物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

愛媛交響楽団定期演奏会

2009-12-14 12:58:23 | 音楽

昨夜は媛銀ホール(県民文化会館)でのコンサートに行った。妻の属しているコーラスグループの指導をされているT先生がチケットを下さるというご招待であった。指定席で前から数列目で真ん中の席でよく音楽を聴くことができた。音楽を聞いてハッピーという感じはいままであまりもったことがなかったが、昨夜はハッピーという感じがした。

これは愛媛交響楽団という演奏の腕の確かな楽団のコンサートということもあったのだろうが、曲目がドヴォルザークの「新世界」とか「謝肉祭」とかとショパンの曲だったからである。私のようにまったく音楽に疎い者でも中学の音楽の時間にドヴォルザークは当時レコードで何回か聞いたことがあったからである。ピアノの黒田えりさんは松山東高の出身だとかで、この地方ではよく知られたピアニストだったらしい。現在オーストリアに留学中だが、まだ20代半ばだというから、すばらしい。

また、先回の市民コンサートがやはりドヴォルザークのアメリカという曲が演奏されてドボルザークを聞いたからでもある。新世界は多分に管楽器が主役を務めているということに今回初めて気がついた。大体、私はバイオリンとかの弦楽器の音は好きだが、ピアノはあまり好きではないのだが、今回の黒田さんの演奏は気に入った。

それとコンサートに出かけたときに数人の知人に出会った。M夫妻はテニスで知り合ったし、Tさんはドイツ語の関係で知り合った。また、元同僚だったI 先生ご夫妻にも会った。また、妻がコーラスグループでお世話になっている二人のT先生にもご挨拶をした。

私などはあまり人とのつき合いがない方だが、それでも何人かの人と知り合っているということがわかった。もっとも妻のつき合いの広さのお陰でもある。


googleブックス

2009-12-12 13:27:15 | 本と雑誌

googleブックスでは私の著書「数学散歩」も一部を読むことができる。これは全部は載っていないのでその載っていない箇所を読もうと思ったら、これを買って読むしかないのだが、出版社在庫がなくなったので、品切れとなった。実は著者の私がまだ数十部はもっているのだが、それはいまのところ出版社に委託するつもりがない。

それで、一般の読者はこのgoogleブックスで一部を見るかどこかの図書館から借り出して読む以外にはない。もっとも関心をもってもらった読者がいるとすれば、気長に何回もこのgoogleブックスを閲覧されていると時期によって載る箇所がちがってくるのでその箇所をコピーしてくれれば、次第に私の本の全体がそろってくるだろう。

どういう方針でこのサービスがあるのかは知らないが、作家にとってはどうも生活に関わるということで大問題になっていたが、私などはそれで生活しているわけではないので、あまり反対ではなくて逆にむしろ賛成の方である。

しかし、自分の著書をときどきgoogleブックスで閲覧して見るとどうもときどきでその掲載される箇所がちがってくるらしいと気がついた。それで気長に待っていれば、一年くらいの周期で全部を閲覧できるのではないだろうか。


印税1

2009-12-12 12:56:01 | 本と雑誌

出版社へ委託していた私の著書「数学散歩」の印税をくれるという。

だが、これはようやく売れた36冊分で3万円ほどにしかならない。それでもお小遣いが尽きていたときだったから忘年会の会費くらいにはなるだろう。

半ば冗談で半ば本気でいつも妻に言われる。それはお金になるの。そんなに簡単にお金にはならないというのが、現状である。

本を書いたといっても普通は印税は8%くらいで著者にはほとんど潤わない。もちろん、これは何十万部も売れるベストセラーは別である。

だが、ほとんどの本はベストセラーなどにはならない。いつだったか書店で出版社の人が書店の人に話していたのを傍で聞いたところによると2~3千部も売れれば成功だという。

大学や高専等のテクストに採用されて、家が建ったといううわさも聞くが、大抵の場合にはそういうことはないであろう。

妻は出版社がそんなにうらやましいなら、出版社をやったらという。その心は出版社もあたりはずれが大きくてあまり儲かるということはないだろうということである。

吉田武氏の「オイラーの贈り物」は理工学書としては抜群の売れで3万部売れたというが、出版社と著者のトラブルで絶版となり、筑摩書房から今は出版されている。

もし印税10%だとすれば、定価3,000円で3万部でも約90万円しか著者の手元には入らない。

もちろん、そのようなベストセラーを書いたことのない身にはすごい収入だが、それでも著者の労苦が十分に報われたかとなると疑問である。だが、世の中はそんなものである。

そういえば、作家の早乙女勝元さんも小説とかの本を出すだけでは生活できないといっていたという。では何で生活できているかというと小説とかの本を書いて有名になるので、講演に呼ばれてその謝礼で生活できているのだという。


