物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ブログ炎上かと思ったが

2011-09-12 11:08:16 | 日記・エッセイ・コラム

算数の掛け算の順序に端を発して私のブログ炎上かと思ったが、収束の気配なのでほっとしている。

お互いに合理的な思考をしている限りはすべての意見が一致しなくてもどこかで了解ができるものと考えてはいる。だが、今回のようなある意味で理屈に則った意見だけではないかもしれない。そういう場合には仕方がないから、自分のブログであるからコメントを削除するということもあるかもしれない。

今回はそういう非常手段を発動するまでもなかったようである。

第一、私のブログは本当に少数の人しか見ていないので、ご意見を頂いた方々は心配したかもしれないような影響力はほとんどない。ただ、私も統一的な見方をしたい方なので理解できるが、徹底して自分の見方を正しいという主張される方がおられるのは事実である。そういう方には意見が互いに一致してなくともある種の敬意をもっている。

これにはもう一つは小学校の先生の対応が柔軟性に欠けていたり、またはその準備はあるのだが、日常の業務の多さに押しつぶされそうになって対応が紋切り型の先生もおられるのかもしれない。

それに小学校の先生は元来文系の方がほとんどで理系の教育を受けた両親の理解を超えたまずい対応が現に行われているということもあるかもしれない。これは本当はひどく困った事態を生じているのかもしれないが、現状ではそれを打開する方法はない。ただ、その困難な事態があるという認識はしておく必要がある。


数学・物理通信9号の発行

2011-09-10 18:23:55 | 数学

昨日と一昨日に数学・物理通信9号の発行をした。一つの仕事が終わってほっとしている。もっとも以前にお送りしていた人のうちで、メールのアドレレスが復帰できた方々に限っているので、もしかしたら、何人かの方々が落ちているかもしれない。このブログを見られている方で「今まで来ていたのに今度は来てないよ」という方は私宛にメールを送って下さると助かります。

ときどきメールを下さる方は大丈夫なのだが、ほとんど私の方からの一方的な送付だけの方はひょっとして落ちている方がおられるかも知れない。なかなか難しいことである。

別に送ってもらっても、すぐにファイルのゴミ箱へ直行にされる方がいたからといって、それを恨んだりはしないし、またそうされようともこちらで知る術はないから。どうぞ安心してゴミ箱に直行にしてください。

もっとも少しでも読んで頂けることを編集者としては願っている。だが、なかなか難しくて読めないと言われる方もおられる。それも率直なご意見としていろいろご意見を頂けるのは有難い。

今回、大きな英字で英文のタイトルが入ってしまった。これを少し不適当とお感じの方もおられるであろう。物理学会誌の9月号を見ると、アブストラクトと題名が最後に入っており、これならあまり違和感がないかと感じているが果たしてそれが技術的に私にできるかどうかということがある。

考えはよくても、技術が伴わないとそれを実現ができないので、その点のご寛容をお願いしたい。

式の最初と最後の結果だけでいいのではというご意見を寄せてくださる方もおられる。これは普通の学術雑誌の論文だとそれに近いことになるが、このサーキュラーでは論文といってもかなりインフォーマルなので、人によって違いがあるのはお許しを願いたいと思う。

ただ、いろいろのご意見を頂くことは差支えがない。


腱鞘炎

2011-09-09 13:30:01 | 健康・病気

先日の火曜日に少し早くテニスコートに着いたので、ネットを規定の高さに張った後に、まだ誰も来ていなかったので、サーブの練習を50球くらいした。

そのせいか、右手が腱鞘炎がぶり返して週の前半でこのブログの入力ができにくかった。これはテニスを始めたころにまず腱鞘炎にかかったことがある。それとてもコンピュータのカードパンチか何かをし過ぎて腱鞘炎になったことの再発であった。

腱鞘炎はキーパンチャーの職業病だとその頃いわれていたので、パンチャーほどはキーボードを打ってはいなかった身としてはパンチャーの職業病の恐さをうすうすは体感したものであった。

金曜日になって痛みが和らいできて、まだ痛みが完全に消えた訳ではないが、やれやれである。

そういえば、パソコンの画面のスクロールをあまり見つめていたために、マニエル氏症候群になりかけたことがある。私の場合にはまだ部屋がぐるぐると回る出すというような症状までは行かなかったが、パソコンのスイッチを入れて、画面を見ると気分が悪くなって、はき気を感じた。

しかたがないので、1週間か10日ほどパソコンでは仕事をしないことにしてようやく平常にもどった。

これはちょうどMacsymaという数式処理のソフトで計算をして、その結果を編集して論文を書いていたときのことである。それこそ来る日も、来る日もパソコンの画面を眺めていたのだから病気になったのも仕方がなかった。


