NHKのラジオのフランス語講座のテクストを廃棄するように妻に迫られている。
当面は、ここ10年分くらいだが、私の家にはたぶん1977年4月からだから43年分くらいはあるだろう。それを順次廃棄する必要がでてきた(注)。
やはり1977年以降のドイツ語のテクストもある。2004年度まではテレビのフランス語とドイツ語のテクストもあった。だが、テレビは視覚的なものなので、テクストはあまり必要ではないから、大学退職時に費用の軽減のために購読を止めたから、2005年度からはテレビのフランス語講座とドイツ語の講座のテクストはない。
ひょっとすると、これらのテクストは私のうちには1970年前後から残っているかもしれない。これらのテクストの廃棄は紐にくくってリサイクルゴミとして出すだけだから廃棄は簡単なのだが、どこかにその雑誌が一部は残っていることは必要だろう。
国会図書館には日本で出版されたすべての本や雑誌が収容されているはずなので、記録としては私の所蔵しているものを廃棄してもかまわないのかもしれない。本当のところはどうなんだろうか。特にこのテクストを発行しているNHK出版には全部残っているのだろうか。
ドイツ語のほうはいまのところ廃棄を迫られてはないが、これは妻もドイツに私と一緒に行って住んでいたから、少しはドイツ語をわかるのでちょっと猶予をくれているのであろう。
そういえば、自分の死後に遺族がその蔵書等の処理に困るだろうからというのであろうか、2月の半ばに亡くなった2つ違いの次兄はかなり以前から自分の持っていた蔵書のうちで文学書等を自分の若い知人たちに譲っていた。
兄のもっていた蔵書が亡くなったときに、皆無になっていたわけではないが、かなり少なくなっていた。彼は世界文学全書とか日本文学全書みたいなものももっていたはずだが、もうそれはなかった。
4つ年上の長兄は交通事故で60歳の時に突然なくなったので、蔵書がそのまま残っていた。小説等の文学書は私は譲り受けなかったが、理科系の書籍のかなりの部分は私がもらった。
もっとも中学校の理科の教師だった長兄の蔵書はそれほど私の役に立ったわけではない。それでも中学生のための理科の読本風のものはときどき取り出して読んでいる。
(注)1977年4月はドイツでの一年の留学から帰ってきたときである。外国語が話せることが重要だという認識を新たにしたのがこの時期であった。