「広重徹の武谷批判をどう考えるか」を広重の「科学史の方法」と題したエッセイを読んで考えていたが、なんとかこれに答える道を考えついたように思う。もっとも細部はまだ考えなければならないのだが、主にどう考えるべきかということのヒントを得たという気がしている。
少し、気が落ち着いた。このところどう考えるべきかで悩んでいたので。もちろんこれが間違っている可能性もないではないが、どうも広重の武谷批判を読んでいて細部にはそうだなと思い当たるところがあるのだが、全体としてはあまりすっきりしなかった。
武谷三段階論をすべてを否定してしまってはロマンがないし、そうかといって広重の批判のいうことには細部ではそうかもしれないなという気がしているから始末が悪かった。
あまりに困ったので、知人のS先生にメールを送って示唆を得ようとしたのだが、S先生からは明確な方向は得られなかった。感じとしては私の感じ取っていたような感じをやはりお持ちなのだとわかった。
このごろは安孫子さんという物理学者がやはり広重の武谷批判を取り上げて議論されているようなのでそちらも読んでみなければならないが、ひょっとして同じような見解に達しているのかもしれない。