田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

不安定な大気 激しい雷雨 Ecoを想う

2011年08月14日 | 日記

8月15日(日) 霧   湿り気のある風  午後には激しい雷雨

人ごとのような盆の営みだが、我が家では何時もと変わらない日常。ところか、夕べ、エコクラブからのメールを開いてみると火曜日に行う児童館<子ども未来館>の環境学習に配布する資料は俺が作ることになっている。このことを忘れていたと云うよりも昨年のものを簡単に日付だけを直せば良いくらいに思い、その資料を確認もしていなかった。

  

対称は小学生低学年難しいことを説明してもわからないし、“太陽の恵み”を直ぐ消えてしまうことばで説明するのとはちがい、文字やイラストにするのは大いに困る。後になって『誰だ こんな説明をしているのは?』そんな言葉が文字にする前から聞こえてくる。子どもたちが太陽を利用することを意識してくれればよいと思っている。晴れることを前提に、ソーラークッカーを使い《ヤキヤキバナナ》なる物をメインとする。しかし、今のこどもは大人が想像する以上に世間のことを知っている。今からでも真剣に新しい知識、自然エネルギーのことを勉強しておこう。

7月が締め切りの申請書を明日提出することいした。なんとかいろいろ理由を付けて伸ばしのばしにしてしまったが、ハンコをもらうのに手間取るし、補助金の対称になるかも定かでない。兎に角、書類だけはだそうということになったが、今年は支援が震災向けになると電話云ってた。書類を印刷するのに新しいプリンター、慣れるには手順を変えなくてはいけないようだ。

遅い午後には激しい雷雨、白樺の細い枝に作られた蜂の巣は振り落とされているのではないか。 

 

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盆の入りと 虫たちのさまざま

2011年08月13日 | 日記

8月13日(土) 晴れ 曇を通り越して太陽が熱い  風の冷たさ

夕べ窓を開けたまま寝てしまったのがいけないのか、頭が重い。身体の怠さに加え背筋、大腿筋、上腕筋 ・ ・ ・ 要するに体中の節々に痛みを感じる。原因は昨日のことではなく、その前の日にやった薪割りに原因がある。若い頃はその日のうちに筋肉の痛みを感じた。50才のころはテニスやソフトボールをすると翌日筋肉が悲鳴をあげる。それが、今では疲労が筋肉から脳へいき、身体に伝わるのに中一日おかないと感じなくっているようだ。

ゴロゴロしててもいけないので、昼飯を済ませてから畑の枯れ草にいるコオロギを見に行く。コオロギが啼くのはを擦り合わせるそうだが、それを見たい。近くでコロコロと啼いているが、俺が草むらを足でつつくと中から出て来るのはがない。背中に小さなのようなものがあるが、これから大きく育つのだろうか?

同じ枯れ草の山には小さな小指の爪くらいの小さな青蛙がいる。彼らはコオロギの幼虫を餌としているのだろうか?青カエルは小さな身体にしては腹一杯になっている。何を食っているのか知りたいが ・ ・ ・ 彼の済まなさそ~な 姿を見ると腹を割いて中を見るわけにはいかない。

ひとしきりコオロギを観察したがの生えているのは、すばしっこくてカメラに収められない。次回は三脚を据えて持久戦でいこう。

ブラックベリーの実をつまもうと近寄ると、急になにかが葉に止まった。アブだ。しかも咥えているのはコオロギの足だろうか?その昔コオロギを捕まえようとすると足だけ手に残して姿を消したのがいた。コオロギの足は再生するのだろうか?

シュウメイギクが花を開いたか見に行くと大きな蜘蛛の巣があった。中央には姿を隠すことなく堂々としているナガコガネグモがいる。どんな獲物を捕まえるのか図鑑を見ると青蛙が餌となっているのがあった。

黒柿の細い枝に小さな虫がいる。これはガラスや網戸で見るがフタスジチョウのような文様だが、顔は蝉ににている。足もしっかりとして 姿は愛嬌のあるものだ。しかし、名前が分からない。。大きさは5mmくらいだろう。

二筋模様の小さな虫

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多津衛民芸館 風雅なひととき 猛暑を一掃

2011年08月13日 | 日記

8月12日(金) 晴れ    風は冷たく  日陰では心地よい  

昼からは隣町望月(現佐久市)の多津衛民芸館に向かった。国道は盆休みの帰省のためか何時もより車が多く感じた。望月町から更に旧道に入り中山道瓜生坂に向かうと急に風が涼しくなる。両側に草が生い茂った道を進むと建物が正面に見えて来た。

