物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

戦争の形態

2016-04-06 10:59:22 | 日記
がテロで変わったと最近の朝日新聞のGlobeにあった。その個所を私は読まなかったが、妻が今朝の朝食のときに難しい時代になったねという。その所はどう書いてあったのと聞いたら、町の中でテロがあるから、警察が軍隊みたいになっているのだという。

自由で有名なフランスでさえ安全のために自由が制限されることを市民がよしとする風潮ができているという。これがフランスでさえそうなのだから、自由の伝統のあまりない日本ならばいかに安全という掛け声で自由が制限されるようになることだろうか。

現代の戦争の最新の要素は何かと聞かれた歴史家の羽仁五郎はゲリラとレジスタンスだと答えたとか聞く。大抵の軍事評論家とか政治家とかが大陸弾道弾ミサイルだとか原水爆だとか答えていたころにである。

軍隊はもちろん防衛に役立つかもしれないが、それは限定的効果しかない。本当に自分の国が他国の支配されたときにはやはり役立つのはゲリラとレジスタンスしかないだろう。軍隊は二義的な意義しかない。しかし、そんなことをいう日本人はほとんどいない。

テロに関して言えば、自爆テロをする人たちもやはり人間であり、その内面を思うことが大切である。それが自発的なものであるにせよ、強制されたものであるにしろ、自分の身を犠牲にして自分の主張がその中に含まれているかもしれないが、それは自分の主張かもしれないが、他のテロの犠牲者の主張はどうなるというところに思いを馳せられるようになってほしい。

もちろんその大多数の主張に抗して自分の主張をしたいということかもしれないが、それでは意見の交換の場はなくなる。それでいいのかということと自爆テロをそそのかした指導者の責任問題もある。

日本では太平洋戦争末期に神風特攻隊というようなものがあった。残念ながらそれが戦線状況を挽回することはなかったという歴史がある。そしてその特攻を強いた上官は戦後も生き残ったとかとも聞く。中にはその責任を取って割腹自殺をした上官もいるかもしれないが。

科学技術の観点からは最低の考え方だと特攻については批判されていると思うが、その批判は国民の中で戦後も一般的にならなかったと思う。それでもやはり科学技術的な観点からみてもやはりおかしいし、さらにもっと根本的に基本的人権という点からもやはりおかしい。