核に別れを

2011-09-08 16:06:37 | 国際・政治

これは現在の朝日新聞の人脈記のシリーズが「核に別れを」である。この連載がどのように展開して行くのかはまだ分からないが、今までのところは核兵器からの別れを意味している。

連載の明日以降の展開によっては原発からの別れをも意味するようになるのかは将来の記事如何による。

昨日までの3回では核兵器の廃絶を過去の外務大臣や軍のトップだった人たちがテロリストが核を手に入れたときのことを考えると核兵器、すなわち、核爆弾をなくしてしまう以外に解決方法がないと考えたことを新聞とか雑誌に公表したことである。これが世界の政治の雰囲気を大きく変えた。

まず、アメリカの元国務長官等の要職にあった人が4人でその意見を公表して、それに応えてロシアの4人の元外相とかもと軍の参謀総長の4人が意見をやはり新聞に公表したという。

それは考えとしては正しいが、それ以前に「核のバランス」という概念が間違った概念であることは日本人の物理学者豊田利幸さんが著書「核戦略批判」(岩波新書)、「新核戦略批判」(同)ですでに示したことである。ちょうど核戦力がバランスをとるというときにはソ連とアメリカとでそれぞれ相手より一歩だけ優位に立ちたいという心理があり、そのために核戦力のバランスは結局とれないのだという。

現実には世界を一度滅ぼしてもまだ何回も滅ぼすことのできるくらいの核兵器を持つことになって(overkill)ようやくその愚かさを悟り始め、核弾頭の削減交渉が始まった。それでもまだ核弾頭の数はかなりのものであり、もっと減らすことができるのだが、その交渉は徐々にしか進まない。

核超大国同士の疑心暗鬼がなくならない限り、このせめぎあいは続くのだが、ここに来て核テロリストの存在を無視できなくなった。

もっともテロリストが核テロを行うには別に核爆弾を入手する必要があるわけではない。どこかの原発を乗っ取ってそこを破壊すれば、核テロを行うことは簡単にできるのである。もっとも原発は持ち運びができないところだけが核爆弾とは異なる。

こうなると「核に別れを」というテーマは原発からの別れをも意味しないことには意味をなさないだろう。少なくとも論理的にはそういうことは容易に帰結できる。まあ、それを現実の社会が実行するかどうかはわからないけれども。

「核に別れを」を例えば英語に訳すとすれば、へミングウエイの「武器よさらば(Farewell to the arm)」にならえば、Farewell to the nuclear weaponであろうか。この場合には核を核兵器と考えたことになる。原発は考えに入っていない。ドイツ語ならAbschied  von Kernwaffenであろうか。

口語的にはTsch"uss von Kernwaffen でもいいような気がする。Tsch"uss は日本語でいうならばバイバイとでも言ったところか。「さようなら」は一番普通にはAufwiedersehenであるが、これは中国語の「再見」と同じでまた会うことを意味するので、どうもまた核開発をするような感じを与えるので頂けない。


Where does the dust collect ?

2011-09-07 12:58:25 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の朝日新聞を見ていたら、ニューヨークの美術のことが出ていた。2001年9月11日から10年ということで911以後のアメリカの美術の動向は?という記事だったが、その中にある中国人作家のインスタレーションとして、WTC (World Trade Center)の灰を集めて、それを薄く一様にばらまいて、そこに

As there is nothing from the first,

Where does the dust itself collect ?

という文章をステンシルで、記したという展示物の紹介があった。

写真が出ていた。が、最後のところは ? なのか .なのか写真からはわからなかったので、ここでは ? にしておいたが、英語のお得意な方からの、ご教示を待ちたい。

   はじめから何もないならば、塵埃はどこに積もるのだろうか

   (注: どこにも塵埃は積もらないという言外の意味があろうか)

と一応訳をつけておくが、この訳も心もとない。これはある禅僧の言葉

   本来無一物 何処惹塵埃

という言葉の訳だそうである。惹が積もるという意味があるのかどうか知らないのだが、そういう意味をもっているのであろう。

from the firstを「はじめから」と訳をつけたが、「本来」にはfrom the firstと訳せる意味をもっているのだろうか。

塵が「積もる」という語を英語でcollectとするのには英語を母語にしない身には「はあそう訳するのですか」というしかないが、「惹」からは本来「ひきつける」というような意味が感じ取られる。

