物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

分数の取り扱い

2009-06-20 14:29:39 | 数学

学習会でいいことをならった。分数の取り扱いについてである。

分数を導入するには等分割の操作で導入する。量分数とか割合分数とかいうことが言われたけれどもこれらは分数の導入にはどうも都合が悪いという。

また、分数の足し算(引き算)はできるだけしないで、小数の足し算でおきかえる。だが、分数の掛け算(割り算)は分数の方が小数の割り算、掛け算よりもはるかに簡単である。

掛け算と割り算の混合演算では左側の演算ほど優先されるとは生徒は「計算の規則」としては知っているのだろうが、割り算が掛け算よりも難しいために掛け算を優先する生徒が多いという。

分数係数があれば、できるだけ整数係数に直す。具体的には方程式の場合には適当な数をかけて整数係数に変換する。分数の場合には分子分母に同じ数をかけて(倍分するという)分数係数を整数係数に直せばよい。

これは分数の取り扱いではないが、割り算と掛け算の混合演算では割り算はその逆数の掛け算に直す。こうして演算の種類を加算と乗算の2種類にする。こうして割り算と掛け算の混合演算を掛け算だけの演算に直す。

というのは割り算が左にでており、その右に掛け算がある混合演算では掛け算を先にする生徒が多いからだという。

量分数と割合分数という論争が昔あり、割合分数が理解が難しいということから量分数が提唱されたが、その導入はうまくいかなったという。

これは遠山啓氏とか銀林氏の提唱でもあったらしいが、やはりうまく行かないので分割の操作で分数を導入するということに落ちついたらしい。

これは事実に基づいて議論をするということが数学教育協議会では最終的に徹底していて、いくら遠山さんや銀林さんのような偉い先生のいうことでも実践的に難しいことはダメだということが普通に行われているからであろう。

しかし、こういう実践に基づいてなんでもものごとを判断するという考えを遠山さんや銀林さんが否定していることではないので、彼らの不名誉にはならない。


教育の崩壊

2009-06-20 13:28:12 | 受験・学校

教育の崩壊が始まっている。まだ完全には教育の崩壊が起こっているわけではないが、それがいま準備されている段階であろう。

午前中に久しぶりに小学校の先生方を中心とする学習会に参加した。そこで先生方から語られることはこういうことではこれからの教育はどうなるであろうという心配であった。具体的には先生方の日常業務が以前と比べてとてつもなく忙しくなっており、そのために授業のための学習教材の研究の時間はほとんど取れなくなっている。

また、無意味な数値目標の達成のための計画を立てることに時間をとられる。これはそういう計画を出すことが教育委員会から要請されるのだが、そのときに明らかに意味のないと思われる数値目標がないと計画が絶対に承認されないのだそうだ。

それでしかたなく文字的に数値目標を入れるが、それはどうやって客観的に検証できるようなものかといえば、どう考えてもそんなことはできない。かなり主観的な評価しか出来ないようなものだという。

これは教育委員会の問題かといえば、どうもそうでもないらしい。もっと上の文部省から来ているらしいという。そういう要請を出している文部省の官僚もむなしいかもしれないが、それを阻止することが出来るどころかむしろ促進しているという。

改革と称してつぎからつぎへと新しい制度とか試みが上から課されてくるが、これは本当文部省への批判を封じ込めるために出されているのではないかと邪推したくなるとまで言う先生もいる。

それに10年ごとに教員資格の検証が行われるようになっているが、これは職業としての教師を続けることができるかどうかを危ぶまれることになってさえいるという。これはある意味では優秀な人材は教職にはつかないことを意味すると思う。そういうことでいいのかどうか。

もちろんあるごくごく少数の教師の中には問題の教師もいるかもしれないが、ほとんど大部分の教師はそんなことはないだろう。それだけならず、独立志向で優秀な学生や教師を抑えるためという意図があるのではないかという。

これでは早晩、日本の国力は衰退するであろう。人の言うことだけ素直に聞く人だけつくってもしょうがない。