物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

AckerbauとLandwirtschaft

2013-10-16 16:10:58 | 外国語

AckerbauもLandwirtschaftのどちらも農業という日本語に訳せるドイツ語である。

だが、Ackerbauは畑を耕すというニュアンスがあり、Landwirtschaftは産業としての農業というような意味があろうか。

1976年の2月から3月半ばにかけてドイツのフライブルクのゲーテ・インスティーチュートでドイツ語を学んだときにある授業の書き取りではじめてAckerbauという語を聞いた。

そのときにはAckerbauという語を知らなかったので後でそれが農業とか耕作を意味する語だと知った。そのころにはまだLandwirtschaftという語は知らなかった。

その後、4月から1977年3月までマインツの郊外のゴンゼンハイムに1年住んだが、その近くを家族で散歩しているときに、なにか標識が出ていてそこにLandwirtschaftという語があった。

そのときにその語の綴りを覚えて帰って、辞書を引いたら、農業とあった。Wirtschaftは経済とか産業という意味だから、Landwirtschaftはある程度想像ができたが、Ackerbauの方はまったく意味が想像ができなかった。

最近になってAckerは耕作地としての畑を意味すると知ってようやくAckerbauが耕作とか農業を意味することがわかった。畑は単にFeldというと思っていたのだが、これは野原とか原野をも意味するから自ずから、意味の違いがあるのだろう。

私の外国語の知識などこんなに未熟なものである。

(2024.5.22付記)
「農業を営む」とはドイツ語でAckerbau treibenというらしい。「スポーツをする」Sport treibenとかいうから、treibenという語が使われる。treibenとは何か「せきたてられる」という感じのする語である。

書評から

2013-10-16 15:41:29 | インポート

10月13日の朝日新聞の読書欄に『ドキュメント電王戦』(徳間書店)という本の書評が出ていた。

この本は棋士とコンピューター将棋ソフトとの対戦を記録したものらしい。そのときに棋士とかソフト開発者の証言を集めたものである。

その中で観戦していた作家の夢枕獏さんの感想がおもしろかった。「無駄なことを考えないのが人間、意味のないことまで考えるのがコンピューター」と気づいた、とあった。

ほんとにそうかどうかは私にはわからないが、そういう感想もあるのだと知らされた。

その機械を制御して戦うのはあくまで人間であり、「これは人間対人間のドラマだ」感じたらしい。


google

2013-10-15 12:31:02 | デジタル・インターネット

日曜日に新聞の読書欄で香辛料のクローブclove(英)というのが出てきたので妻に聞いたら、すぐにスマートフォンでgoogle検索をしてくれた。

釘のような形をした植物の花か実だかとであるという。そしてフランス語でclouというと教えてくれた。それでフランス語の辞書を引いてみたら、確かにclouで釘という意味である。

un clou de girofleで「クローブ、丁字(香辛料)」と仏和辞典にあった。この釘clouの発音はフランス語ではクルゥと発音する。

というように妻がおもしろがって、最近はgoogleづいている。子どもの嫁がやはり子どもが「直ぐに何でも検索をするのですよ」と言っていたが、親子はこんなところにも似るのだなと思っている。

そういえば、まだ大学に勤務していたころ、付属図書館の職員が「図書館のライバルはいまではgoogleですよ」と言っていた。これはもう10年以上前のことであるから、この図書館職員さんはなかなか卓見の持ち主であったと思う。

一時、検索サイトとしては日本ではyahooが勢力を張っていたが、いまでは私などもyahooで検索をすることもたまにはあるが、ほとんどgoogleで検索をする。

たぶん、googleには中国政府のような都合の悪いニュースを排除するということはないのであろうが、もしgoogleがそのような悪い意図をもったら、ちょっとgoogleの一極支配は怖いことになる。

世界中で情報検索はgoogleで行われているのだから。


愛媛県総合科学博物館

2013-10-14 17:22:51 | 科学・技術

昨日の日曜日の午後に新居浜の愛媛県総合科学博物館に行った。

一度以前にこの博物館ができて間がないころに来たことがあったが、そのときにはまだ展示物が少ないという感じがしていた。今回行ってみると結構展示物も多くなっており、家族連れだと一日十分楽しめるという気がした。

西條市の高速自動車道のインターを降りて、ほんの数百メートル行けば博物館の入口であったのだが、そんなに近いとは思わなかったので、どんどん国道を進んでしまい、土居町近くまで来てしまった。

それで何がなんでもここまでは来なかったということで松山向けて引き返したのだが、なかなか科学博物館という標識が出て来ない。

しかたなく、もう松山に帰ろうかと思っていたら、眼の良い妻がようやく標識を見つけた。博物館には立派な立体駐車場ができていたが、そこの駐車スペースがほとんどないくらいにたくさんの車が来ていた。

