木村 悠先生の『学習方法論の学林百話』を購入したときに同時に広中の『可変思考』も購入した。これが木村先生の本とよく似たある種の方法論の本であった。
まだ詳しくは読んでいないのだが,1、2カ所だけ拾い読みをした。その中で「掛け算は異質なものを、足し算は量的変化を生む」というのがあった。
その説明にもあったが、掛け算では新たな量が生まれる。足し算では新たな量は生まれない。これは遠山啓の『数学の教え方学び方』(岩波新書)ですでに以前から知っていることであるが,方法論として使おうという考えが広中さんの指摘の新しいところである。
新しい量は遠山啓によれば、掛け算または割り算で定義される。圧力なんて量もある面積に働く力ということで単位面積当りに働く力である。これは「内包量」といわれる量の一つである。温度も内包量である。例えば,30度の水1リットルに80度の水1リットルを加えても110度の水2リットルができる訳ではない。
内包量には数学でいう加法性がないのだ。このように内包量は足し算ができないといわれる。特別な場合に足し算ができる場合もあるが、まずはできないと思っていた方がよい。足し算のできる量は「外延量」と言われることも付け加えておこう。
「外延量と内包量」を小学校で学んでおくといいのだが、大学の熱力学で「示量変数、示強変数」というのを学ぶまで知らないという人が多い。いや私などは大学でも示量変数、示強変数という用語さえも学んだ覚えがない。物理の先生もこういった点をしっかり教える必要がある。
ところで唯物弁証法では「量の蓄積が質の変化をもたらす」という考えがあり、たとえば、つまらない研究と思われることでも長年の蓄積でそれの価値が逆転するということもあり得る。これなどは数学的な足し算と掛け算とは違う側面をもっているのではないか。だからものごとには形式論理では捉えられない側面もあると思う。
もっとも広中平祐さんには唯物弁証法等は無縁かもしれないが。