田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

正しいこと、正さなくてはならにことを考える一日だった

2007年07月18日 | 日記
7月17日(火)曇り 乾いて爽やかな風が吹く 一日中曇り 夜 雨
昨日の地震の恐ろしさをまざまざと見せ付けられたTVだが・・・
今朝は報道管制がなされたように原発の耐震性に関して話題になっていない。
一部のTVで昼のワイドショーで話されてはいたが、海外のメディアでは放射能漏れがが発生しているとのことだ。
日本の正しい情報はどうなのだろうか?

福岡で選挙演説をしていた安部総理が急遽東京へ戻ったのだ。
そこまでは良いとしても、またしても何方が進言したのか判らないが、新任防衛庁長官かもしれないが・・・
長官「総理!!自衛隊のヘリで新潟へ飛んでください」
総理「エッ 今東京へ来たんだからぁ~ 好いの」
長官「ダイジョウ~ブ 落ちはしませんよ(とは言わなかったと思うが)
安部総理が自ら新潟の地震災害現場直ぐに確認したかったのならば・・・
九州から直に行けばよかったと思うが!!
ヤッパ カングッチャウンダヨネ 誰かに言われて、選挙の点数カセイデヨ!!
不謹慎極まりないが、真剣に考えれば、危機管理の最高責任者は本部へ居るべきだったと思うね!!

朝飯を摂りながら向かいの山を見ると、平らな部分をカップルで地面を見ながら行ったり来たりしている姿が見える。
両手に何かを持っているのだろうか?
雨は降っていないが風は冷たい・・・
今頃採れる山菜は何だろうか?
午後になってその理由がわかった。
彼らはIターンで別荘に済むAさん夫妻だった。
彼らは玄関前に敷き詰める丸い拳よりも大きな石を拾い集めていたのだ。
彼らの別荘へレタスを持って行ったときにそれを確認することができた。(写真)
玄関前は粘土質の地面がむき出しになっていたが綺麗に石が並べてあり美しい。
ご主人のTさんは裏の勝手口のところに竹垣を作っていた。
竹を止めるために紐の結束法の本が開いてあり、マニュアルどおりに結び目が美しくなっていた。
明日には扉も完成させたいという。

夜は“たてしなエコ・クラブ”の定例会があり出かけた。
俺の畑のレタスがこれ以上雨に当ると良くなさそうなので、収穫して皆さんに分けられるようにもって行った。
定例会では新しい情報や意見交換ができて充実していたように思う。
何が正しくなにを正さなくてはならないのだろうか?

昔の人は《住めば濁るのたとえあり ・・・》とは良くも言ったものだ
後に続く言葉は文字に出来ないが、住めばにごるはエコにも通じる。
魚が棲めないくらいに澄んでしまえば、“エゴ”になってしまう。
適度に人が住みやすく、口の利けない植物や動物の棲み易さが大切だ・・・・
会も回を重ねるごとにエコ意識がまとまってきたように思える。



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新潟中越・長野北信の皆様お見舞い申し上げます

2007年07月16日 | 日記
7月16日(月)海の日 曇り 重たい雲の間から少しだけ青空がのぞく 曇り
台風一過とはいかない梅雨空で夜が明けた。
小綬鶏の雄叫びが鋭く裏山から聞こえる。
今年になって家の近くで啼きだした鳥だ。
東京の郊外にある俺の勤めていた処では4月頃から啼きだしていた。
梅雨の時期には雛をつれて母鳥が先頭で雄が最後に付きテニスコートに姿を見せていた。
親鳥が危険信号を発すると雛は草陰に頭を突っ込み、文字とおりの「頭かくして尻かくさず」可愛い仕種だった。
此処の集落でも向かいの山の向こう側で啼いていたのが、裏山まで移動して来たのだろう。

リビングで新聞を読んでいて椅子から立ち上がった瞬間、目まいがしたようにフワフぁっとすると同時に体が揺れた。
瞬間一年前の再来かとも思ったが・・・・・
Mが『テーブルの下!!テーッブル・・・・Salaサラ~サラ--------テレビテレビィー』叫ぶ!!
愛息Salaはその叫び声に驚いて右往左往上下ナナメ・・と興奮している。
俺は立ったままで数歩あるきSalaを抱えてMに渡す。
地震だね。
実際、俺は自分が立ち上がった瞬間のことで、立ち眩みと信じていたからさほど怖くはなかった。
我家の被害は壁のゆれからか、Mの声高の響きからなのかは明白ではないが・・・
CDプレーヤーの後ろに立てておいた“アナピア アントニーニ”のリンゴのリトグラフが前に倒れ掛かっていた。
俺には地響きも聞こえたように思えるが・・・・・
Annapia Antonini http://www.maisondart.co.jp/img/photo/B0170a.jpg
テレビを見ているとまた、新潟・柏崎では大変な被害のようす。
柏崎の海岸近くは昔からの家が多く、瓦を載せた大きな屋根の家が多いがそれが崩壊している姿が画面に映る。
火事にならなくてよかったと思う。

午後はエコ・クラブのパンフレットの印刷をした。
東京の友人からたくさん地震見舞いの電話をもらった。
此処は東信州だがから震度4ですんだが、裏に山を抱えている故、他人事ではない。
電話で話しながら印刷をしていて、出来上がりをみると表裏と印刷するのを、オモテ・オモテとしてしまった。
大事な会の用紙をムダにしたようだ・・・・・
弁償は カラダで返すことにしよう!!