この新聞記事の全体の趣旨は美術には911の痕跡が今ではないということだったようだが、上の件については考えさせられた。


ヒステリー

2011-09-06 12:03:46 | 日記・エッセイ・コラム

私は一般的に言って忍耐強いほうだが、昨日はどうも少しヒステリー的症状を発して、友人のNさんにいつもより語気強く言ったらしい。

彼は自分の書いた原稿がちゃんと数学・物理通信に正しく取り入れられているかどうかを昨夜あわてて読んだらしく、問題がなかったことを今朝早く私の家の留守電に入れていた。

私のうちはあまり早起きではないので、妻が起きて来て、すでにそのことが留守電が入っていたらしい。私が起きていくと妻がその留守電の録音を聞かせてくれた。

などというと私はすごくヒステリックになったようだが、それほどひどくはないはずである。ただ、自分のことは自分では判断ができないので、きつめに表現した方がたぶん他人が受ける印象にあっているのだろうと思っている。

普段は胃が重く感じたりするようなことはないのだが、ここ数日は胃が重く感じている。多分自分で勝手に感じたストレスなのであろう。まあ、しかし数日中には第9号を発行できると思うので、そのストレスの幾分かは解消するであろう。


弁護士 布施辰治

2011-09-05 12:37:49 | 映画

ドキュメンタリー映画の「弁護士 布施辰治」を県の美術館の講堂で見た。9月3日と4日の二日で一日2回づつの上映だったが、初日に台風が来ていたにもかかわらず、満員となり、補助椅子まで出したとは主催者のごあいさつで話をされていた。

「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」というのが布施辰治のモットーであったとかいう。今とは違って人権が尊重されていなかった時代に弱い者の味方となり、自分も投獄されたり、弁護士資格を2度にわたって剥奪されながらも果敢に闘ったという。

特に日本の朝鮮半島支配の時代にその朝鮮人を擁護して、その人権を守ろうとしたというその姿勢と努力には頭が下がる。私自身の関心があるのは、天皇支配の時代であるのにどのようにしてそのそうような思想を布施辰治が身につけたのかである。

これは現在の時代のような時代の思想とはまったく時代が異なるからである。別に布施は左翼思想の持ち主ではなかったらしいが、この人権思想はとてもしっかりしていたらしい。

今ごろは弁護士でも必ずしも所得の多くない人もおられるかもしれないが、昔は弁護士は裕福なのが普通だったろうが、それでもほとんど弁護料は実費以上にはとらず、旅費も当時の3等車で弁護に出かけたという。これは普通の人にできることではない。

布施は石巻市の出身であるそうだが、映画はこの映画にはもちろん石巻も出てきたが、これは東日本震災以前の撮影であった。私も一度だけ会ったことのある、故阿部三郎弁護士も最後の方にインタビューで出て来られていた。


数学・物理通信9号

2011-09-03 13:07:13 | 数学

数学・物理通信9号の編集を昨日から始めた。昨日ようやくこれに取りかかることができたのだが、すぐにその編集ができるあがるわけではない。まだ、数日はかかるでろう。

一つの論文なり、エッセイとしては出来上がっていても、これを一つのサーキュラーとしてつくりあげることはまた別のことなのである。というのはまずスタイルファイルがもともと違う。

それで、投稿者の各自が完成したスタイルファイルはそのままでは使えない。だから自分のサーキュラーのスタイルファイルに合うように変更をしていく。ところがもともとのスタイルファイルではまったく問題がなかったことが、一つのサーキュラーに仕上げるときには差支えができたりする。それを一つ一つクリアしていって、一つのサーキュラーに仕上げていく。

また、読者の方から新しい要望が入ったりする。いま9号で直面しているのは論文のタイトルと著者名や所属を英語で入れてはどうかという提案があった。提案はもっともなことだし、別に無理な注文ではない。しかし、たったこれだけのことを問題がないようにするにはどうしたらいいか。いつでも手探りである。

この要望を出された方は、英語のタイトルと氏名とその所属が英語で出ていると私たちのサーキュラーを検索する方の情報としては急に世界的な広がりを持つことになるだろうと思われたのだと思う。そしてそのことはまったくその通りだと思う。

もし、ある事柄についてそれが日本語であろうとどこかに書かれているならば、それを知った方は自分が日本語を読めないならば、誰かに英語に訳してもらうことが(その気になれば)できるだろう。

こういうことが実は放射能被害の許容量という概念について国際的に起こったのである。許容量の概念とか被曝線量に関してはいまではICRPの基準が一般的となっているが、これに貢献したのは実は武谷の著書『原水爆実験』(岩波新書)であったらしい。許容量のことがこの書に出ていることを知った、アメリカの物理学者J. Orearはそれを当時コロンビア大学にいた森田正人さんにその箇所を英語に訳してもらい、それがICRPに採用されたのだという。

