物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

e-tax初挑戦

2008-03-12 11:48:03 | 社会・経済

今年はじめてe-taxに挑戦した。延べかかった日数は4日であった。初めての人にはこれは複雑すぎる。初めの日はIC card readerの設定から初めてたくさんのことをした。その設定がたくさんある。もっとも設定自身はたくさんのマニュアルを読んでその通りにすればよかった。でも指示を見るために該当箇所をプリントして読みながら設定等を行った。面倒でたくさんの書類を読むのが手間ではあったが、トラブルはなかった。

確定申告の書類作成は2年ほど前から国税庁のホームページでやっていたので入力は比較的簡単である。ところがこれを電子申告しようとしたら、トラブルが発生した。ポップアップ何とかが解除されていないとかでそれを指示に従って解除で第1日は暮れた。

第2日以降はデータをつくって読み込もうとするが、読み込んでくれない。どうしてかわからない。それでデータを作り直すこと2度3度。データを開こうとすれば、データが壊れるとの注意書きがあることに気がついたで第2日は終わり。

第3日はデータを新たにつくってその読み込み方もなんとかわかり、データを送ったが、初期登録がすんでいないというメーッセジでやっと開始届けと初期登録とがちがうということがわかって初期登録をする。しかし、この初期登録について国税庁から何か承認の連絡があるのかと3日ほど待つ。その辺がはっきりしない。4日目に新たな連絡はなさそうだと思う。

第4日はそれまで保存していたファイルはすべて破棄して新たにデータをつくる。そして電子申告したら、エラーもなく送信できた。メーッセジで確認したら、どうも無事に送れたらしい。やれやれ。

妻がいうにはe-taxなども役所の言い訳のためにつくられているという。簡単にできないのだが、やろうと思えばできますよといえるためだという。そうかもしれない。ことは税金に関することなので粗雑に扱っていいとは思わないが、IC card readerの設定等から考えるとあまりにも煩雑すぎて普通の人がやれるのだろうかと心配になる。

確定申告の自己申告はe-taxによろうがどうしようが、面倒である。甥などは自分で書いて郵送したところ後で税務署から呼び出しを受けた。それ以来、確定申告を嫌がって税理士さんに依頼することにした。これは彼がとても忙しいからである。世の中に税理士さんはたくさんいてその人たちが生活できているのは偏に税金の申告等の難しさの故であろう。税理士さん万歳。


柏太郎著 演習「場の量子論」

2008-03-11 13:21:00 | 物理学

演習「場の量子論」(サイエンス社)は柏太郎さんの著作である。

柏さんはいう。場の理論のテクストはどれも大部である。500ページから1000ページにも及ぶ。それでこれらの本をセミナーで読み上げるには数年がかかる。それを1年くらいで演習をしながら理解できたらいいだろう。そう思ってこの本を書いたという。

大胆な試みである。同じように比較的薄い場の量子論のテクストに坂井さんの本があるが、ちょっと覗いてみたらどうも間違いがありそうである。Schroedinger 描像だと状態ベクトルは時間に依存するが、それが演算子が時間に依存しているととれるような記述があった。

これでは信用して坂井さんの本を読むことはできない。単なるボンミスだと思うが、これに見られるように忙しい公務のすきの縫って本を書くのは大変だということだ。

柏さんの本はいまは改訂版が出ていて、私も先日購入した。時間に暇があれば一日1問を実行したいと思うが、その暇がない。もっと手っ取り早い方法はないものか。

Euclid の昔から「学問に王道はない」。これはギリシア時代のある王様が幾何学を習うのに悲鳴を上げたときにEuclid の言った言葉だという。それはそうだろうが、やはりなんとかすべきだろう。しかし、場の量子論では柏さんの本が役に立つだろう。


武谷の著作の収集

2008-03-10 15:14:18 | 社会・経済

収入が定年後に少なくなったと書いたら、子どもたちに心配をかけたようだ。申し訳ない。心配はいらない。

昨年、自費出版の本「数学散歩」が出版社に託した200部全部売れてその代金の半分が私のところへ入った。(著者の手取りは自費出版にもかかわらず50%)ちょうど25万円である(その後の出版社との交渉で私の取り分は30%になった。ちなみに出版の全費用は110万円)。