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リンゴも関大1中の生徒も立科の大事な財産なのだ

2007年07月15日 | 日記
7月15日(日)台風の直撃はなかったが 一日中雨がつづく 夕方 曇り
昨日に続き雨で夜が明けた。
昨年も今頃に大雨が3日間続いたと思う。

昨日の“ほっとステイ”で町へ来た中学生は9時に蓼科高原を出発して、学校へ向かった。
中央自動車道は岐阜県境で通行止めだというが・・・・・
関大1中のHPを見ると速報が入っている。
『12時に北陸自動車道(上越ジャンクション)を通過いたしました。現在のところ、順調に大阪に向かっています』とある。
台風を避けて日本海側を通っていくようだ。
時間を追って次々に速報が表示されている。
『現在、北陸自動車道の有磯海サービスエリアで昼食をとっています。現地の天候は晴れており、13時40分に大阪に向けて出発いたします。(生徒達は元気にしているとのこと)なお、到着予定時刻ですが、現地からの連絡によりますと、このまま順調に進んだとしても、予定到着時刻(17時)を過ぎる模様です』
順調に進んでいるらしいが・・・・・先生方も父母も心配していることだろう。
次には
『現在、北陸自動車道の南条サービスエリアで休憩しています。16時10分に南条を出発し大阪に向かいます。なお、現地からの連絡によりますと、到着予定時刻(関西大学千里山キャンパス 総合図書館前)は、18時頃になる模様です』とある。
生徒たちは無事に家路に着き疲れて、今は爆睡中なのだろうか?

立科町でも生徒が修学旅行やスポーツ大会で出かけているときには、有線放送で状況を伝えている。
特にこの町の場合は町民一人ひとりが関心を持ち、安心したり残念がったりするのだ。

昼前には小雨になったので、五輪窪のYHさんの家へ届け物に出かけた。
ここ五輪窪も台風の来襲がなくほっとしているところだろう?
今年は5回もの降雹にあって散々だと言っていた。
帰りがけにリンゴ畑を通ってみると、心なしかリンゴの数が少ないように見える。
木の下には省かれたリンゴが落とされているのが寂しい。
残っている実は小さくてもリンゴの形をして、この雨粒をしっかりと受け止、しかも、薄らと色づいているのだ。
収穫までにこれ以上の災いは来て欲しくない。

リンゴも関大1中の生徒も立科の大事な財産なのだ
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雨の中の“ほっとステイ”・・・・・

2007年07月14日 | ほっとすていたてしな
7月14日(土)雨 雨 一日中雨降り
雨が降る中国道254号線の出会いまで田圃の中を歩き、関大1中の生徒を迎えに出た。
予定の15分前に到着と同時にバスがきて、絶妙のタイミングだ。
雨中の“ほっとステイ”簡単に挨拶をしたが、6名の中学生は傘を持っていない。
若者は傘をささないと聞いてはいたが・・・・・・

午前中はお互いに自己紹介をしてから、彼からの手紙に書かれた質問に答える。
此方から更に深く聞くと返事がはっきりとしない・・・・・
ジュースとお菓子の休憩でだいぶ緊張がほぐれたようだ、次に「食の安全について」話し合った。
マスコミの報道する肉の問題や中国のダンボールの肉片偽造などについて語ってくれたが、余り身近なことには気がついていないようだ。
食の安全を徹底させるには家庭菜園でも「循環型の農耕をしなくてはならない」こと「生産者の姿勢が見える食物を手に入れる」ことが重要だと話した。
手に入れた食材から野菜屑や魚の骨、海草などを使って肥料を作ることを話して、
我家の生ゴミ堆肥化の説明をした。

昼飯の前に一旦外に出て生ゴミ堆肥化のダンボールに仕込んでおいた玉子を取り出した。
ダンボールの中の温度は67℃もあり、当初想定した温度より10℃近く高かったので「温泉玉子」より「ゆで卵」になっていた。
彼らは微生物が醗酵するときの温度がこのように高くなるのに驚いていた。
昼飯のときに食べれば良いと思っていたが、速食べだしたのには驚きだ!!
スイタシ(吹田市)の学校なのだから・・・・・理解ができる?