特定健診

2009-12-11 13:09:08 | 健康・病気

特定健診というのを午前中に受けてきた。結果は2週間後ということで、年末は込むらしいので1月5日に結果を聞くことにした。

腹部のエコー、胸部CT、胃のレントゲン透視撮影等である。血や尿の検査もある。病院に行かないと行ったときに不安になる。現在どこかに自覚症状があるわけではないが、病気は深く潜行しているものだ。

もっともこの健診は病院の業績稼ぎのために動員されたという気配があるが、自分の健康のためであるから検診を受けたのはよかった。

それで、午前中には仕事場を留守にした。


マスコミ批判

2009-12-10 14:42:56 | ニュース

マスコミ批判というほどではないが、このごろちょっとマスコミに批判的になっている。というのは問題点はマスコミによって指摘されるが、その解決はあまりマスコミには示されないからである。

もちろん、問題点の批判はマスコミの大切な機能であろう。ところがあるマスコミに従えば、他のマスコミには従わないということになるのであろうし、新聞にしてもあるコラムで書かれていることと他のコラムで書かれていることとは必ずしも方向が一致しているわけではないからである。

円高の問題を取り上げて危機を述べる記事もあれば、いまではもう以前とはちがってあまり円高が危機ではないという記事も出ている。特に経済記者には必ずしもいまの円高は危機とはいえないとの考えが強いようだ。

これはドルに対して円が高くなってもその他の通貨に対してはあまり円高になっていないこととアメリカ向けの輸出が全体の20%くらいにしかならず、輸出全体はアジア向けが大半になっているという現状を見てのことらしい。

だから、円高介入してもドルを売るだけであまり役立たないという見解らしい。そういうことの一方で、円高介入をすべきだという論調はまったくないわけではない。財務相が円高を容認したというような批判記事が少し前には載ったからである。

地元の山鳥坂ダムにしても、県知事や大洲市長、議会の取材だけをして、このダムに反対している人の取材はあまりしない。これではマスコミの公正さを疑われても仕方がない。

これは現場を見学に行った人から聞いたのだが、本当は肱川の浚渫をしてまた堤防を少し高くすれば、ダムなしで十分に水害を防げるのだが、土建業者は仕事が欲しいからダムをつくれという。それを県も市も応援しているというわけである。

そして、それらの報道はするが、それ以外の報道はまったくしていないとはいわないが、殆どしていないのが現状である。だから、テレビだけを見ていれば、ダム推進者だけであるように見える。これは民意を反映していないのではないか。これが特に視聴料を取って報道しているNHKのやることだとすれば、首を傾げたくなる。

このブログは本来できるだけ政治には口を挟まないようにしているのだが、仕方なく書いた。


坂の上の雲ミュージアム

2009-12-09 11:38:29 | 旅行記

「坂の上の雲ミュージアム」は松山のミュージアムなので、松山に住んでいる私には旅行記としては適切ではないが、土曜日のI市でのいとこ会の後東京に住む親戚が観光のために松山に来たので、一緒にこのミュージアムを訪れた。

開館当初に妻がここを訪れたときに比べれば見るものが増えていたそうだが、それにしてもこれはやはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」にそったミュージアムでそれ以外には見るべきものがない。だが、この小説を読んでいるものには興味津々であるに違いない。

残念ながら、私はこの作品を読んだことがない。それで、その判定は十分にできない。その博物館の中で「坂の上の雲の坂はどこにあるか」といっていた人がいた。たまたま私が近くにいたので「城山下の毘沙門坂だと思います」と答えたが、この答えはあたっているかどうか専門家に聞きたい。多分あたってはいないだろう。

城山の天守閣のある広場に至る坂道ではないかというのがその人の意見だったようだ。

実は毘沙門坂の峠のところに以前「五味鳥」という居酒屋があり、そこには二十年以上通った。私の定年退職と時を同じくして2005年店を閉められた。その後は店舗を貸されて、「坂の上」というお店が開かれていたが、まだやっているだろうか。

子規の句碑がこの毘沙門坂の峠にある。

        牛行くや毘沙門坂の秋の暮れ


会議は踊る

2009-12-08 13:10:32 | 映画

愛媛大学映画文化研究会が数ヶ月に一度行っている上映会を利用して12月5日の土曜日に「会議は踊る」を見た。これをはじめて見たのはNHKの名画ライブラリーか何かであって、古きよき時代のウイーンの雰囲気を楽しんだ覚えがある。