玄関の前では既に秋の山野草が花を開き、高原の雰囲気を醸し出している。中でも今日の琴と尺八の演奏会に相応しい紫の野菊が迎えているのが嬉しい。

演奏会は3時からと少し間があったが、会場は民芸品の展示場であり周囲に目を向けるだけでも愉しくなる。やがて、時間となり琴の演奏、そして尺八の独奏と続くが、尺八の紹介に“ソロ”と云うことばが使われ一瞬?と思ったが、音が出始めるとサマータイム、民芸館ではjazzのコンサートもされているコト、ウイットのある演出と腹の中で思った。

 

二面の琴に尺八と云う格調高い合奏をバックに会場の皆さんと秋の歌を唄う。尺八の低音から高音まで倍音が豊かに響き、窓からの風に心地よい。

この民芸館の所蔵品は素晴らしく、世界的にも貴重なものが極普通に置かれているのに驚く。中でも俺の好きなのは江戸期の蕎麦猪口、これが棚に並べられているが全て文様、形が異なるのがすごい。

伝統的な蔓草の文様、自然の風景を切り取ったたかのように見せる趣のあるデザインが楽しませてくれる。

多津衛先生が全国から集められたものには、庄内の“ばんどり”や“ボッチ”が壁に掛けられている。「ばんどり」は宮沢賢治の『風の又三郎』にでてきたと思うが、壁に掛けられているものを見ていると物語の出だし“どどどどど ・ ・ ・”と云う台詞が聞こえてくるようだ。

《左が ばんどり 右がボッチ 何れも雨具》

会場には沢山の漆器が展示されており、毎年ここで開かれている現代漆工・佐藤阡朗さんの作品が並べられている。 様々な形、色は朱でも微妙な違いがあるが、漆は使い込むほどに深い色に変化するのがよい。手のひらサイズで高台のついた皿が気に入ったが、さて入手するにはポケットの財布ではどうにもならない。ここでMに声を掛ければ良いのだが ・ ・ ・ その機会を逸した。

家に戻ると6時を過していただろうか?帰りに郵便局で町内の学習会の案内を投函した。西日が眩しく照らしているが、ヒマワリもそれを避けてか東に向いていた。

「盆に入ると何かと多様で葉書が届いても紛れてしまうぞ」そんな話題を耳にした覚えはあるが、打合せの内容すら忘れていた。あとは、明日の土曜日に郵便局が届けてくれることを神頼み。

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薪割りで考える ツユムシとクロアナバチの関係

2011年08月11日 | 日記

8月11日(木) 晴れ  涼しい  昨日がウソのような爽やかな一日

昨日プリンターが壊れたので今日の作業は先送りとなった。たいしたことはないが、30枚のハガキ印刷と広報誌のレイアウトを午前中に印刷して投函する手はずになっていた。

急なスケジュールの変更でも対応良く、次の作業がまっている。待っていると云うと体裁がよいが、これが5月から先送りにされてきた薪割りだ。炎天下、太陽の下ではやりきれないと軽トラを外へだし、ガレージでの作業とした。

予定では午前中に割る作業を片付け、昼飯あとに積み上げて片付ける。俺的な段取りではそのようだが、辺りがそうはさせてくれない。喉が渇いたと思うと、薪割り機を止めて畑へ行きまだ完熟してないブラックベリーを口に放り込む。酸味が強く心地よい食感が癖になりそうだ。

気持ちが引き締まったところで再び、作業に戻るが直ぐにあの酸味に惹かれて機械を止めた。今度は途中のシロシキブの枝にウラナミジャノメチョウがジッとしている。彼らの食草はイネ科だから産卵をするわけはなく、木陰で休憩でもしているのだろう。

こう言うことで、薪割りが午前中で終わるのは絶対にムリと云うことは昼までだいぶ間があるときに観念した。昼飯をとりほんの少しだけ休憩をして直ぐに薪割り機のエンジンを掛ける。機械は俺の変則的行動にモンクも云わずしっかりと作業をこなしてくれた。

結局全ての作業を終えて三和土を掃除したときは太陽の光線は既に西側の山に隠されていた。

 

割った薪を並べるのもスクワットの連続とまではいかないが、中腰での作業は直ぐにキツくなる。休みやすみムリのないようにと自分に言い聞かせて、庭を一廻りする。ここでは秋の先取り、紅葉真っ盛りと赤い実もふっくらとしてきている。

庭の外れに得たブルーベリーも実が着いた枝は最後となっている。昼間の作業中に幾つか口に放り込んだが、今は最後の一個になった。酸味が少ない甘さ ・ ・ ・ 疲れが取れたと云うことにしよう。