昼飯のあと一時三十分から「立科の水について」勉強をした。
山の湧水から引く農業用堰、井戸水、川についてレジメを作っておいたのが役に立った。
また、公民館図書室から借りておいたビデオ「知ろう守ろう蓼科の水」を観てもらった。
町民と役場、信濃公害研究所が協働して町内の川を調べたVTRだが、6人は真剣な眼差しで見ていた。

一日中雨のため家の中で過ごしたが、昼休みに40分間家の中での自由時間を設けたのが親近感を持ち楽しかったようだ。
雨のときの“ほっとステイ”では何をしたら良いのか?の勉強会を開きたい。
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“ほっとステイ”の受け入れで学ぶことが楽しい

2007年07月13日 | ほっとすていたてしな
7月13日(金)曇り 曇り 小雨 曇り
午前中はゴミ出し、畑の一巡をしてから朝飯を摂った。
向かいの山に霧が立ち込めていかにも雨が降り出しそうだが・・・・・
庭に出るとハスカップの実が完熟に近くなっている。
はちきれんばかりに丸く脹らみ美味そうだが、この小粒の誘惑に負けると渋みが口いっぱいに広がるのだ。
ハスカップはアイヌ語でクロノウグイスカグラと云う名が有る。
昔に北海道に行ったときに一面ハスカップの畑になっているのを見たことがある。長さ1センチの俵型でビタミン・鉄分・カルシウムを含み独特の酸味がある。
この木は此処に移り住んで直ぐに植えたが未だに大きくはならない。

昼飯前に役場へ行き町民祭りに関する書類を提出してきた。
これも小額だが参加することで補助金を出すという陳腐な仕組みになっている。
集落でハッピを買えば・・・・、神輿を出せば・・・・、挙句の果ては祭りの当日に農協が焼肉を振舞うと聞きいていた。しかし、それに対して町が金を支払っているのだ。何ゆえに無料で町民に焼肉を提供するのかが理解できない。
『祭りに来ないものは損をするから町民は全員来なさい』と云っているようだ。
陳腐な祭りとしか思えないが・・・・・田舎の常識なのかもしれない。
帰りには農家を支援するというコメリで収穫用コンテナを3個と籠を買った。
これでガレージに広げてある野菜が整理できるかもしれない。
しかし、コンテナに野菜を入れて積み上げると重い・・・・・
下のコンテナに入れたものを取るときにはど~するのだろうか??

午後は明日迎える“ほっとステイ”の中学生向けのレジメを作る。
これは昨日の留守の間に係のYKさんが資料を届けてくれたのだが、その中に校長先生からの依頼書が入っていた。
これを見ると、目標として「『水』をテーマに勉強してきたので農業用水について実感させてほしい」とある。
また、「『食の安全』として食を作る責任」を生徒たちに考えさせたい」とのことだ。
更に「『日本の農業の現状と先行きについて』として『食べる』という動物にとってもっとも大切な営みが直面している事態を、より実践的に理解させたい」とお考えのようだ。
大きな過大だと思う!!
このような課題が有るならもっと早く知らせて欲しかった。
慌てて調べたり書いたりしても理解できない・・・・・
感覚では判っているが生徒たちのアンケートでもお利口さんのことが書かれている。
自分なりに誠意をもって楽しんでみよう
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時計草の花は花時計

2007年07月12日 | 日記
7月12日(木)曇り 小雨  薄日 雨 曇り 少しの夕焼け
朝食後の小雨のなか家の周りを歩いてみる。
去年同じ頃に「ホタルブクロ」が咲いていたところを見に行くがない・・・
夏の花が咲き出して、春先に俺が生食をして往生した「ノカンゾウ」が咲き出している。
水路には一週間前に刈り込んだセリの新芽が出ているのみつけ、摘まんで口に入れると好い香りがする。
春先のように強い香りではないが、野趣たっぷりだ。
家に入り友人YTさんが屋久島へ行ったお土産に貰ったパッションフルーツの種を取り出した。
種から時計草が芽を出し花を咲かせるだろう。
信州では花を見るが実を成らせるのはムリのようだが・・・・
http://www.hana300.com/tokeis.html

ぐるっと廻ってくるが目新しい花はないがニシキギの植え込みに蜘蛛の巣状のものを見つけた。
Mから早く取るように言われていた虫の巣だ。
だいぶ動いていているので殺虫剤で一吹きに始末した。
しかし、殺虫剤を使うと途端に鳥が来なくなるので余り使いたくはない。
畑に廻り、トマトの発芽を確認すると7つ芽が出ていた。
だいぶ良い成績だがまだ8割にはならない。
梅雨明け前には畑に定植できるとよいが・・・・・
ポットに植え替えたバジルもだいぶしっかりとしてきた。
レタスも大きくなり、鮮やかな色を出している。
ブロッコリーの仲間のスティックセニョールは虫が沢山ついている。
木酢液に酢を混ぜてかけても雨が降るせいか効果がない。
まるで虫の餌を提供しているよな気がしてくる。