ちょっと潤ったので古本を購入したりしていたらその資金がつきてしまいそうである。そういうことで古本を購入することをほとんどしないように心がけている。

武谷の著作は未収集の古本があれば基本的には購入するが、私の収集した冊数がもう190冊以上なのでほとんど入手していないものはなくなった。もちろんすべてを尽くしことはできていないが、その大半を集めた。

費用がかかったのは「久保栄全集」と「世界文化復刻版」の購入であった。どちらも3万円を越える費用がかかったと思う。久保栄全集は全巻は買わないつもりで第12巻だけを購入するつもりだったが、第12巻の個別の販売はなさそうだったのでしかたなく全巻を購入した。

一般に物を買うときは高く、売るときは安い。これは取引業者が中間に入るので彼らの取り分がいるからであろう。先日ある古本屋に200冊ほど本を買ってもらったが、2万円でしかなかった。でもそれは仕方がない。古本を購入する方も売れるかどうかのリスクを抱えているから。

自分でインターネットで売るということも考えられるが、その手間は大変である。手間と引き合うとは考えられないし、まず売れるかどうかが問題であろう。したがって古書店をやっている人にはそれが売れ筋かどうかについての勘が必要なのだろう。

世の中には変わった人がいて私には必要でない古本でも探しているかもしれない。現に私がそういった人間の一人だから。


基礎数学ワークブック

2008-03-10 14:35:57 | 数学

高知工科大学の数学の先生が「基礎数学ワークブック」をつくってインターネットのホームページに出している。

説明が詳しく適切な演習問題がついている。かなり題材を網羅的に扱っている。ただ、説明のしかたはまだ改良の余地がありそうだ。

これは私がやろうとしたことの一部をやっているので、参考にできるだろう。学生がLatexの入力をしているようである。

数学を勉強しようと思った学生や生徒が学習しやすいように学習内容をしておくことは大切である。

ただ、これはある程度すでに行われた他の人の業績を踏まえておくことが大切なのではないだろうか。その点でこのワークブックが十分であるとは思っていない。


つまらない発見と法則

2008-03-07 12:11:56 | 日記・エッセイ・コラム

私の友人とか知り合いに名前がMで始まる人が多いのに気づいた。守、正典、正久、正雄、政吉、明雲等々。正典氏は2人も友人がいる。これは偶然なのだろうか。それとも何か理由があるのだろうか。

つまらない法則に私の発見した法則がある。それは「プロ野球のナイトゲームでテレビをつけたときにたまたま攻撃をしている方が勝っている可能性が大きい」という法則である。なぜなら、勝っているほうが攻撃時間が長くなるので、たまたまテレビをつけたときにその攻撃の時間になっている可能性が大きいからというわけである。

実際に見ていると必ずしもその法則が成り立たないこともあるようだが、幾分かは理屈にあっていると思われる。つまらない法則でそんな法則がなりたっていようといまいとまったく利害もなにもない。これは確率の問題にはなりにくいのではなかろうか。


学校ぎらい

2008-03-06 11:57:45 | 学問

私の好きな遠山啓も武谷三男も学校嫌いである。その二人とも大学の先生をしていたというのもおかしいが、学校嫌いが独自な考えをもち、オリジナルなことをするのが面白いと思う。

遠山啓は水道方式で知られた数学教育の専門家である。もともと数学者だが、狭い意味の数学者では収まらなかったし、そのエッセイがいい。特に、岩波新書「無限と連続」はいい。

これを読んだのは大学2年から3年になる春休みで私の出た高校から私の在学していた大学に数人の受験生があってそれを世話した後でインフルエンザにかかって2週間寝床に就いたときであった。そのときの暇に読み通したと思う。

「数学入門」もいいが、この下巻を読み通したのは定年になってからのごく最近のことである。上巻は以前にも読んでいたと思う。

武谷はやはり岩波新書「物理学入門」で親しんだが、こちらの方はまだ完全に通読したことはない。でもはじめの「科学とはなにか」のところは他に類書がないと思う。これは主に科学の認識を考えているので本当にオリジナルである。武谷の本はたくさん読んでいるが、熟読したことはあまりない。