一日終わり、全て片付けも終えたときに南東の空を見ると白い月が雲間から現れた。一瞬、夕日がスポットライトのように辺りを照らした。

薪割りをると自然界の不思議な営みが見えてくる。枯れた木を利用して子孫の巣穴をつくり羽化するまで管理しているようだ。

今回はクロアナバチの写真を収めることは出来なかったが、何れ見つけて写すことができたらUpしたい。

アナバチはツユムシなくては生きていけない

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予定を決行 バジルペーストを作る

2011年08月10日 | 日記

8月10日(水) 晴れ  猛暑 家の中でも熱い 夕方には涼しさが戻る

日乃出の位置がだいぶ変化して南よりへ移動している。今朝は朝靄も低く昼間の猛暑を予想させる。しかし、草には朝露が沢山降りて、畑には長靴を履かないと後がたいへんそうだ。

朝一で昨日の予定を決行しバジルの収穫をする。思っていた以上に茎も太くしっかりと立ち、枝振りもよい。収穫したものは単純なバジルペーストに加工してどんな料理にも適応するようにした。250g入りの冷凍用密閉袋が4つできた。 

作業は朝飯を片付けたあと、続けてキッチンが使えるときに一気に作業を進めた。茎から葉を外し、簡単にシャワーで流すように洗い水気をぬぐう。あとはフードプロセッサーで細かく刻み、塩少々とオリーブオイルを少なめに入れて混ぜ合わせるだけで終わり。至極簡単なのだが、これが万能調味料となりホンの少し使うだけでイタリアンに変身する。下のサイトにアルバムとして記録したが、ペーストにする段階で手が油だらけになってしまったのでカメラをモテなかった。その辺の作業を想像にお任せしたい。 

バジルの保存

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家中がイタリアンになってしまい、Algoは俺に近づかない。Salaは犬種がイタリアングレーハウンドなのに、バジルとは関係ないようだ。俺はキッチンから離れても、外に出てもバジルになりきって手も腕も身体もイタリアンに染まってしまった。こう言うときは何にでも効くと言うゲンノショウコウ、これは漢方でも日本的なもの、少しは薫りが薄れるかも知れないとパチリ ・ ・ ・

太陽の下は熱いが少しでも木陰に入れば涼しい。乾燥した風が心地よく吹くが、シロシキブの葉陰では蜂が、自らの翅を団扇代わりに盛んに動かしていた。 

離れたところではキタテハが太陽の光を翅一杯に受けている。ハルシオンも雑草だから刈り取りの対称となるのだが、蝶たちにとっては蜜を吸い、翅を休める格好の居場所なのだ。蝶たちが気ままに充分に居所を確保できるようにしてやりたい。 

昼飯を摂ったあと、外仕事はキツいので家の中で溜まった仕事をと ・ ・ ・ しかし、頼まれていた資料を印刷すると途中で電源が切れた。スイッチを押し直してもダメ、パソコンから外してもダメ、電源のコンセントを変えてもダメ ・ ・ ・ メーカーに電話すると基板がダメになったのだろうという。過去に2回修理に出しているが、昨年は1万3千円も払った。今回の基板は見ないと判らないと言い、見積もりだけでも費用がかかる。

2004年製だから充分使った。買い換えを考えて値段を調べると、今年の春にでた型が半値以下になっている。早速、注文すると明日の午前中に届くという。

田舎暮らしでは物を買うのにネットは便利だ。しかし、こう言う便利さに慣れてしまうのも怖い。高齢でボケが始まったときに、同じモノを何回も買う等ということはないのだろうか?

販売店もそういう人のために注意を促すサービスを有料でするようになるかもしれない。 

Amazonさん そんな商売が始まったらいち早く教えてほしい。

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遅く来た夏日 バジルもモロヘイヤも太陽大好き

2011年08月09日 | 日記

8月9日(火) 晴れ   久しぶりに夏らしい一日  夕方少しだけ雷鳴が聞こえる

 

朝から猛暑になると判る。少し遅すぎたが夏の暑さが来たようだ。

9時から隣町望月(現佐久市)で東信州田舎暮らしネットワークの役員会が開かれた。現役を退き都会から信州へ移り住んで地域の活動に取り組んでいる人が多い。また、若くしてこの地を選んで良かったと自分の生き方を自ら開拓している人もいる。90分の予定が話題が色濃く30分の超過も短いくらいの会議となった。

家に戻り炎天下の畑を一巡する。なんと言っても太陽大好きなバジルは葉の艶と云い、軸の太さ近くに寄ると足下の振動だけで、その薫りが一帯に振りまかれるように香。明日の朝には半分を収穫してバジルペーストにして保存することにしよう。夏の暑さで切り取った後から直ぐに枝が伸びて夏の終わりには収穫したものをオリーブオイルに漬け込んで一年分香油を確保したい。

