物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学と音楽とのアナロジーは?

2009-12-14 13:28:04 | 日記・エッセイ・コラム

「数学と音楽とのアナロジーは?」というようなことを昨夜のコンサートで音楽を聞きながら、考えるともなく考えた。

数学では数式が出てくるし、音楽では楽譜がある。その楽譜にしたがって演奏するようでも指揮者の解釈によって曲の演奏の仕方は大いに変わってくると聞く。これは私にはまだよく分からない。

では数学ではどうなのだろうか。数学でも数式で書かれた式は同じことを意味するのだろうが、それでもそれを読み取る人によってその含意は大いに変わってきそうである。こちらのほうもそうよく分かるわけではないが、ちょっと音楽よりはわかりそうな気もする。

「言葉で思考する」という哲学者もいる。

しかし、昔読んだある数学者(多分アダマールだった)の書では有名な数学者や理論物理学者にアンケートを送ったその答として、アインシュタインが言語で考えているのではなく、言語化できないイメージで考えているという答えだったが、それが私には本当でないかという気がしている。

自分がどういう思考をしているかはよくわからないが、言語化できるようなものでないことだけは確かなようである(もちろん、いつまでも言語化できなければ、他人に理解されないから研究にはならないが)。

だとすれば、作曲家がその曲をつくるのにイメージを必要とするのはわかるが、曲をよく読み込んで演奏家や指揮者がその独自の解釈で演奏し、指揮するのはほんとのところはどうなのだろう。

有名な数学者の岡潔さんが、「ある本に’なんとか’書いている」というので、友人の数学者がその本を読んで見てもそういうことはどこにも書いてなかったとか書いているのをどこかで読んだ気がする。

そうだとすると、元の論文や本の著者の意図を超えて、指揮者や演奏者がその曲を読み込んで新しい演奏をするということも皆無ではないのではないか。

それがいけないという法もあるまい。


愛媛交響楽団定期演奏会

2009-12-14 12:58:23 | 音楽

昨夜は媛銀ホール(県民文化会館)でのコンサートに行った。妻の属しているコーラスグループの指導をされているT先生がチケットを下さるというご招待であった。指定席で前から数列目で真ん中の席でよく音楽を聴くことができた。音楽を聞いてハッピーという感じはいままであまりもったことがなかったが、昨夜はハッピーという感じがした。

これは愛媛交響楽団という演奏の腕の確かな楽団のコンサートということもあったのだろうが、曲目がドヴォルザークの「新世界」とか「謝肉祭」とかとショパンの曲だったからである。私のようにまったく音楽に疎い者でも中学の音楽の時間にドヴォルザークは当時レコードで何回か聞いたことがあったからである。ピアノの黒田えりさんは松山東高の出身だとかで、この地方ではよく知られたピアニストだったらしい。現在オーストリアに留学中だが、まだ20代半ばだというから、すばらしい。

また、先回の市民コンサートがやはりドヴォルザークのアメリカという曲が演奏されてドボルザークを聞いたからでもある。新世界は多分に管楽器が主役を務めているということに今回初めて気がついた。大体、私はバイオリンとかの弦楽器の音は好きだが、ピアノはあまり好きではないのだが、今回の黒田さんの演奏は気に入った。

それとコンサートに出かけたときに数人の知人に出会った。M夫妻はテニスで知り合ったし、Tさんはドイツ語の関係で知り合った。また、元同僚だったI 先生ご夫妻にも会った。また、妻がコーラスグループでお世話になっている二人のT先生にもご挨拶をした。

私などはあまり人とのつき合いがない方だが、それでも何人かの人と知り合っているということがわかった。もっとも妻のつき合いの広さのお陰でもある。