駐車場で車を降りて、徒歩で数分のところに博物館がある。常設展だけを見ることにしたが、65歳以上は入場料は250円であり、二人で500円の安さであった。

あまり私たちのような老人は博物館には来ないのだろう。館内はさすがに若い子ども連れの家族が多かった。

パックや球を台上で滑らせてみたり、レールに沿って落として見たりできるので子どもでもおもしろいと思う。

2頭の恐竜の像が動いて、体操を一緒にしてくれるが、その前で若い女性の学芸員さんが恐竜体操を子どもたちとしていた。

断層の地図のある前で、二人で立ってぶつぶつ言っていたら、そこにおられた学芸員さんから断層や鉱物の生成等に関するときならぬ説明を受けることができた。このMさんは松山の私たちの住んでいるところの近くから毎日通って来られている方だった。

学芸員さんは一般には研究をしているのだろうが、日曜日ということで多分サービスのために説明をしてくれたのだと思う。なんだか科学博物館が急に身近に感じられた。

ミュンヘンのドイツ博物館なども触ってはいけない展示もあるが、そればかりなくてそこに来た人がモノを動かせたりなどして楽しむというものもたくさんある。

もちろん、数日、または1週間ほど毎日ドイツ博物館に通ってもなかなか全部を見ることなどできないほど展示が多い。愛媛県の博物館でも少なくとも数回は来ないと全部をみることができないだろう。

妻と二人で「また来ようね」といいながら帰って来た。


jam sessionとimprovisation

2013-10-12 12:02:57 | 音楽

jam sessionもimprovisationもジャズに関係した言葉なのかもしれない。

というのは私はもともと音楽に暗いからである。jam sessionとはひょんなことから知った言葉であるが、いま辞書を引いてみるとジャズの即興演奏とかその演奏会の意味だそうである。

このjam sessionより前にジャズは基本的には即興演奏なのだと誰かから聞いた覚えがある。もとっとも完全に即興ばかりではなく、決まりきった部分もあるらしいのだが、そのことについてはよく知っていない。

即興という意味のimprovisationという語を知ったのはjam sessionよりは前だが、それほど前ではないように思う。第一、音楽でジャズは即興で演奏するのが普通だとはまったく知らなかった。

この語は間違ってimprovisionと覚えていたので、今日辞書を引いてみるとimprovisonという語はなくて、improvisationというのだとはじめて知った。

こういうことで人間の記憶などというものはあてにならない。


仕事が進んだか?

2013-10-11 10:41:34 | 日記・エッセイ・コラム

E=mc^{2}の導出を非専門家にも分かりやすく述べるという目標を立てたが、なかなかうまく記述できそうになかった。

昨日、和田純夫さんの本「ききどころシリーズ6」(岩波書店)を読んでそのできるだけ簡単な要約の原稿を書いた。そしてドイツ語のクラスに出かける前にその文章をほとんど入力した。

だから、仕事は進んだのだが、今朝起きてつらつら考えるにどうも私の書き方なら、悪くすれば割り算が導関数と同じだといっているととられないかと心配になってきた。

もちろん専門家の人たちは私が省いているところを補って考えてくれるだろうから、問題はない。だが、中途半端に数学のことを知っている人からはこの書き方はナンセンスとか言われそうだなどと心配になってきた。

それを防ぐにはやはり補遺をつけて省略をした部分の意味を補っておいた方がいいだろう。

数学や物理学の本を専門家が書いたときになかなかわかりづらいのは、これは仲間内の専門家から文句がでないようにするためだと言われている。

しかし、ちょっと厳密さを犠牲にしても論旨がわかりやすいようにした方が啓蒙書ではいいのではないかと考えている。

ときどき啓蒙書の書評などをアマゾンコム等で読むと著者のその本のテーマに対する理解があやしいと酷評されている場合がある。

これなどは本当に著者の本のテーマの理解が十分でない場合もあるだろうが、噛み砕いて書こうとしてかえって誤解を招いた場合もあるだろう。

なかなか文章を書くことは難しい。


同窓会が近づく

2013-10-10 11:30:23 | 日記・エッセイ・コラム

2年に1回開かれる高校の同窓会が近づいてきた。

今年は東京である。私の子どもたちは東京に住んでいるので、この機会に子どもたちに会うつもりである。

最近は1年に1回ないしは2回くらい子ども会うのが普通だったが、今年は特別な事情があったので、子どもと会う機会が数回あった。

こんなことは珍しいので今後はやはり年に1回か2回くらいにまたなるであろうか。

2年前の松山での同窓会の世話役は私がしたので、結構忙しかったが、すでに私よりも前に世話をされた方からはその苦労を知っており、私の苦労を密かにねぎらってくれた。

なんでも自分が世話をしたことがあると、人の苦労もわかるものである。


智恵泉(ちえいず)