 

家の中に入ると窓を開けてあるので風がながれる。東の窓は低く西の窓は高い場所、同じように南から北に風が流れる。この流れの道に椅子を多くと日中でも寒く感じる。猛暑から涼しい環境に移ると身体が急に元気を取り戻し ・ ・ ・ となれば良いが、瞬時に睡魔が襲って来るのだ。冷えた頭は思考能力を低下させ睡眠の悪魔に抵抗することもなく横になった。

目が覚めると頭がボーっとしている。寝過ぎだ!!贅沢か怠惰かも考えずに外に出ると北側の影ではアジサイの墨田の華が僅かにその形を表していた。未熟な花火師が作るとこのようになるとの見本のようなもの、隅田川では見せることができない花火だろう。

キャベツ畑に行くと相変わらずアマガエルが虫たちが近づかないように番をしていた。自分のからだより大きなバッタを狙っているカエル、ホントにコイツに飛びかかるのだろうか?

ミニバラ、モーツアルトの二番花が咲き始めたので見に行くと、ここではツユムシの幼虫が花びらを食っていた。この虫はキリギリスと似ているが触覚の節を白くしているのが特徴のようだ。そろそろ脱皮をする時期だろうが、それを見たい。

脱皮と云うと蝉がいるが、此ばかりは抜け殻を見ても種類がわからない。子どもの頃脱皮する前の幼虫を捕まえてきて、観察したことを覚えている。幼虫が地表に現れるタイミングは深夜なのか朝方なのか ・ ・ ・ 

東の方では今日も雷が聞こえる。浅間山の上空の曇を見ると不安定な上昇気流があるようだ。

目の前を何かが上から下に通過した。一瞬ドキッとしたがやがて、蜘蛛と云うことが判った。俺の直前に網を張っている。大きな蜘蛛だが女郎蜘蛛とは異なる丸い腹を持っている。

蜘蛛の巣をくぐって東側にでると何かの視線を感じた。振り向くとAlgo、かれは日中姿が見えなくなると風呂場のガラスの前に座っていると云う。

 

 

俺は初めて見る姿、何を考えているのだろうか?

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立秋 季節ハズレな俺の キャベツ

2011年08月08日 | 日記

8月8日(月) 濃霧   晴れ   爽やかな空   雷と連れだって夕立が来る

昨夜は昼間から激しい雨が繰り返し断続的に来たためか、今朝は初冬の霧のように濃い。ドッグランのフェンスも集落の鎮守の杜も霞んでいる。窓を開けると湿った草の匂いが流れ込んできた。

今日は立秋、真夏の暑さを覚えないまま秋が来てしまった。季節感覚がずれているが、俺の畑でも季節がずれたキャベツが収穫できた。これは春に種を蒔き順調に育ったが、葉がマキ始める頃モンシロチョウの卵が幼虫に変わった。ひとしきり穴だらけになった葉も、カエルの出現で球になれたのだ。

俺は畑も草も同じように解釈しているから、肥料も薬も全くやらない。晩秋に畑を起こして冬の寒さに晒すこともしない。虫も生き物、草よりも野菜の方が旨いのを知っている。それでもキャベツはテントウムシやカエルに守られながら、知恵を使い、新しい葉は内側から巻くことを覚えたのだろう。掌に乗るくらいの小さなキャベツだが重たい、重たく感じる俺の手は自然に感謝の重さを読み取っているのだろう。

午前中は久しぶりに爽やかな青空を見た。南の空入道曇の下は駿河湾になるのだろう。

昼飯を済ませたあと、風が出てきたので昨日のように雨が降り出す前に写真を撮らなくてはならないものがある。途中集落の公園に立ち寄り草の状況を確認と、昨日の激しい雨で池が大丈夫か見た。 

山の絞り水を利用しているため、雨の降った後は白く濁る。この地域は古代に湿地帯だったとこかで、珪藻土が採れる山が多い。第二次大戦のころは横穴を掘り泥炭を掘ったと云い、今でも崖が崩れるときには“燃える土” が出るという。

写真撮影の目的は伸ばしのばしになっていた、環境フェアの会場準備のレジュメを整えなくてはならない。メイン会場は道路の向かい側室内運動場となるが、周辺の野外でもブースを広げたい。 

