「けんか太郎」といわれた武見太郎氏はいわずと知れた元日本医師会会長だが、若いときには理化学研究所に所属していた。その当時の理化学研究所は天下の俊才を集めていた帝国大学ではない、研究所であった。
中谷宇吉郎が何かの病気に罹って武見太郎氏に診てもらったら、その診断のしかたが合理的であったらしく物理学者の中谷を感心させてしまった。
このことを中谷の書いた随筆で読んだのだが、それがどの随筆であったのは覚えていない。また、具体的なその記述もよく覚えていない。中谷宇吉郎の著作集を開けてみれば出てくるのだろうが、それはしていない。
武谷三男も理化学研究所にいたことがあるので、武見太郎とは面識があったらしい。武谷にしろ、中谷にしろ武見の医師としての腕を信用していたという。その後の医師会会長としての政治的手腕を別としてもなかなかの名医であったらしい。