長生きして老齢になった人はもう余命が少ないので、希望がもてないのか。
それはそうばかりとは限らない。確かに生物学的にいえば、余命が少なくなったのは確かだろう。だが、一方でいえば、70年、80年生きてきたことは確かである。それはまだ若い人のもちえない利点というか確実さである。
どういう生き方をしてきたにせよ、またその生において成功した人もそうでない人も確かに何十年を生きたという事実は誰にもこれは神様にも犯すことのできない。そういう意味では老齢の人が私にはある意味でうらやましい。
一方で若い人はどうか。彼や彼女らは未来という未知の大きな可能性を秘めている。これは誰にも共通に期待できることであろう。もちろんその後の生き方次第だが、その可能性をもっているということで若い人がうらやましい。
だが、その可能性はある意味ではもろいものである。途中で老年に至らずにそれも成功することもなく単に若くして亡くなるという悲惨な可能性もまたもっている。
しかし、悲惨であるからといって私たちがかってにその人にとって惨めであったとか決めつけるのはやりすぎだろう。その人がどう感じるかは客観的なものとはちがう。
若い人のもつ未知の未来はこれを老齢の人がもうもつことはできない。だから、未知の未来をもつことは若者の特権であろう。
「生と死」とか「老齢と若さ」とを考えるときにいつもこの相反する思いが私の頭の中を交錯する。