午後は公民館と役場へ行く。
公民館は駐車場が一杯で普段見慣れない高級乗用車や大型のアウトドア用の車が止まっている。
やっと裏のほうへ車を止めることができた。
何の行事をやっているのかた事務所で聞くと「猟銃の所持免許」とのこと。
講習会が行われているには人が沢山ロビーにいるが・・・・休憩なのだろうか??
目的の『蓼科の水』のビデオと解説書を借りに来たのだ。
土曜日に“ほっとステイ”で来る「関西大学付属中学」の生徒の目的が「水」と「食の安全」なのだと、校長先生のあいさつ文に載っていた。
蓼科の用水については今月の「ふるさとプロジェクト」で弁天神出水などを見学に行くので、事前の勉強をしていた。
また、「食の安全」も特に気になっていることで、科学的に処理をした野菜や穀類に問題があることを調べていた。
マーガリンがバターより身体に良いという業者の宣伝で信じているが・・・・疑問だらけなのだ。
中学生と初心に帰って学んでみたい。
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採血・眼科・内科と 能天気な 患者なのだ

2007年07月11日 | 健康
7月11日(水)曇り 雨 曇り 雨・・・・・・
10時30分を目指し佐久総合病院へ向かう。
今月でこの病院とのお付き合いが始まって1年を迎える。
その前に一度、体調が思わしくなく寒い12月の中頃だったか来たことがある。
その時には場所もわからなく散々迷った挙句に着いたがみぞれ交じりの雨が降っていた。
立体駐車場が満車で川原の駐車場を案内された。
駐車場の入り口まで行くとビッシリト何列にも並んだ車が止まっている。
ざっと見ても空がない、『こんなところへ駐車して雨の中病院まで歩いたら、本当の病気になってしまう』と引き返してしまったことがある。

今朝も病院へつくと小雨だが沢山の水溜りが出来ている。
運よく出る車の人が合図をしてくれたので、近くへ止めることができた。
10時半に採血、11時に眼科、12時に内科が予定。
しかし、採血は直ぐに行われ、眼科へ向かうと待合室が満席なのだ。
予約票を出して階段の手すりに寄りかかりながら本を読む。
眼科の待合室で本を読んだりしている人は皆無に近い。
場所柄、眼の不自由な人が来るのだから・・・当然のことだが、俺には自覚症状がないから始末が悪い。
12時10分前に名前を呼ばれて視力検査、検査員の女性看護師は「変わりありませんね」という。
俺は『キョウワ ドウコウヲ ヒラカナイデ クダサイ』と云う。
女性看護師は「センセイニウカガッテオキマス」ときた!!
瞳孔が開いているか否かを見るのはご臨終のときだが、眼科では眼底から脳へ続く血管の状態を見るそうだ。
これをやられると3・4時間は車の運転がムリなので今日は断った!!
たいした用事が有るわけもないが、それほど俺の眼科通いは危機的ではないと勝手に思っている。
視力検査が終わるとまた待合室で本を開く、しかし、切羽詰った患者が後ろの席
の話しが聞こえてくる。
“手術をしても良く見えない、先生は別の大学病院を紹介するといっている”心配気な老夫婦だ。
本を読むのは申し訳ないと閉じると、中待合室へ入るように呼ばれた。
既に12時15分になっている・・・・
眼科の診察が終わったのは12時半だった。

カルテを預かり急いで内科へ向かうと、まだ順番が廻ってこない。
内科のO先生の午前・午後の決まりは先生が昼の食事を摂る前が午前、後が午後となる。
俺の名前が呼ばれたのは1時少し前だった。
会計に向かう途中でGH看護師に偶然であった。
昨年入院していたときにお世話になった方で、その後も親しくして貰っている。
全てを済ませ駐車場へ向かうと豪雨が止んだあとでラッキーだった。
水溜りを避けながら車までジグザグにあるいた。

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7月10日(火)雨の日は静かな楽しみがある

2007年07月10日 | 日記
昨日からの雨が目覚まし時計の代わりになる。
朝方は雨脚が強く東の風に乗って降るために出窓の庇やガラスを打つ音で目が覚めた。
寒い!!気温が下がると天気予報で言っていたとおり・・・・・
Tシャツの上から綿のジャンパーを羽織る。
これも40代の頃に海へよく行っていた頃のもので、着慣れていて好きな一つだ。