10月2日の日曜日、今までは他のイベントと重ねて2回ほど開いていたが、環境部門としてしっかりと目的意識を持って開きたいということで、町行政と掛け合ってきたがのが実現の運びとなった。主催は立科町 運営は実行委員会と官民協働事業だが、町民サイドで進めなくてはならない。尤も行政のお膳立てだと全てが納得いくことでもないので良いことだ。

メイン会場はレトロなデザインの正面玄関、しかし、あまりここを使うことは少ない。今回はここをメインとしてしっかりとしたイベントにしたいものだ。夕方までには、レジュメを整えメールで仲間に送った。メールをしない人にはFAX と云うことだが、これが写真は上手く印刷してくれないのが困る。ときどき、届いているものを印刷して見ると真っ黒になってでてくる。前時代的な機械もう少し改良してもよっそうだ。

 

立秋に夕立 曇を読み 予定は決定と相成った。

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激しい雷と停電 そして 虹 

2011年08月07日 | 日記

8月7日(日) 晴れ 昼から怪しい曇 午後 激しい雷雨

午後3時を過ぎたころゴロゴロと雷が鳴り出した。 昨日につづき連続しての雷、ここより東に流れると軽く見ていた。雨が激しくそれに伴い風も舞うようにどの方向からも吹き付けガラスに滝のように雨粒が流れる。稲光と雷鳴の時間差が短くなりしかも、北から向かってくるように感じたき、突然バシッと云う音共に閃光が走った。

パソコン関係もテレビも全て電源を外してあったのが良かったが、雷が近くに落ちたらしく停電となった。すると雨音にカンカンと云う金属音が混じり始め屋根から流れ落ちる水を見ると氷粒が混ざっているように見えた。

遠のいては再び繰り返した雷と雨、6時過ぎになると小雨になったころ、東の方でミジダゾーと云う大声が聞こえた。窓に寄って見ると東側の集落の境の電柱で工事をしている。彼らがいち早く虹を見つけたようだ。 

高所作業車に人が乗って昇っていく、トランスが設けてある電柱に雷が落ちたようだ。 外に出てみるとまだ雨が降っている。雨の中の電気工事感電などしないのか素人ながらの心配が浮かぶ。

昼飯を摂ったあとの話だが ・ ・ ・ ・

Algoが俺に睨みを効かせ機嫌がわるい。俺が彼を叱ると必ずこのポーズをとり呼んでも来ない。何時もなら俺の足に纏わり付いてどこにでも着いて来るのだが ・ ・ ・ 

ワケは簡単なこと、Mが出かけているとき俺はパソコンに向かい頼まれ仕事をしているときに、ふっとAlgoがいないので寝室にいってみた。すると俺のベッドで彼がリラックスしている。思いっきりしかり飛ばしたが項垂れることもなく姿を消した。 

Mが戻って来てこのことを云うと、飼い主と同じ姿だから仕方がないと云う。俺はこんなに身体が柔らかいわけではないので、誰の寝姿を彼が真似をしているのだろう。 

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旺盛な好奇心 コミスジ夏子と野良仕事

2011年08月06日 | 日記

8月6日(土) 晴れ 風は涼しい 午後からは 夕方には雷雨

朝からテンションを上げて、遅れている前月の野良仕事に向かう。7月の末に刈り取った土手の草が乾燥したので、秋野菜のマルチにするため集める作業についた。

熊手で草を集めてはバッグに詰めるのだが、コミスジチョウが纏わりつく

コミスジは人なつっこいというか、人の汗にはミネラルが含まれていることを知っている。しかし、このところ姿を見なかったことを思うと、夏子の到来だろうか?口吻を長く伸ばし、しかも顔ごと横に向けて取っての裏側のミネラルを吸い上げている。彼らの祖先は象かと思わせる口吻の使いっぷりだ。

 

夏子、春に飛び交っていたコミスジが豆科の植物に卵を産み、それが羽化したのだろう。

ひとしきりコミスジと楽しみながらの作業、あとは畑と庭の草刈りをした。昼飯前にヤマトの宅配が昨日頼んだ本を届けてくれる。食後を読み始めるとグングンと引き込まれだいぶ長い昼休みとなった。

下屋で陽射しを避けての読書だが、汗が引くと冷たい風で寒く感じるくらいになる。気合いを入れて家の東側から一廻りする長丁場の草刈りをした。今はまだ草も種ができていない季節、この時期に刈り取っておけば畑に敷くマルチになる。 

作業を6時前に終えて、9月まで草刈りはしない予定、草刈り機を大掃除して刃を交換した。月曜日からの作業は薪作りとなるので、チェンソーの分解掃除をして刃を研いだ。研いだあと薪材である半乾きのリンゴの木を切ってみると心地よく刃が切り進んでくれた。