上映時間は90分で長い上映時間ではないが、ドイツ語ファンにとっては堪えられない映画である。上映の後に法文学部の安藤先生のお話があったので、それをぜひ聞きたかったのだが、夕方から I 市でいとこ会があったので、そちらのトークの方は失礼をした。残念であった。

「会議は踊る」はナポレオン失脚後のヨーロッパの領土をどう分けるかの会議をウイーンで開いたのだが、その会議をよそに華やかな舞踏会を宰相メッテルニッヒが開いて、自国に有利に交渉を進めようとした。ロシア皇帝のアレクサンダーもその会議に参加したのだが、ウイーンの手袋店で働くクリステルと知り合い、恋に落ちるという筋だが、ナポレオンがエルバ島からフランスに上陸したという報で急遽ロシアに帰国するという単純な筋である。

だが、この中で流れる歌がいいので、これがこの映画を名画としている由縁であろう。Da gibt's nur einmal.という歌はこの「会議は踊る」をはじめて見る前から知っていた。もちろん全部を覚えているわけではないが、とても有名な曲である。

クリステルの切ない気持ちを表した歌でこの映画の主題歌と言っていい。映画の筋そのものは他愛ないものであるが、この曲がこの映画を名画としている。

この際に愛媛大学映画文化研究会の多年の活動を感謝しておく。


Never put off till tomorrow

2009-12-07 12:40:29 | 日記・エッセイ・コラム

Never put off till tomorrow what you can do today. ということわざがあるが、これと正反対のことわざがスペイン語か何かにあるという。それは「明日できることは今日するな」とかいうのだという。さすがにそんなことわざは日本語にはないようである。

ところが、根気が続かなくて明日が来るという希望をもって仕事を明日以降に延ばすということをするようになった。本当はそれは単なる希望であって本当に明日も元気で仕事ができるという保障がいつもあるわけではない。

だが、そういう楽天主義が必要なのではないだろうか。私は若いときには悲観主義であってとても楽観主義にはなれなかったが、歳を取ってくるにつれて、楽観主義になってきた。どうせものごとが好転しないならば、悲観主義よりも楽観主義のほうがいいではないかと思うようになった。

だから、刻苦奮励するというようなことができなくなった代わりにまた明日があるさという楽天主義でいられるようになった。これは自分の生きている間だけではなくて死後も人間はなんとかいい方向に努力をするだろうという楽天家でいるという「あまちゃん」ぶりなのである。

本当はそんな「あまちゃん」ではいけないのだろうが、ある種の楽天主義が必要なのだと思っている。

これはあるときに中国の革命家だった、毛沢東の伝記を読んだら、彼がとても楽天主義だったということを知った。そのころはまだ若かったので、そのような世界観には同意ができなかったが、このごろになってすこし楽天的になった。


シャレード

2009-12-05 12:24:08 | 映画

「シャレード」はオードリ・ヘップバーン主演の映画である。これを昨日マネキネマが上映した。それを妻と見にいった。私はマネキネマの会員ではないが、妻が会員なのでその同伴者ということで一緒に行った。

入場料を払うつもりだったが、実は新しい会員を募集しているとのことで、入場料を払うことはなかった。その代わりにマネキネマに入ったらと妻に言われた。

実は田中絹代の映画の上映会があったときに、アンケートに答えて「シャレード」の上映を希望すると答えていたら、15票を得票して上映となったのであった。

次点の映画の得票が13票だったから、私の一票も映画「シャレード」の上映にとっては貴重な一票だったわけである。コミニティセンターのプラネタリウムで上映がされたのだが、その前に15分ほど星座が映し出されて、星の説明があった。

シャレードはもちろん何度かテレビで見たことがあるし、学生の頃に映画館で見たことがあったはずだが、よくは覚えていない。

今回は英語を楽しむという気持ちで見た。いくらかは英語を聞き取れたと思うが、十分によくわかったというほどにはなかなかいかない。

今日は午後にE大学で「会議は踊る」(Der Kongress tanzt)の上映があり、夜は一年ぶりのいとこ会がI市である。


シクラメンが満開

2009-12-04 10:53:42 | 日記・エッセイ・コラム

このブログにシクラメンの話題が何度も出てくるが、お許しを願う。

いま仕事場のバルコニーで新しいシクラメンの鉢に真紅の花が咲いている。先日自宅のベランダに2鉢のシクラメンを妻が買ってあるのを見たのだが、これをいつのまにか妻が仕事場へもってきた。これでシクラメンの鉢は6鉢になった。