朝飯は久しぶりに“ご飯食”=和食になった。
夕べ、Mが「パンを焼かないとない、朝のパンはど~しよう?」と云う。
ど~しようと言うことは『今から焼くのはイヤだ』と同じ意味合いなのだ・・・・
すかさず俺が「ゴハンにしよう!!ゴハンも好いんじゃない?」絶妙なタイミングなのだ。
そういうことで、納豆・梅干・海苔・小女子の佃煮・・・・他、と揃ったのだが、次がいけなかった。
味噌汁を仕上げているときにMに電話が掛かってきた。
俺がIHのところへ行く前に半分くらいがふきこぼれた。
何となく言葉少なに朝飯が始まったのだ・・・・・

午前中は低気圧のせいか体がだるい。
雨も小雨になっているところで、外に出て生ゴミの処理やら、軽トラの荷台のシートのゴムを替えたりした。
調理用トマトはまた、発芽が増えている。
バジルの苗も順調に育っている。
所詮ハーブなどと言って特別扱いするが、そもそもフランス語で「草」だ!!
そこいらの雑草だってちぎれば千差万別の香りがする。
好きか嫌いかは別問題ではなかろうか?

昼飯は久しぶりに愛息Salaもテーブルに着いた。
じっと待ち、食べても良いと言われるまで横を向いたり上を向いたり、テーブルの食べ物へは目を向けない。
ハイッということであっという間に完食する。
次は俺とMとの間を行ったり来たりして、レタスの葉や最後に残す豆腐は彼の大好物なのでそれまではまた、オアズケなのだ。

夕方に一瞬雨も止み、畑の野菜も育ちすぎているので友人S家へ届ける。
いつも喜んでももらえてありがたい。
かれも都会から移り住み立科を好きになっているご夫婦。
素人ながらオーガニックの畑で採れたものを喜んでくれる貴重な存在だ。

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“ほっとステイ”は受け入れ家庭が楽しく過ごす

2007年07月09日 | 日記
7月9日(月)曇り  薄日が射す   夜 雨
朝飯前に畑を巡回すると、料理用トマトの種を蒔いたポットから更に芽が出ている。
今回は気温が高くなっているためか発芽の確立が高い、種の袋には80%とあるが・・・
ポットに刺しかえた発芽したバジルも全て順調に育っている。
トマトも良し、バジルも良いとなれば“トマトソース”は出来たと同じように思うのはチョット早すぎだろう!!
バジルが沢山育てはバジルソースも作れる。

昼前に中央公民館へ行き地区の役員の住所を調べた。
調べたと云うよりも、使用目的を話して教えてもらった。
今はプライバシーの問題でどこの組織でも住所録は作らない。
かつてはどんな小さなグループでも先ずは、連絡網とか云って住所一覧を出したものだ。
企業などは家族の名前までも入れたものを冊子にしていた時代もあった。
あの頃は、それによる被害などはなかったのだろうか?
住所を写し終えた後に、人権センターへ立ち寄り9月の学習会の日程を確認しておいた。
ここでも、センター長は役場から移動した新任の方で名前を聞き逃してしまった。
名前を知らないで過ごすことは人権問題かもしれない。

午後は「たてしな歴史研究会」例会の知らせ、「連合分館球技大会」の区の役員に向けての会議案内文の作成と印刷をしてポストに入れた。
午後6時からは町老人福祉センターで「たてしなほっとステイ」の懇親会に参加した。
会長の“浅間の煙”先生の挨拶で始まった(写真)
生徒の受け入れ家庭の楽しいこと、困ったことなどを話したり、お互いに情報交換をして有意義な時間を過ごすことができた。
ほっとステイは天気の良いときには色々なことが出来るが、雨が降ると困ったものだ。
今月14日に関西大学付属第1中学校の生徒が来ることになっており、彼らから今日手紙が届いた。
大体が農業を知りたい、体験したい・・・・とある。
我家は農家ではなくサラリーマンでもない!!
自然の中で如何に楽しみを見つけ出すか、人間では作り出せない自然界の多くのものを見て体験させたい。
楽しく過ごすことが唯一の成功の道だと思う。


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続 ・ 紡錘型の花の名前は?

