物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

遠山啓と武谷三男

2009-06-25 14:34:15 | 学問

昨夜から武谷三男の「哲学はいかにして有効さをとり戻しうるか」をメモを取りながら読み始めた。まだ前半も読み終えていないのだが、彼は理論が危険を冒すことによって鍛えられるということを強調している。

そこには哲学者が危険を冒さないでそのためにいつまで経っても科学を進めるのに役に立たないことに苛立ちがある。

他方、雑誌「数学教室」のシリーズ「いまこそ遠山啓を語る」では7月号に井上正允さんが教育学者から聞いた話として

遠山が戦後の「生活単元学習」を激しく批判し、居並ぶ教育学者を前に「抽象的な教育論ではなく、具体的な教科について語れ」と喝破したとき、教育学者は誰一人として反論ができなかった

ということを書いている。これがいつのことだったかはわからないが、戦後まもなくのことであろう。

これは武谷のエッセイとはまったく別のコンテキストであるが、発想にはいうまでもなく並行性が感じられる。

哲学や方法論の有効性をあまり強調すると有効性だけがとりえだと主張するのは学問の本質から外れるとの批判 (広重の武谷三段階論批判のように) が出るが、抽象的な議論に終始してまったく役立たない教育学に愛想をつかした、遠山さんの苛立ちは分かる。

遠山は1909年生まれで、武谷は1911年の生まれである。二人とも学校嫌いだった。それで二人ともほとんど独学的である。武谷の方は生涯を通じて教育に違和感をもったが、遠山は逆に教育に関心をもった。だが、それも学校教育に肩入れをするというよりも独自の塾教育というか、独自の教育を目指した。


思想の科学ダイジェスト

2009-06-25 13:30:36 | 本と雑誌

「思想の科学ダイジェスト」という本が思想の科学社から出されている。

約50年の雑誌「思想の科学」に投稿された1万件の論文から2000編を選んだという。これを買いたいのだが、ほぼ一万円に近い。

さらに、エンゲルスの「自然の弁証法」の訳本が新日本出版社から出ているという。

これがまた一万円近い。本来ならこんな高価な本は購入する気などは起こらないのだが、どうもこれらが武谷三男に関係してしているとなると、購入しなければと思ってしまう。

いつもいうように定年退職して収入が現役時代の約1/3になっているから、経済的につらい。大学の図書館にこれらを購入していないかと調べたが、E大学にはこの両方とも入っていない。このごろは高価な書籍は大学の先生も買うのは控えるのかもしれない。

家計から支払ってほしいといっても妻はいうことを聞いてはくれないだろう。仕方がないから、自分のとても乏しいポケットマネーからこれらの書籍を購入する費用を捻出しなければならないだろう。

(2014.2.12付記) 「思想の科学ダイジェスト」(思想の科学社)の方はその後購入をした。

だがMEGA版のエンゲルスの「自然の弁証法」の方は購入できていない。これは多分どこかの図書館で借りて読むしか私には方法がない。

というのは年金生活で購入するだけの経済的余裕がないからである。むかし、エンゲルスが大英博物館かどこかの図書館に通って資本論の校訂をしたとか何かで読んだ気がする。