物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

flower arrangementと生け花

2008-12-01 12:37:49 | アート・文化

flower arrangementと生け花は同じものだと思っていたが、どうも考え方が違うらしい。生け花は例えば茶室の床の間に活けるというようなことで前からだけ見てきれいということに中心があるらしい。

それに比べてflower arrangementは食卓におかれたりすることが普通なので、どこからみても美しいということが要求されるという。花の鑑賞の考え方が違っているらしい。

妻によれば、生け花はflower arrangementの一部と考えるべきではないかということである。

生け花とflower arrangementとは同じものと単純に考えていたが、その細かなニューアンスに違いについてこの歳になって教えられた。誰からでも学ぶべきことはあるようである。


チターと第三の男

2007-11-12 19:36:20 | アート・文化

昨晩ドイツのミュンヘンからきたチター奏者のHuberさんのチターの音楽を聞きながら、ホイリゲを飲むというパーティにでた。

日曜日のせいかどうも出席者が16,7人でこれは主催者は赤字だなと思いながらチターを聞き、ホイリゲを飲んだ。若い今年取れたワインで飲んでみてそう美味いとは思わなかった。

しかし、赤字を少しでも補填できるように帰りにホイリゲ1本とCDを買って帰ったので思わぬ出費となった。

チターは縦型のもあるようだが、日本の琴を少し短くしたようなもので、琴の演奏をたしなむ女性たちが興味深く演奏の後で眺めていた。チターはドイツではあまり人気がなく日本人が一番チターの演奏を好むという。

また「第三の男」を演奏するのかと途中で尋ねたら、もちろんと笑って答えていた。彼自身は日本の曲「さくらさくら」が一番好きだという。彼の編曲になるこの曲を最後に弾いてくれた。

通訳の人もマネージャもついて来なかったのだが、Huberさんはもうすでに来日は8回目ということで3年前に会ったときから比べれば日本語が上手になっていた。

私が会場についたときに通訳する人が来たと主催者のTさんがいったが、もちろん通訳ができるほどではない。でもテーブルに座った人たちのことを一応はどんな人なのかと紹介した。

音楽があれば、あまり言葉を知らなくても演奏者は済む。しかし、同じテーブルの人たちがおよそどんな話をしているかを説明してあげたら、Huberさんやはり喜んでいた。少し日本語ができるようにはなっているが、やはり普通に日本人同士が話しているのを理解するのは難しい。

これは私たちがドイツ人同士で話しているのをそばで聞いていると1/3くらいしかわからないから、どきどき同席したドイツ人から説明を受けると話の様子がわかっていいという経験を何回かしているからである。

愛媛日独協会の会長のKさんも来られていたので、彼もドイツ語で話をしていた。もっともKさんは英語を話す方がお上手であるが、ドイツ語もかなり上手に話す。


ごみトンボ

2007-09-14 13:20:42 | アート・文化

今朝目を覚ましたときごみの回収車の「あかとんぼ」の曲が流れていた。私の子どもはこのあかとんぼの曲を「ごみトンボ」といつも呼んでいた。

というのはごみを収集に来る車がいつも決まって流す曲だからである。もともと「あかとんぼ」は憂愁に満ちたいい曲だと思うのだが、どうもその曲のイメージを損なうことが甚だしい。

そういえば、軍艦マーチもそうである。これは私が子どもころには勇壮な軍艦の出港のときのイメージの曲だったが、今ではパチンコ店のパチンコをどんどんと打たせるのに使われている。

私のように子どもころに戦争時代であった者にとっては想像もできない事態であるが、普通の人にとってはむしろごみ収集車やパチンコ店の方が本当であって、私のイメージの方がおかしいのだろう。


エッシャーの展覧会

2007-08-24 11:59:44 | アート・文化

一昨日エッシャーの展覧会に行った。はじめてエッシャーの版画その他を見たのだが、たくさんの人が子供連れで訪れていた。これもちろん夏休みということもあるのだろうが、それだけではなくエッシャーの絵の不思議さが基本にあるのだろう。

正則分割といわれる技法が特に目についた。また騙し絵というかこれもいくつかあった。しかし、目の錯覚を誘うこの絵よりも正則分割と言われる方法とか変容と言われる手法の方が面白かった。

固体物理学の格子空間では同じ模様とか立体図形で空間や平面を隙間なく埋めて行くということが知られているが、正則分割はそれの応用のようだ。ただ、とかげとか馬とかの図をうまく配置して正則分割しているのには感心した。

ゆっくりと見たかったが、どうも展覧会ではそうもいかないところがある。それに説明がついていてもなかなか理解がすぐにはできない。それで画集を1冊買って帰った。

そういえば、5月のホームステイのときに弁護士のベアーテさんが「エッシャー、バッハ、ゲーデル」というホッフスタッターの大著のことを話題にしていた。私も大学にいたときに公費でその訳本を購入していたが、通読とまでもいかなかった。もっとも読まなくても絵とか写真を見るだけでも面白かったのだろう。

二男のTetsuroによれば、「エッシャー、バッハ、ゲーデル」のモチーフは繰り返しというか反復というかぐるぐる巡り巡ってもとに戻ることだという。そういえば、バッハの音楽は繰り返しが多くてなかなか前に進まないという感じである。だから、バッハは重たくて嫌だというのもある意味ではあたっているのだろう。いやこれはむしろ私の個人的見解だ。

エッシャーの騙し絵もぐるぐる回りだ。ゲーデルにおいては繰り返しとか反復がどういうことだかわからないが、彼は数学の公理がその理論の範囲内では真か偽か証明できないものがあるという定理を数学基礎論の論文で証明したというからやはり一巡りして元に戻ったということであろうか。