2007年07月08日 | 日記
7月8日(日)曇り 涼しい風が適度に吹いている 夕方から雨
どんよりした雲が低く垂れ込めている。
向かいの山と山のあいだには湿てよどんだ空気がたまっているように見える。
外に出ると涼しい・・・・・
この梅雨時に涼しく乾燥しているが風が吹いてくれるのはありがたい。
調理用トマトの種を蒔いたところを見ると双葉がでて万歳をしている。
しかも三つも芽を出している、トマトソースを作るためだから秋の収穫で良い。

昨日の花の写真は暗くなってから撮った写真で全く意味不明のものだった。
我家は相方も俺も、珍しい花などを見ると直ぐに欲しくなる。
それも花屋さんに売っているようなものではなく、路地裏に咲いているような物だ。
しかし、その場で名前を聞いて直ぐに株を分けて貰ってくる。
株が少ないときや環境が違いすぎる場合は「種ができる頃に再び訪れるから」と云ってもらうのである。
しかし、そこで問題が起こるのだが・・・・・
忘れてしまうのだ。
種を貰いに行くことを忘れるのではなく、名前を忘れてしまったり、もっと酷いのは、どんな花かを忘れてしまう。
後者の場合は最悪で、今年も『大事な種』と書いた紙ずつみの黒い芥子粒のような種を蒔いた。
内心、黄色のオダマキかと信じていたが・・・・違うもののようだ。
蒔いた種が全て発芽してくれたのだが、どんな花が咲くかは判らない・・・・・

昨日のブログに載せた写真はなんだか判らない!!
暗くなって思いついき、慌てて撮った写真だから・・・・・
今日の写真は全体を斜め上から撮影したもので、春先に咲くスズランの後から咲く花だが何と云う名前だろうか??
今までもブログを通じて教えていただいた花の名前は、“ホタル草”“八代草”・・・
今は写真に名前をつけるので忘れることがない。
と云うよりもPCで咲いていた季節を出せば直ぐわかる。
これからは一過性健忘症が進み・・・どのファイルに入っているのかが判らなくなるときが近いのかもしれない。

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紡錘型の花の名は・・・

2007年07月07日 | 日記
                       家の北側でひっそりと咲く花
7月7日(土)曇り  薄日が出る  曇り  夜 霧が濃くなる
二三日前の天気予報では週末は雨が降るとのことだったが、雨は降っていない。
天気予報は外れて雨が降ると「予報だからしかたがない」とは言えないが、外れて晴れたときはなんとも思わない。
その日の行動が天気によって左右されるようになったのは、ここに移り済んでからのこと、都会では余り関係なかった。
若い頃の職場はまったく天気に関係なく、窓一つない場所でそこへ入ってくる人も傘は持ち込めないようになっていた。
出勤するときには雨が降っていて、帰りに雨のつもりで玄関まで行くと晴れていることが度々あった。

午前中は薄日が射すような天気だが乾燥していて気持ちが良い。。
TVのニュースのあとの天気図を見ると、太平洋側に低気圧があり日本海側に大陸の高気圧がある。
このような時は最高に爽やかなのだ。
向かいの山の景色を見ると谷の部分いは霧が立ち込めて、いかにも湿度が高いように思えるが風が通るところでは寒いくらいだった。

午後は一時に中央公民館で“たてしな歴史研究会”の役員会を開く予定になっている。
俺が駐車場に入ると既に監事のHKさんが来ている。
15分過ぎになっても会長と副会長が来ない。
電話をしてみると『アシタデネエ~カ』と云うが・・・・・
直ぐに来てくれるというので少々待つが、二時少し前に四名全員が集まることができた。
今年度初めての役員会なので年内の奇数月に開く例会のテーマを協議する。
7月は町内津金寺所蔵の文化財を見学し和尚様から解説をして貰うことを予定とする。
9月は町内の集落の文化財を見聞することにした。
11月はいろいろ意見が出るが決定にまでには至らす、後日再度検討することにした。
それにしても、副会長のYIさんの生活感のある歴史の話に大いに興味が沸いた。
楽しい役員会だったのが嬉しい。

今日は七夕なので夕方には星が見えることを願ったが、相変わらずの曇空だ。
天の川は東京でも見ることはできたが、此処へ来てからは本当に手が届くように見えるのだ。
しかし、七夕の時期に天の川を見たことはない。
PCで織姫と牽牛の輝きを確認することにしよう・・・
http://www.yumis.net/tanabata/
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レタスの豊作も困ったものだ

2007年07月06日 | 日記
7月6日(金)曇り  薄日  曇り
久しぶりに農作業三昧の一日だった。
午前中は町の球技大会の打合せを地区内の5集落に連絡する案内文を練っていた。
田舎にドップリ暮らしてているとは言え、イザこう云う半公式の文面を書くとなると出だしで躓いてしまう。
もっとも、新参者の俺だからどうーってことはないと開き直れば良いのだが・・・
小心者は困ったものだ。
午前中に生ゴミを堆肥にする作業をしながら、ふっと向かいの芝生の先を見るとユッカが咲いている。
今まではバイカウツギノ純白な花が満開だったので目立たなかった。
このユッカは何年か前に町の友人が、簡単に掘り起こしてもって来た物でわせれられていたような存在だった。
http://yasashi.info/yu_00005.htm

