Never put off till tomorrow what you can do today. ということわざがあるが、これと正反対のことわざがスペイン語か何かにあるという。それは「明日できることは今日するな」とかいうのだという。さすがにそんなことわざは日本語にはないようである。
ところが、根気が続かなくて明日が来るという希望をもって仕事を明日以降に延ばすということをするようになった。本当はそれは単なる希望であって本当に明日も元気で仕事ができるという保障がいつもあるわけではない。
だが、そういう楽天主義が必要なのではないだろうか。私は若いときには悲観主義であってとても楽観主義にはなれなかったが、歳を取ってくるにつれて、楽観主義になってきた。どうせものごとが好転しないならば、悲観主義よりも楽観主義のほうがいいではないかと思うようになった。
だから、刻苦奮励するというようなことができなくなった代わりにまた明日があるさという楽天主義でいられるようになった。これは自分の生きている間だけではなくて死後も人間はなんとかいい方向に努力をするだろうという楽天家でいるという「あまちゃん」ぶりなのである。
本当はそんな「あまちゃん」ではいけないのだろうが、ある種の楽天主義が必要なのだと思っている。
これはあるときに中国の革命家だった、毛沢東の伝記を読んだら、彼がとても楽天主義だったということを知った。そのころはまだ若かったので、そのような世界観には同意ができなかったが、このごろになってすこし楽天的になった。