庭の笹の退治に苦労しているということを書いたことがあるが、その牙城に迫りつつある。庭の隅の笹がそこから庭全体に広がってきた源のところを半分くらい今週の日曜日に除去した。
だが、まだ半分以上が残っている。笹の下の土をのけて笹を根元から除去しようとしている。
庭の笹の退治に苦労しているということを書いたことがあるが、その牙城に迫りつつある。庭の隅の笹がそこから庭全体に広がってきた源のところを半分くらい今週の日曜日に除去した。
だが、まだ半分以上が残っている。笹の下の土をのけて笹を根元から除去しようとしている。
ノーベル賞受賞者の同期生という題で先日ブログを書いたが、その2である。
私がE大学に勤めて間もないころだが、町の酒場でどこかで見かけたような人に出会った。それが電気工学科のM教授であった。彼はNHKに長年勤めていて、その後 E 大学に勤めるようになった。
この M さんとその後一緒にお酒を町の酒場で飲んだことがあったが、この M 先生は三高、京都大学出身の秀才であり、大学ではあの湯川、朝永両先生の同期生であった。
三高のときには朝永さんと特に親しかったという。湯川さんの方とはそれほど親しくはなかったと言っておられた。こういうふうにいまでこそノーベル賞受賞者は京都大学の専売特許ではなくなったが、一時は京都大学からノーベル賞受賞者を輩出するという時代があった。
それから時は過ぎて、利根川進さんがノーベル医学生理学賞をもらわれた後での話だが、ある京都大学の化学出身の研究者の方から利根川がノーベル賞をとるなら、「俺も僕もという話がある」のだという話を聞いた。
そういう時代になって来ているのだとは感じたが、なかなかノーベル賞を近しく感じたことはなかった。よく考えてみると京都大学の理学部の出身の方などは日本ではじめてノーベル賞を受賞した湯川先生の薫陶を受けているのだから、別にノーベル賞といっても私などとはちがって近しく感じていたとしてもおかしくはない。
ともかくも、そういう時代に私たちは生きている。