むし素粒子グループ若手の夏の学校で当時立教大学教授だった町田さんが武谷の核力のポテンシャルのしっぽ(すなわち、核子同士が遠いとき)のところで力が小さいから摂動論が使えるという解説をしてくれたときにその考えの適切さに感心した。もっともこれは町田流の解釈が入っているのかもしれないが、その話の簡明さに感心をした。

私は学校嫌いとまではいかなかったが、それでも独学の気がある。というのは学校では物がわかったということがあまりないからである。どうも理解力がないというか頭が鈍いのでヒトがすっとわかるところがわからない。始まりのところでひっかってしまう。

ちょっと思い出したことだが、一時アメリカでコンピュータ関係の新しい概念を提唱するヒトにはヨーロッパ出身のヒトが多いといわれていた。このころはどうか知らないが、そういう時代が確かにあった。それはヨーロッパで育ったヒトのもっている何らかの教養が役立っているのではないかといわれたものだ。

遠山とか武谷とかの学校嫌いは単に学校嫌いだったわけではなく、その間に文学とか音楽とかその他いろいろな教養を身につけていたということだろう。それがヒトになんらかの感銘を与えるもとになっているのだと思う。


物理の散歩道

2008-03-05 17:59:15 | 物理学

昔ロゲルギストという一団の物理学者のグループがあり、「物理の散歩道」というエッセイだか本を出していた。

若手の物理夏の学校の当番校だったときに坂田昌一先生を講師に招いて話をしてもらった。坂田先生が亡くなる数年前の話である。

坂田先生は講演で「物理の散歩道」などという考えを批判されて、闘う物理学でなくてはならないといわれた。

多くのヒトがそれを聞いて感銘を受けたなどとは思わないが、それでも坂田先生の立つ立場は理解したと思う。

こんなことを思い出したのは数年前に私は「数学散歩」という本を出版したからである。坂田流に言えば数学に本気で取り組んでいないということになる。そうかもしれない。

しかし、私が「散歩」という語を使ったのは教科書風の体系的ではないという意味でつかったのであった。

une promenadeというのは散歩にあたるフランス語だが、「物理の散歩道」風の気持ちも少しはあった。だが「数学散歩」での取り扱いはそんなに散歩風でもないのだが、それにしてもこれは言い訳がましい。


定年退職と老後の生活

2008-03-05 11:33:52 | 社会・経済

定年退職をしたのは3年前のことである。それから自分のやりたいことをやってきたので、生活を楽しくやってこられた。ただ困るのは生活が経済的に苦しくなってきたことである。

新聞を読んでいたら、夫婦二人で320万円の年金生活が標準だそうであるから、ほとんどそれに等しい標準的な家庭である。ところが支出が多いのだ。いまのところ年間約100万円の赤字である。これでは長い目で見れば生活ができない。どうしたものだろうか。

学会は二つほど辞めたが、でもまだ入っておきたいものもある。また雑誌だがいくつかまだ取っておきたい学会誌もある。それらの購読料は全体で数万円だろうが、ここに来て大きな痛手になる。これは自分が月々給料をもらっていた頃にはそんなに感じなかったことである。

勤務を辞めたら、すぐに学会から脱会してしまう人もあり、これは生活を考えた結果なのだろうと今にして思う。生活贅沢をしているわけではないが、普通のヒトにとったら贅沢だと思われることもあろう。どうしたものだろうか。


e-taxで確定申告に挑戦

2008-03-04 12:11:33 | 社会・経済

長男が忙しいようだが、私も忙しい。これは数学エッセイもあったが,昨日はe-taxで確定申告をしようとしたからである。昨日一日中やって結局申告できなかった。これは書類は簡単にできるのだが、どうしたものか送れないのである。

それに至るまでも私にしてみたら大変な努力である。多くの書類を読んで、IC card reader-writerをインストールし、等々いい加減で放り出したくなる。コンピュータは面倒である。蹴飛ばしてしまいたくなった。