昼にパートナーMが「童謡唱歌の会」から戻ってから昼飯を摂った。
直ぐに着替えて先ずは草刈から始めたが、前回遣り残した太陽光発電の西側の土手はしっかりと草がはびこっている。後ろの山から落ちる「アカシア」の実生が沢山生えている。
また、ススキが沢山出てきているが、昨年夏に全く草刈をしなかったために種が飛んでしまったのだろう。
一年ほったらかしにするとどんな美田でも草ぼうぼうになるのがわかる。
土手の東側の斜面と反対側の西側の斜面を駆り始めたが、道祖神と馬頭観音が見えないのだ。
地面から60cmくらいの高さの石塔だが草のほうが丈が伸びている。
俺が此処へ引っ越してから初めてのことだ。
この二つの石塔はとちを見に来たときに、土地との相性が良い一つのことで毎年大事にしてきた。
俺がS17年生まれの午年だから余計に愛着心を持っているのだ。
もう一つの石塔は裏山の中腹に有る、屋敷神様で祠の形をしている。
この祠は屋敷(土地)と家、家族を守る代々のものだが、この土地の持ち主も同じ集落に住んでおられるので俺が引き継いで守っているのだ。
毎年呉れに掃除をして注連縄を張りお神酒を上げている。

草刈を終えてから、調理用のトマトの苗を定植した。また、激辛のハバネロの苗を三本植えた。
レタスが育ちすぎて困っていたところに、ケーブルTVのSTさんが立ち寄ったので二株持ち帰ってもらった。
また、夕方にはTH先生が旅のお土産と先日の会合で忘れた資料を持ってきていただいた。
忙しい先生なのに申し訳ないやら嬉しいやら・・・・・
全ての農作業を終えて家に入ったら7時をとっくに過ぎていた。
働き過ぎなのだろうか???

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梅雨間の晴れに桔梗が似合う

2007年07月05日 | 日記
7月5日(木)晴れ 爽やかな空 過ごしやすい一日
久しぶりに浅間山が見えた。
東京に居るときには仕事へ向かうときに、富士山が見えるか否かでは気分がだいぶ違っていた。
冬にはほとんどが快晴で空気も澄んでいたので、西に見える富士山はなぜか気を落ち着かせるものがった。
此処へ来てからは浅間山がそれに変わっている。

立科町の住民なのだから「蓼科山」が見えると良いのだろうが、煙が出てるか出てないかでは大いに違うのだ。
また、蓼科山の表記が本来の『立科山』でなければ正しくないと思う!!
これに因っても町民の愛着心が変わるのではないか・・・・
明治8年に『立科山』から「蓼科山」に替えられたと言われているが・・・・
山登りの本では今でも『立科山』と表記されているものが発刊されいるのは嬉しい!!
しかし、浅間山も『立科山』も俺にとっては6年前から身近な存在になった山だ。
今から30年前、夏はテニス冬はスキーと東信州へ通い詰めていたが、冬の浅間山は群馬県藤岡、富岡などから眺めると美しい山でその度に感動したものだ。
『立科山』は中央高速経由で野辺山近辺から見る八ヶ岳の切り立った氷壁を真近に眺めて冬の厳しさを感じた後に、望月町から見る穏かな山の姿に信州へ来た喜びを感じた。
どちらの山も東京から見る富士山に変わることができる、愛着ある俺の山になりきってくれている。

久々に一日中家にいてゆっくりとした気持ちだった。
午前中に畑に出て梅の収穫をするつもりで木のそばまで行くが、まだ硬くて熟していない??
梅はどのくらいになったら収穫して良いのかが判らないのだ。
昼前に薪を積んで有る近くへ行くと、桔梗が咲き出している。
俺の好きな花の一つで、種がコボレ群生している様が嬉しい。
花が開く直前の風船のようになっているのがかわいい。
桔梗は秋の花と認識しているが・・・・・
http://www.hana300.com/kikyou.html
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立科町の水の歴史 流すわけにはいかない

2007年07月05日 | 日記
                      小雨の中で咲く飛燕草が愛おしい

                    http://www.hana300.com/lakusu.html
7月4日(水)曇り 雨 雨 夜 激雨 深夜 晴れ
未だ完全に眼が覚めていない頃に、歴史研究会の会長から電話を貰う。
このところ集落の仕事、区の仕事、趣味で参加している会の諸処等・・・・
寝るのが遅くなっている。
寝ぼけていたわけでもないが、会長は「午前中に役場に挨拶回りをしに行くから同行しないか」といわれる。
いろいろなところに参加しているから、役場の組織が変わったからと云って特別会だけで挨拶には行きたくない!!
申し訳ないがお断りをした。
それよりも纏めなくてはならないことが多く、時間が取れない。
大先輩から突然の誘いだが仕方なく断ったが、後までそれが気になって仕方がない。