道具を片付けたころ雨が降り出した。昼間から雷が激しく鳴っていたが ・ ・ ・ 今日は町で町民祭り“えんでこ”がある。「えんでこ」の意味はこの地の方言で“歩いてこい”とか“連れだってこい”とか云う意味らしい。夜には激しい雨と雷、本の続きを読む。

ホリエモン、彼は収監され2年6ヶ月世間から隔離されているが、その直前に田原総一郎氏との対談をまとめたものだ。国会議員の鈴木宗夫氏が収監されるときは涙と恨みの会見だったが、堀江氏は淡々として、彼の言葉では粛々とことを運んだと言う。

直接会って話を聞いたことはないが、彼が社会復帰したときに何を世の中に訴え実行するのが楽しみでもある。 

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信州の涼しさ 蜂の巣とわくら葉に秋を感じる8月

2011年08月05日 | 日記

8月5日(金)晴れ 風は冷たく涼しい 信州の幸せを感じる

玄関の脇で鉢の中だけ、しかも、花も見せずに過ごしてきた植物があった。葉は水仙のように思えるのは芽が出るとき、それからは長く伸びて判らず仕舞いに5年もたった。花を見 て図鑑をしらべるとアガパンサスと聞いたことがある名前だ。和名は紫君子蘭だと云う。オレンジ色の春先に花を見せるものより、淑やかさが見えてよい。

西の道路沿い湧き水が流れる土手ではボタンヅルが花を開きだした。センニンソウと花は似ているが葉が違う。葉がボタンのように切れ込みがあるから牡丹蔓と云うそうだ。

ツボミが見えてから花が咲くまでだいぶ長い間かかった。例年だと7月に咲くが今年は遅い。山裾の集落でも米の花が咲かない。何時もならこの時期田圃の中を車で走っても米の花粉が舞うので薫りがすごいが、今年は全くその薫りがしない。

朝飯前の庭と裏山の一廻り、庭では白樺レストランの客の入りを確認するのが日課になっていた。今朝も口笛で鋭く吹くような、アオゲラの声がしていた。幹の数カ所に彼らキツツキの仲間が掘った穴が開いている。風が止んだときに頭上で羽音がするので見上げると蜂の巣がある。

太陽の光が強くシルエットに見える沢山の蜂。今日の予定では草刈りと白樺の枯れ枝を降ろそうと云う計画だ。蜂もあと2ヶ月もすれば一生を終えることになる。しばし、待つことにするが、巣を付けた枝が枯れ枝のように見える。台風で枝が落ちたときに、俺が叩き落としたことでないことを見届けてほしい。さもないと俺を刺すと云う仕打ちに出るかも知れない。

 

大きな蜂の巣をみたことでだいぶ引けてしまったが、桜の木を見ると葉が赤くなっている。秋の演出が始めるには早いのではないだろうか?

 

午後はたてしなエコ・クラブの会報を仕上げるのに時間を掛けてしまった。原稿が集まらないのが困る。依頼して直ぐに送ってくれる人もいるが、なかなか送られて来ないのもいる。両者がいることで中庸を保っているのだろう。

夜のスタッフミーティングでは環境フェアの話に時間を取られ、肝心な児童館エコ教室が駆け足になってしまった。

 

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日照りの中 山の片付けに明け暮れる

2011年08月04日 | 日記

8月4日(木) 晴れ  日照りは夏 風は冷たい このギャップは何か

いつもより早い朝飯を摂り外に出る。今日の作業は山の木を伐採したあとの片付け、既に乾いてきている粗朶を処分する作業になる。作業の前に近頃閑古鳥が啼く白樺レストランに行ってみるとヒメキマダラチョウだろう。レンズを向けシャッターを押したとたんに飛び去った。

戻って来ると信じて待つと直ぐに反対側から来てピタリと止まった時、翅を閉じている。広げた時を見たいとジッと待つが叶わなかった。

裏山との境、中棚に広げて置いたニセアカシアの枝を焚き火場まで運び燃やす。ただ燃やすだけでは勿体ないが、集落でもマキきで風呂を炊く家も、今は粗朶を使わずに、始めに沸かすときは灯油を使うと言う。昔は粗朶を背負子に山ほど背負って運んできたが今はいらねぇ~と云われた。

粗朶を運びながらカボチャのツルを踏まないように ・ ・ ・ 花も開き実となると思うと少し内側に寄せてやった。

山に向かうときは空荷で行くのでポケットに入れた小さなカメラでムクゲを写してみた。花心がカリフラワーに見えるだろうか?俺の眼で見るとそのように見えるのだが、カメラは忠実に再現させるには酷らしい。