なぜ数学エッセイを書くのか

2008-03-04 12:08:42 | 数学

私がなぜ数学エッセイを書くのか。これをこの機会に記しておきたい。これは「私が数学ができないからである」というのが根本の理由であるが、それだけではない。

昨日(3月1日)の朝日新聞にインドのIT産業が隆盛なことが出ていた。しかし翻って日本を考えると理工系教育の現状はわびしい。

日本でも私の教えていた工学部では年々入学生の数学の力が落ちていた。それは一つには学生個人、個人の意欲の問題もあるが、もう一つは教師とか教科書とか参考書の問題もある。

一つの例として、「三角関数の半角の公式をどう覚えるか」といった細かなことで、これを余弦の倍角の公式と正弦の2乗と余弦の2乗との和が1となる公式(ピタゴラスの定理を表した式)を足し引きして導く。これが一番簡単だと思う。しかし、そういうことを書いている本は見かけない(注)。

この方法を私はある参考書から高校生の頃に学んだのだが,こういった細かなことの積み上げで数学を覚えやすく使いやすいように習得する必要が絶対にある。これが私の信念である。

ところが現行の教育は学習内容の記憶を強制したりしている。特に悪い教師はなんでも記憶を強要する。

私の体験だが、高校のときに数学の教師に余角の公式や補角の公式を覚えることを強制されたが、これがまったく覚えられなかった。その後、これらは丸暗記する必要はなく、図を書いて導くものだと参考書を読んで知ったときにはびっくりした。

というのはこれらの余角の公式や補角の公式はよく似ていてそれも前に負号ついたり、つかなかったりするのが複雑なのだ。しかし、これを図を書いて導き出す方法を知るとなんと簡単なことか。

私を教えた先生はそういうことも知らなかったのだと思う。記憶力が抜群にその先生はよかったのかもしれない。それにしてもその教え方はまったくひどかった。

反面教師としてのその先生に反発を感じて今の私がある。そういう意味ではその先生に感謝をすべきかもしれない。

とにかく、私はなんとか数学とか物理とかに関心を持ち続けることができたが、大多数の生徒や学生はそういう先生に出会えばほとんど落ちこぼれてしまう。また、現実に私の同級生多くは落ちこぼれたと思う。

そういうことでは世界の各国の科学者や技術者とは第一線で互角には闘えない。無理なのだ。そのための学習内容はしたがって十分に注意して用意されなければならない。その準備としていろいろな数学エッセイを書いているのだ。

基本的にはとりあげている内容はもちろん自分の関心に溺れているだろう。しかし、志はしっかりともっているつもりだ。

もっとも新しい科学なり、技術なりを起こし、開発、発展させるためには数学や物理学等の知識だけではすまない。深い洞察力と見通し、強い好奇心、執拗な執念、失敗にめげない心やチャレンジングな精神がいる。それらを教えることは教育ではできない。それはある意味でその人のもって生まれた才能や能力、性質である。

学問的な知識は確かに究極的には大したことではないかもしれないが、それを初歩的な段階でつまずかせないことが多くの人間を育てるためには大切だ。「深い理解と見通し」、これをできるだけ多くの人たちに示せるようになりたい。

(注)どういうことかとちょっと数式で書く。

  1=cos ^{2}x+sin ^{2}x

     cos 2x=cos ^{2}x-sin ^{2}x

これらの式を辺々たせば、

      1+cos 2x=2cos ^{2}x

辺々引き算をすれば、

  1-cos 2x=2sin ^{2}x

である。この導き方はよく調べれば、いくつかの書にはある。

具体的に挙げておくと、私が知っている書では、

 秋山武太郎『わかる三角法』(日新出版)

 藤森良夫『解析の基礎』続編(考え方社)

 ラング『解析入門』(岩波書店)

の3書である。一番普通に見ることができる書は『わかる三角法』であろう。私が知ったのは藤森良夫『解析の基礎』続編によってである。

(2020.1.11付記)  現物の本はまだ見る機会がないのだが、アマゾンの書評で金田数正さんの著書の『三角関数』(内田老鶴舗)にこの方法での三角関数の公式の導き方が載っているらしい。

半角の公式の導き方以外のことがここには書かれているのかもしれない。この書を購入するかなんとかして、一度その記述を見てみたいと考えている。

だが、この方法はあまり知られてはいないが、金田さんもどこかで学んだことのように思うが、さて本当のところはどうだろうか。