蓼科山の湧水が町内の農畜産物の基となっていることから、町の水系を確かめたいと思い「町史・自然編」「蓼科の水」などのページをめくるがなかなか的を得た回答が得られない。
しかし「蓼科の水」旧版昭和51年発行の本の資料差込として「立科土地改良区用水系統略図」なるものが、水路別に色分けされ、更に主要用水別にも点線・破線などで表示されているもを見つけることが出来た。素晴らしい!!この作業は土地改良区の組織が出来る前から、確りとした管理と情熱を持って記録され続けてきた賜物だと思う。
この立科の水の歴史は寛永17年(1640年)頃とされ、六川家蔵の各代長三郎の古文書は非常に丹念に記録を残されていたそうだ。現在の塩沢堰は本堰に弁天神(べていじん)の源泉、そして、南平、穴子屋、御泉水、古和清水、須沢、鳴石などの七出水があり、和見(美・巳)堰に水出の源泉、その下流に名称のはっきりしない二箇所の出水、更に下がって熊谷、万仁田の五出水がある。そして、両堰が合流した下流に七重の出水が加わり合計13出水の水が合わさり、二丁樋で芦田川を渡り、水神蓼科神社の境内を通って里にでる。(以上「蓼科の水」より)
このように疏水の立科町ということが、六川家の方々に寄って守られてきたことが判る。
この町に移り住んで来たからには、全ての水源をじっくりと歩いてみたい。

夜は豪雨の中、老人福祉センターで行われた、「町民球技大会」の説明会及び練習所の確保に行った。
練習場の確保は野球場、総合グランド、体育館・・・とあるが、其々の区の代表が必要とする時間帯と場所で手を上げるのだが、ソフトボール会場では希望する練習日を確保できたが、バレーボールでは完全にジャンケンのツキから見放されたようだ!!
バレーボールはご婦人方の催しなので後がコワイ!!
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御泉水 は 町の宝 汚染水 と読んでは イケナイ

2007年07月04日 | 日記
7月3日(火)曇り  薄日が射す  雨
夕べは町民祭りの会議があり、家に帰ったのが9時30分くらいだった。
それから晩飯を摂り、直ぐに今日の午前中にあった「ふるさとプロジェクト」の
ハイキング打合せ資料を作ったり、“たてしなエコ・クラブ”のパンフレットの
校正など・・・・3時近くに寝た。
寝起きはボーッとしていて、身体が始動しない!!

10時に公民館事務室で「ふるさとプロジェクト」の打合せが始まった。
立科町の蓼科山(立科山)から出る湧水は、日本の『疏水100選』にも選ばれている。
その湧水を視察する会を開くための打合せなのが、耳から入る言葉だけでは理解できないものがある。
「ベテージン」は「弁天神」であり、「ワニゼミ」は「和見堰」だった。
此処に永く住んでいる人は常識的に『漢字』が頭の中で浮かんでくるのだろうが・・・・
移り住んだものとしては、それなりの資料を見ないと理解できないことがある。
また、この町の方言だが「否定形」を言葉のあとに着ける。
「行く」は「イカズ」、「やる(実行する)」は「ヤラズ」となるのだ。
これらは風林火山の時代前後西暦1500年頃からの方言といわれているが、
他国の者に行動を知られたくないために『否定形』で話をしたと物の本で読んだ記憶がある。
この町へ移り住んだ当初はこの『否定形』に戸惑ったものだた。

昼ころに家に戻ったがMが出かけるところだった。
タイミングが良かった、何処へ出かけるのかと聞くと「髪を切りに行く」と云う。
若し、入れ違いだったら俺は家に入れなくなってしまった。
普段の行いが良いとコーイウトキに助かるものダ???

早速PCに向かい「塩沢堰弁天神湧水」について調べなおした。
http://thepalette.livedoor.biz/archives/50568156.html
今日の打合せでも、町の観光施設として『御泉水自然園』という公園があるが、
その、言葉が「汚染水」につながり、町内では「ゴセンスイ」と云うのだそうだ。
一般的には『泉水=池 や 泉』のことを表す言葉だと思うが、
それに「接頭語・謙譲語」の「御=お」をつけたのだと理解するが、
辞書を引いても、お【御】[接頭]《「おん(御)」の音変化で、中世以降の成立》1 名詞に付く。尊敬の意を表す。相手または第三者に属するものに付いて、その所属、所有者を敬う場合と、敬うべき人に対する自己の物や行為に付ける語
如何なものだろうか!!
こうして今もPCに向かっているが、
我愛息Salaは俺のお宝「ウインザー椅子」に陣取りいつもそばにいるのだ。

Salaが寝てるときに、俺がそ~っと冷凍庫の引出しを開けて
アイスクリームを取りだそうとすると、既に脇に来ているが
以心伝心なのだろうか・・・・
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