昼近くなると曇が広がっている割りには熱い。暫しの休憩も安直なビニールハウスがバタバタと風で音を立てているのに急かされる。

午後は一気に作業を進め、中棚の道に突き出ているニセアカシアを地面ギリギリのところで切った。チェンソーも硬い瘤を切るので直ぐに切れなくなる。4mmの丸棒ヤスリで研ぎながらの作業、時間の経つのも忘れた。

夕方、日没間際の瞬間だったが、雨が音もなく降りだしたと思ったら、東南に大きな半円の虹がでた。

虹が消えたあとは家に入り東の窓の景色に見とれた。浅間山の静かな夕暮れと、隣の集落に灯る街灯が平和の象徴のように見入った。

夜に会議があるのを忘れるほど ・ ・ ・  

広報誌の編集会議 なんだかギクシャクしたのは何故だろうか?

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身体の節々が痛む 筋肉の翌日の痛みは若さ故のことか 

2011年08月03日 | 日記

8月3日(水) 寒いくらいの涼しさ 曇り 今にも雨が降りそうだが 冷たい風

昨日は暗くなって畑の方で炎が見えると云う。昼間は粗朶を燃やしたあと、錦木を剪定した枝葉を焚き火の後に被せた。焚き火と云っても煙もなく近か寄っても熱くはなかった。また、夕方には雨粒も落ちて来たのでまさか、燃え上がると思わなかった。具合良く少し経つと雨音が激しく降り出したので確認はしなかった。今朝になって見ると見事なサ緑のサークルができている。焚き火をいてもこのように綺麗に焼くことはできない。

朝飯を片付けているとMが玄関に黒い蝶がいると云う。黒い蝶はヒカゲチョウよく見るので反応を示さなかったら、次に水色の線をもっている?と聞こえた。カメラを手に外にでるとルリタテハだった。昨年は翅がボロボロになっているのを見たが、余りにも可愛そうなのでカメラに収めることはしなかった。

今朝のものは姿も若々しくキリッと締まった姿をしている。鉢植えのオモトの葉に止まり動かない。僅かに左回転してパッと飛び立った。

図鑑を調べると食草は“サルトリイバラ”“ホトトギス”とある。サルトリイバラは裏山で見かけたような木だが定かでない。ホトトギスは園芸種は庭に、ヤマホホトギスは裏山にある。近くで繁殖してくれている蝶だろうが、我が家に来てくれたのはありがたい、飛び去って再び姿を見たのは玄関の取っ手に止まっていた。

昼飯を済ませたあと、窓からヤケにうるさく蝉の声が聞こえる。しかもアブラゼミやヒグラシの声とはこおなり、ギィギィと連続した音をたてて喧しいこと限りない。裏口からでてそ~っと声に近づくと声が止まった。キンモクセイを見ると芯を止めたところに動く物がいる。啼いていたのはコイツだろうか?

横に動き出し一廻りをして俺に背を向けた。背中の文様がクマゼミとは違う。図鑑で調べると「エゾゼミ」とある。“蝦夷”なのだろうか?ネットで見ると『小』が着いたコエゾゼミとあり、おなじ文様の蝉の写真があった。

夜には公民館での打合せ、秋の環境フェア会場のセッティングをと云うが、先のことでどのようになるかイメージがわかない。三人の係りで文殊の知恵を働かそう。

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黒竹 錦木の剪定 八月にずれ込んだ作業 台風に備える

2011年08月02日 | 日記

8月2日(火)朝陽が眩しくでる 昼から雨の予報 夕方に雨台風の影響らしい

朝から外仕事に追われていたが、飯時を通り過ぎたころに出てきたのは冷やし中華に豆腐、夏場の作業でも飯は温かい物が良いなどと、こちらの希望は言うものではない。 

昼飯に手を付けたところに友人夢酔氏が本を届けてくれた。病み上がりの静養中にも関わらず、ここ山裾は道が狭いので下の集会所から歩いてきたと云う。届けてくれた本は“たてしなエコ・クラブ”のスタッフで回し読みをして欲しいという『原発のウソ』と言うものだ。原発事故で、始めのころはTVでも御用学者が盛んに東京電力に都合のよい 解説をしていたが、この本の著者は真実を追究するあまり、「原子力を学び危険性を知り、自分の考えを180°変えたという」脱原発が世の中の流れのようだが、まだまだ経済界、研究者は隠密に復活を考えているのだろう。8月に入って新たに高濃度の放射線が福島第一原発内で見つかったと云うが、これも国民には段階的に知らせていくと云うシナリオ通りなのだろうか?