仕事場は寒いので、シクラメンには却って都合がいいらしい。自宅のベランダでは日がよくあたるし、風をあまり受けないので暖かい。私など寒いのが嫌いな者には冬の暖かい日差しは有難いが、温度が低い方がいいらしいシクラメンにはあまり最適な環境でない。シクラメンは冬の温度が低くなると、きれいな花を咲かせる。

夏の暑いときに勢いのいい花や植物もあれば、逆に冬の寒さに負けないで勢いのいい花や植物もある。

人間でも逆境に強い人もあれば、順風満帆で押せ押せのときは強いが、一度逆境になると弱い人もある。これはある程度その人その人の性格だから仕方がない面もあるが、逆境に負けず生き抜きたいものである。


ブログにも飽きが来た?

2009-12-03 12:38:39 | ブログ

ちょっとブログを書くのも面倒になってきた。どうも不熱心になっているように思われる。なんでも飽きが来るときがあるもので、このブログを書くこともそうかもしれない。

しかし、ブログを書いていると子どもから見たら、おやじなんとか元気にしているらしいとかわかると思うので、ブログの効用もないわけではない。人間70歳をこえるといつどうなっても不思議ではない。だが、いまのところはなんとか元気でやっている。

来年の5月までは医療の負担が一割になっているので、病院にいっても負担は軽いのだが、現在は眼科に一月に一回眼の検診に行き、眼圧を測ってもらい、眼圧を下げる目薬をもらって帰る。それくらいである。

円高なので外国から本を買うチャンスなのだが、なかなかポケットマネーがなくて買いたい本にも手が出ない。よく本を買っていたWorld Scientificというシンガポールの出版社から先日クリスマスセールとかで25%引きとのdiscountのお知らせが来ていたが、先立つものがないので、思うにまかせない。


数学・物理通信の発行の遅滞

2009-12-02 11:33:17 | 数学

とうとう11月中には数学・物理通信の発行ができなかった。これは二つのエッセイを載せようとしてそれをどのように結びつけて一つの雑誌の号のようにするかが未解決なためであるが、それだけではない。私の用意していたエッセイの原稿に図を入れようとしてうまく入っていないということもある。

中西先生にはすでにかなり以前に原稿を頂いているのに義理が悪いことはなはだしい。中西さんの原稿にはちゃんと図がpicture環境で入っている。それで私もemathで図を入れようとしているのだが、どうしたものかまったく入らない。emathは図の個々のマクロは与えられたものがあるのだが、それをtexのなかに入れようとしたら、まったく入ってくれない。usepackageの使い方が悪いのだと思うのだが、まだ解決をしていない。

それで、それはちょっとあきらめて別の原稿を用意しようとしているのだが、これの入力に手間取ってなかなかうまくいかない。そういう現状である。しかし、いずれにしてもそのうちになんとか解決はすると思うので、辛抱強く待ってもらうしかない。


12月

2009-12-01 12:34:48 | 日記・エッセイ・コラム

カレンダーも12月に変わった。仕事場のカレンダーを最後を11月分を切り取ると、ドイツでの観光の目玉の一つのノイシュバンシュタイン城の絵が出てきた。ルドヴィーヒ2世が建てた城である。おとぎの国ような城でいまでこそ観光の目玉になっていて、ドル箱の一つだが、彼の生前には金食い虫として嫌われたらしい。

彼は禁治産者として王位を追われ、その後まもなく近くの湖で謎の死を遂げる。それが現在では観光の目玉として大きな収入源になっているというから皮肉なものである。

話は変わるが、ヨーロッパではカレンダーは月曜日から始まる。日本やアメリカで日曜から始まるのと対照的である。呼び方も月曜から始める。Montag, Diensttag, Mittwoch,・・・と。DAAD(ドイツ学術交流会)が数年前から毎年送ってくれるようになった、カレンダーはトイレにかけてあるが、カレンダーの一番左は月曜である。ということはもちろん一番右は日曜日がくる。

小学校のころ、学校の宿題だとかで兄がカレンダーを日曜から始めたものを作っていたのが、どうも気にかかった。というのは仕事をして疲れたから、日曜に休むのだと思っていたからである。そのうちにアメリカ風のカレンダーに慣れたが、30代半ばでドイツに留学したら、カレンダーは右端に日曜が来ていたので、やはりと思ったものである。

もっとも1週の繰り返しは無限(?)につづくので、単に週の後ろの置くのか前に置くのかは単に習慣だけの差に過ぎないのだろうが。