いまでは放射能の被曝線量についてのリスク・ベネフィット(Risk-Benefit)論はアメリカ起源の概念として誰も疑問をもっていないが、そのタネは武谷の提唱した許容量の概念であった。

おもわず、横道にそれたが、投稿者の方々にはひよっとしたら、不満とか気に入らないこともあるだろうかと推測する。だが、経験の少ない私のような編集者には簡単に思えることもなかなか大変のことなのである。

だが、私は後ろ向きに考えている訳ではない。できるだけいろいろな要望に応えて行きたいと思っている。

だから、よりいいものになるのを気長に待って下さるか、または積極的なアドバイス(技術的を含む)を下さることをお願いしたいと思っている。


台風の襲来

2011-09-02 11:30:21 | 日記・エッセイ・コラム

まだ、台風が来ているわけではないが、明日にでもひどく吹き降りになりそうである。すでに今日は雨模様である。

今年も松山地方がいままでのところ台風に襲われたことはないが、今回はまともに台風を受けそうである。もう何十年も昔になるが、松山が台風に直撃されたことがあった。このときは風雨が激しく、勤務先の大学に出かけることなどできなかった。

E大学の5階建ての宿舎の2階に住んでいたのだが、北側の窓の近くではあまりの風雨の強さで雨が壁を通してしみこみ、あわててそこの畳を妻と二人で上げたことがあった。子どもはまだ小さくて、心配そうにしていたことを思い出す。

そこは大学の宿舎の建物がその当時は3列(今は4列)に建っており、もうその宿舎へ行くことはないが、子どもたちの幼児時代の心の故郷という感じがする。もっとも私たちが住み始めたころは農協の店舗まで買物にも出かけるには、お母さんたちが10時過ぎに子どもを乗せた乳母車を押して大挙して出かけるという様子であった。

いまではこの辺はもう街の様相を呈しており、40数年前の面影はほとんど残っていない。すぐ近所に大きなスーパーマーケットもできて、すぐ戸口を出れば、数分のところで何でも手に入るという便利さである。また、近所にはすし屋さんも、喫茶店もまたレストランも完備という具合である。診療所も近くにできている。

私が冬に子どもたちにタコを揚げてやった畑はいまではゴルフの練習場になっており、夕食前の散歩を楽しんだ野原はいまでは国道156号線へのバイパスとなっている。そして、大学宿舎の構内には子どもが雨が降った跡の水溜りで、泥んこ遊びを楽しんだ中庭はもうアスファルトに舗装された駐車場になっている。

大学の宿舎が建てられたばかりで、構内はまだ整備されてはおらず、なんだか建設現場めいていたが、それだけに野趣に富んだところであった。


ビールをおいしく飲むには

2011-09-01 12:43:09 | 日記・エッセイ・コラム

「ビールをおいしく飲むには」などという表題のブログを書くと大のアルコール好きのように聞こえるだろうが、私自身はそれほど飲まない。

先日の火曜日の夜のテニスの後で、I さんが S さんに「今日はテニスがうまく行ったので、ビールがおいしく飲めるね」とか言っていた。いつもダブルスのゲームをしているのだが、それで勝てるとその晩はビールをおいしく飲めるのだろう。

ゲームに勝てなくとも、どこかゲームの中で、ストレ-トでパッシングができたり、またはボレーが決まったりするとそのたった一本のショットを思い出しながら、ビールをおいしく飲めたりする。

ときどき、ガットを張替えにスポーツ店に行くとそのときに、「これでボレーが決まりますからね」とか言われたりする。確かに、ガットを張り替えた直後はボールがアウトしないでコート内に決まることが多いような気がするから、不思議である。

私などはボレーがアウトすることが多くて、決まることなど滅多にない。これは困ったと思ってロブを揚げてもそれがきわどいところで外れることが多いのだから、相手の方々にはおいしい相手なのであろう。

だからかどうかは知らないが、私たちのクラブは何十年も続いている。私としてもいつもゲームに勝つつもりでゲームをするのだが、心ならずも勝ちを譲ることが多い。

以前から比べるとゲームでラリーが長く続くことが多くなった。また、そばで見ていても結構楽しいゲームを皆さんがされている。

それでもメンバーが8人そろうことが時々できなくなっている。これは来る人が毎回一定せず増減がある。これは常連の一人だったSさんが長期的な旅行に出かけてしまったからでもある。

彼は今春3月まで現役の税理士さんだったが、考えるところがあって現役を引退し、車にバイクを積んで東北から北海道旅行を続けているらしい。