「手がかり」が大事である。
このところ二項定理の証明についてのエッセイを書いているのだが、その中で数列とその階差数列をどう書くかが問題になった。
これは例えばワードで数式を書くならば、mathtypeかなにかで数式とか数列を書くのだが、数学エッセイはlatexを使って書いている。それで、そういった数列と階差数列を何段かに重ねて書くという方法がわからなかった。
texのことを書いた本はたくさん出ているのだが、そういった例を書いた本があまりないように思えたので困ったなと思って気が重くなっていた。
ところが、あるlatexの本を見たら、「パスカルの三角形」をlatexで書いているのを見つけてそれに倣って書いてみたら、思うように書けた。
ここで、大事なことはパスカルの三角形の例を見つけたことであった。それまでどうしたらいいのかわからず、気が重くなっていた。
要するに数列とその階差数列を表現する、手がかりがなかったのだ。ところが、似たような状況があるということがわかったので、急に光明が見えてきた。
もちろん、実際にきちんと自分が思っていたようにlatexで書くためには一日ほどかかったが、それは単に手間であって、心理的な困難ではなかった。
これは、個人的な経験であまり普通の人の経験することではないが、15年ほどまえに子どものことでつらい経験をした。
そのときに目の前が真っ暗になったように思えてどうしたらよいかわからなかった。そのような事態に対して親戚、友人、知人は回答を持ち合わせていなかった。
そのときにある「つて」を頼ってNさんに電話できた。Nさんと話をしたら、この困難な事態が直ぐに解決はしないにしてもいつかは解決できるのではないかという希望というか方法がないわけではないのだなと思うことのできるようなアドバイスをもらった。
このアドバイスは大事であった。物事はそのときにまったく解決しているわけではなかったが、そういう希望というか方針がわかるとか感じられることが大事であったと思う。
人間は困難な事態でも希望があれば、切り抜けることができるのだ。一番困ったことは希望をなくすことである。
話はまったく別のことに飛ぶが、知人が大学の留学生の日本語学習を援助している。ところが、漢字の学習がまったくできない留学生がいるという。
その話を先日聞いたので、即座に私は言った。現在漢字が書けないことが問題ではない。いつかは書けるようになるという希望とそれに対処する方法があるはずだという信念が大切である。
人間は絶望しない限り大丈夫生きていける。絶望はそんなに早くするべきものではない。
大江健三郎がその著書「ヒロシマノート」で、述べていた。
ヒロシマの医者、重藤文夫先生は原爆後の被爆者に医療を十分に尽くせない状況でも絶望をしなかったと。困難な状況に面して絶望するのも人間なら、絶望しないのも人間である。