大学院生の頃にポントリャーギンの「連続群論」を輪講してもらったが、内容はほとんどわからなかった。そのとき池田峰夫先生に理解するためには「例を考えなさい」といわれた。もっとも例が考えられるようになれば、すでにかなり理解が進んでいると思う。Feynmanも具体的に「実例に則して理解せよ」と繰り返して言っている。
遠山啓を筆頭とした水道方式のグループでは「シェーマ」をよく使う。例えば,それは四則演算に対しては「タイル図」だったり、加減に関係した文章題だったら「テープ図」だったり、掛け算も入った文章題だったら「面積図」だったりする。また小学校での複合的な文章題だったら、この「テープ図と面積図」を併用して使ったりする。また代数の文字計算では「文字タイル」というのも使う。または関数については「ブラックボックス」を使う。
対数に対してこのようなシェーマがないものかと思っているが、そのようなシェーマを私は知らない。いまのところは「ある数の対数とは、底を10にとれば、その数の桁数である」と理解している。だからある数の小数の桁数もあると考える。たとえば、2の桁数は10の約0.3010 桁だといったように。1は10の桁が0であり、10は10の桁が1である。この0や1が1や10の対数である。
これはちょっと次元が整数でないフラクタル次元を考えるのとちょっと似ている。
数学者のポリヤは発見的推論の一つとして「帰納と類推」とを挙げているが、「比較対照する」というのは私の意識して用いて来た方法の一つである。
私の理解の一つのこだわりは「発見的にわかる」ということだ。分かったことを確認するだけではいつも不満に感じている。これは普通に本に書いてあることでは満足できないということを大抵の場合は意味するので、この要求が満たされたときには自分にとっては新しい発見がある。もっともこういう理解がいつでもできる訳ではないが。
できるだけ「統一的にものを理解したい」とも考えている。たとえば、微分と積分を一体にして考えたい。微分の公式と積分の公式をできるだけ一体のものと考えたい。このとき重要になるのは微積分学基本定理である。だからこれをどのように理解するか。これに関心がある。
それから「いくつかの違った方法で分かりたい」という欲求もある。特にこれはFeynmanが求めていた方法である。
解析接続とは「関数の定義域を拡げることだ」と思うが,そのやり方として少なくとも3つの方法があるという。その3つの方法のすべてについての例を知ってはいないので、これを知りたいと思っているが、それをはっきりと書いて満足だと感じた本にはまだ出会っていない。
創造または理解のヒントを私はこんなところに求めている。