世の中には注意深い観察者がいるものである。
これは大学の英語の授業で学んだことだが、スプーンの中に写る自分の像は倒立である。どうだったか確認のためにいまあわてて台所へ駆けて行って私はスプーンを出して見てみた。
確かに倒立で間違いがない。私は高校物理の中で直線光線の鏡やレンズがつくる像について学んだものであるが、そのうちにそのことも忘れてしまっていた。凹面鏡では実像ができるはずであるが、スプーンは理想的な球面の凹面鏡でないので、像がひずんでいる。
私は物理を学んだのにいい加減な理解が至るところにある。たとえば、反射望遠鏡では像を肉眼で見ることができないと思っていた。たぶん写真をとるとかしかできないのだと思っていたようである。
子どもが小学生の頃に望遠鏡で星を見ることに関心があったので、大学の建物の屋上にある球状のドームに望遠鏡があるのではないかと言い出し、そこには望遠鏡はないということを子どもに納得させようと思って、ドームのところへ連れて行ったら、暗に相違してそこに望遠鏡があり、クラブの人たちが毎晩のように星を観測していた。
そこである晩に星を見ることに招待されて、子どもと一緒にそこに星を見に行った。そこで見たのは小さいながらも反射望遠鏡で接眼レンズから、星を見ることができた。
物理の考えが十分身についている人から見たら、おかしくて笑ってしまうような観念を私がもっていたということである。このようにいつも奇妙な観念の持ち主である、私は。