまた朝日がまともに出ない。向かいの山が霞むように曇っているが午後には北の方から晴れてくるだろう。
  朝食の片付けも終わったところでテーブルの読みかけの本を手に取った。
  立松和平著「道元」である。これは「傘松」として大本山永平寺が発行(1998年9月~2002年4月号)に掲載したものを1冊に纏め、4年前に出版されている。出版されたときの書評を読みそのままになっていたのを、今年の6月に古本で購入した。実際に読み始めたは10月頃、読書週間に合わせてだと思う。福井県の永平寺は道元により建立されたものと以前から教えられていたため何時かは知りたいと思っていた。また、永平寺と町内にある古刹『光徳寺』とは同じ宗門であり関係が深いのだと檀家の方が話をしていた。本の内容は『地・水・火・風・空』と各巻に分かれており誕生前の時から年代を追って表されている。
  初めに「地の巻・水の巻」までは読んだがそのままになっていた。4百頁のものなので半ばまで読んでリビングに置いたままだったが、続けて読むとなると読んだところを戻りザット目を通してからでないと「火の巻」には入れない。仏教の歴史と思いながら読むこととする。これからは外仕事が少なくなるので最期まで続けて読めるだろう。
  本は読めば取っておきたくなる。しかし、良いと思う本でも、結局そのまま本棚の肥やしになり処分をしなければならなくなるが、本をゴミに出すと云うことは苦しいことだ。今はどこの図書館でも古い本は受け入れてもらえないのが当たり前で処分も難しい。なんとかならないものだろうか・・・・
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大深山常会

2006年11月02日 | 日記
11月2日(木)晴 雲多し
  午前中に商工会へ環境ウオークの「宇山水神呑龍尊と里山を訪ねて」の整理した資料を届けようとプリンターを使っていたが、具合が悪いカラーが全く印刷できないし黒色もハッキリと印字しない。8月と翌月の半ばまで電源を入れっぱなしにしたのがいけないのか?具合が悪い!今度はプリンターを入院させるようだ。この故障は9月の下旬に気がついてメーカーに問い合わせたりネットで調べたりしてだましだまし使っていたがそのときもカラーは全然印刷できなかった。インクも6色全て新品に交換したのだけどダメダ!!修理に出しても修理代が幾ら掛かるのか?また、見積もりにも費用がかかるらしい!!困ったものだ。なんとか挨拶文だけ印刷して細かいところは手書きでよしとした。コースの詳細や写真はCDロムに書き込んだのでよい。妻の帰りと入れ違いに商工会へ届けた。
  19:30からは大深山集落の常会がある。都会で云えば町内会、15世帯で各戸代表1名の出席が義務付けけられているが何人集まるだろう。5分前に集会所へ行くと既に大方集まっており、役場の農政課長、土地改良区(農業用水管理)の担当者も来ていた。議題が19年度から国を挙げて農村を守ろうということで『農地・水・環境保全交情対策』と題して説明会があったのだ。
  この政策は『農地・農業用水等の資源は、国民共有の財産であり、これらを子や子孫の世代に良好な状態で引き継いでいくことが必用』と大儀名文のある地域住民協働の事業である。これも観郷ウオークやホットステイなど都会の人々の田舎体験、農業体験に含めても良いのではないだろうか。
  このことに関しては来週にでも採りあげることにしよう。
(写真は大深山集落の一齣)
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