「数学と音楽とのアナロジーは?」というようなことを昨夜のコンサートで音楽を聞きながら、考えるともなく考えた。
数学では数式が出てくるし、音楽では楽譜がある。その楽譜にしたがって演奏するようでも指揮者の解釈によって曲の演奏の仕方は大いに変わってくると聞く。これは私にはまだよく分からない。
では数学ではどうなのだろうか。数学でも数式で書かれた式は同じことを意味するのだろうが、それでもそれを読み取る人によってその含意は大いに変わってきそうである。こちらのほうもそうよく分かるわけではないが、ちょっと音楽よりはわかりそうな気もする。
「言葉で思考する」という哲学者もいる。
しかし、昔読んだある数学者(多分アダマールだった)の書では有名な数学者や理論物理学者にアンケートを送ったその答として、アインシュタインが言語で考えているのではなく、言語化できないイメージで考えているという答えだったが、それが私には本当でないかという気がしている。
自分がどういう思考をしているかはよくわからないが、言語化できるようなものでないことだけは確かなようである(もちろん、いつまでも言語化できなければ、他人に理解されないから研究にはならないが)。
だとすれば、作曲家がその曲をつくるのにイメージを必要とするのはわかるが、曲をよく読み込んで演奏家や指揮者がその独自の解釈で演奏し、指揮するのはほんとのところはどうなのだろう。
有名な数学者の岡潔さんが、「ある本に’なんとか’書いている」というので、友人の数学者がその本を読んで見てもそういうことはどこにも書いてなかったとか書いているのをどこかで読んだ気がする。
そうだとすると、元の論文や本の著者の意図を超えて、指揮者や演奏者がその曲を読み込んで新しい演奏をするということも皆無ではないのではないか。
それがいけないという法もあるまい。