昔ロゲルギストという一団の物理学者のグループがあり、「物理の散歩道」というエッセイだか本を出していた。
若手の物理夏の学校の当番校だったときに坂田昌一先生を講師に招いて話をしてもらった。坂田先生が亡くなる数年前の話である。
坂田先生は講演で「物理の散歩道」などという考えを批判されて、闘う物理学でなくてはならないといわれた。
多くのヒトがそれを聞いて感銘を受けたなどとは思わないが、それでも坂田先生の立つ立場は理解したと思う。
こんなことを思い出したのは数年前に私は「数学散歩」という本を出版したからである。坂田流に言えば数学に本気で取り組んでいないということになる。そうかもしれない。
しかし、私が「散歩」という語を使ったのは教科書風の体系的ではないという意味でつかったのであった。
une promenadeというのは散歩にあたるフランス語だが、「物理の散歩道」風の気持ちも少しはあった。だが「数学散歩」での取り扱いはそんなに散歩風でもないのだが、それにしてもこれは言い訳がましい。