夢酔氏を車まで送る道すがら、明日は病院に行くと云う、早期に完治し以前のように、山野を歩き廻りたい。彼は入院中書けなかったブログを退院直後から復活させている。エコクラブを始め、商工会、佐久地域地域の高齢者学級でもリードメーカーとなっている。体力・気力共に充実しているが、充分に静養して早期の社会復帰を願いたい。晴遊雨読・暢呑夢酔の戯れごと 

 午前中の作業はブラックベリーに雨除けを付ける作業、材料は有る物を使っての一時しのぎだが、次の作業を考えていると、立てたばかりの棒に蝉が止まりうるさく急かす。

台風が来るというがこの程度で風は大丈夫だろうか?風通しは良く出来ているので完熟する10日頃までは形を保って欲しい。 

台風に備えてと云うわけではないが、家の西側にMが植えたいと言った黒竹、余りにも繁茂しすぎているので剪定をした。竹の剪定とは余り聞かないが、本数を半分にして下の方の枝を払った。この作業は6月の末、七夕の飾りを始める頃に合わせれば良いのだろうか? 

昼飯の声がかからないので、もう一つの作業は実を着け始めたカボチャに枯葉を枕にしてやった。これも有るもので賄うので風知草を秋に刈り取ったものを使った。米をつくらない物として藁の代わりになる大切なものだ。 

作業の合間に喉が渇く。水を飲む代わりにキュウリやトマトと云うことだが、ブルーベリーも程よい酸味があって具合がよい。Mが早朝に収穫した日はハズレとなるが、近くにあるニワウメの赤い実は酸味が強すぎて手を出せない。

午後の作業は夢酔氏が持って来てくれた本に没頭してしまい、3時近くなってから始まった。7月中に済ませて置く作業だったが、二日遅れになった。上を切り揃えてから外側、内側と立てに刈り上げる。遠くから見るとそれなりに出来ているが ・ ・ ・ 切り取った枝をかたづけるのに時間がかかる。 

バリカンの使い勝っても水平は良いとしても垂直のタテに刈り取るのが難しい。これだけの作業でも終えると手がブルブル震えている。電気式は軽いかららくだよって進めれたが、“男は重いガソリンエンジン” と気負ったがいけなかったようだ。

 

7月の作業も二日遅れ 涼しい夏のこと 許される範囲だろう。

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涼しいを通り越し寒い 八月に入ったと云うのに

2011年08月01日 | 日記

8月1日(月)晴れ 風が冷たい 午後からは曇が張り出す 夜は寒く感じるほど

土手の草刈りを始めると先月獣の巣穴を埋めたのが、また、掘り返されている。穴の奥まで土を入れ棒で突き固めたが、土が掻き出され獣が出入りしていると思われる樹の根が囓り取られ広げられていた。ハクビシンだろか?キツネが掘った巣穴だが、キツネは今の時期は巣穴を利用しないはずだ。

山に続く土手から大内道沿いの山の絞り水が流れる溝、そして、畑の草刈りで昼になった。飯の声がかからないので、ネギ畑の草取りをする。

春には白い花を沢山楽しませてくれるヤブイチゲ、増えすぎているがどのように増えるのか解らなかった。毎年草刈り機で刈払うのだが、今年はオカトラノオが混ざっているので控えたが、よく見ると花の丸い球が種を持っている。この種が飛んで増えるのなら、発芽率の高い花なのだろう。

家の中をのぞくとSalaとAlgoしか姿がない。Mは出かけたのだろうか?玄関脇ではストレプトパーカスの花が増え始めた。これから晩秋まで沢山の花を楽しませてくれる。

午後は友人H氏を訪ね、グループの年度末処理の書類に印をもらった。彼は静養中と云いながらも声はハッキリとして気力が漲っているのがすごい。午前中は墓参りに佐久まで行かれたと云う。佐久地方は8月1日が地域全体で墓参りをすると云う。これは“戌(いぬい)の満水”と云い、1742年に佐久地方で大雨で千曲川が氾濫し、多くの人が亡くなったことから、この日に墓参りが行われるという。彼は当地の出身であり、彼が若い頃はこの日の行事は親戚一同どこの家庭でも一大行事としていたが、今はだいぶ簡素になったたそうだ。

戌の満水と関係があるかは判らないが、近くの名刹、津金寺でも花火大会がひらかれた。山裾からは峠越に見ることができる。俺的には花火は遠くで昇り、少し間を置いてからドンと云う音が微かに聞こえるが好きだ。

  

の満水(小海中学校資料をお借りしました)

http://www.koumi-town.jp/koumijhs/koutyousitudayori/H22/ko22-3.pdf

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