2013-10-09 12:02:54 | テレビ番組

智恵泉(ちえいず)はNHKの火曜日の夜のEテレの番組である。

先週から夏目漱石を取り上げている。彼を慕って訪問する若い人が多くて、漱石がそれらの人の個性を見抜いて適切な指導を書簡等でされたことによって多くの人材育成に大きな力があったという。

夏目漱石はもちろん彼の小説で有名であり、森鴎外と並んで明治の二大文豪である。文学者の塩田良平さんが昔「森鴎外の小説は年をとってくるとますます味わい深いものになってくる。一方漱石の小説は若い時に読んでも年をとって読んでも同様におもしろい」と言われていた。

これほど適切に二人の特徴を表した評を私は知らない。

しかし、湯川秀樹博士はあまり夏目漱石の小説がお好きでなかったように私には思われた。特に小説の「坊ちゃん」については「中央(東京)の地方蔑視だ」というご意見であった。

私などは松山に40年以上も住んでいるのだが、若いときに博士からそういうご意見を伺うまではそんなことを考えたこともなかった。私の感覚は鈍磨している。


ヒッグスにノーベル賞

2013-10-09 10:56:47 | 物理学

ヒッグスが今年度のノーベル賞をもらった。ヒッグスの方の名はもちろん知っていたが、もう一人のアングレールの方は失礼ながら名前も業績も存じ上げなかった。

テレビのニュースで聞いたときにヒッグスはすぐにわかったが、もう一人の方の名はわからなかった。今日新聞を見てようやくわかったが、まったく名前を知らなかった。

以前に電弱理論でグラショウ・サラム・ワインバーグがノーベル賞を受賞したときにもちろんグラーショウの名は知っていたが、電弱理論の先駆的な研究をしていたとは知らなかった。

まあ、私は工学部に勤めて素粒子の研究から遠ざかったからある意味ではしかたがないけれども、それくらいは知っているべきであったろう。

グラショウはむしろ大統一理論の提唱者としてしか知らなかった。グラショウの自伝によれば、ワインバーグとはニューヨークのブロンクスの高校の同級生だったとかで同級生がノーベル賞をもらうという数少ない例の一つになっている。


E=mc^{2}の導出?

2013-10-08 11:53:53 | 物理学

化学を専門とする知人のKさんがE=mc^{2}の導出を知らないというので、そのことについて述べたエッセイを書こうとしている。

ところが座標 x と時刻 t とのローレンツ変換を導き出して、同じように運動量p_{x}とp_{0}との間の変換を同様に導き、それからE=mc^{2}を導こうとしたのだが、負号だけ合わない。以前に設定したやり方だとうまくいっていたのだが。

逆変換を考えて切り抜けることもできるが、それは取り扱いが不一致な感じがしていけない。

ということで何十年も昔に読んで、その後読み返したことのない、メラーの相対性理論の本を読み返すこととした。

どうしたら、矛盾なく説明ができるのか、しばらく調べてみるつもりである。

(2013.10.29付記) 上の文章を書いてから、1週間ほど悩んだが、うまく私なりの理解ができて、「ドイツ語圏とその文化」1巻1号(近日発行)に書くことができた。

これは私のオリジナルなどとは言わないが、どこかで読んだことではなく自分なりの説明の工夫をした。もっともどこかに同じ記述があるかもしれない。


ボー・グエン・ザップ将軍

2013-10-07 17:20:29 | ニュース

最近、ボ・グエン・ザップ将軍が亡くなったとのニュース新聞で読んだ。102歳だったという。

ボー・グエン・ザップ将軍と聞いて懐かしく思う世代はかなりのお年の世代であろう。

仏軍が築き上げた難攻不落のディエンビェンフーの要塞をゲリラ戦で攻め落としたのは1954年だというから私が中学生のころであり、もう60年近く前のことになってしまった。

これは当時大きなニュースとして新聞にとりあげられた。そのころまだテレビはほとんど一般家庭には普及していなかった。

難攻不落の要塞を築きあげていたフランスはこれをきっかけにして結局植民地ベトナムから撤退をした。

ザップ将軍は元高校の歴史の教師だったというが、知恵のある戦略家である。このザップ将軍と抗日戦争を指導した毛沢東はやはりどこか尊敬をせざるを得ないところがある(付記参照)。

近代的な兵器ではフランスや日本に劣るはずだが、それでもそういう国々を打ち破ることができた知恵とか戦略はいくら学んでも学び過ぎることはない。

今日の新聞に出ていたのはザップ将軍の本の読み方であるが、目次で重要と見極めた章から精読し、残りは概要だけ読み取った。読後は要点を整理し、重要部分に再び目を通したという。

この民族の英雄の冥福を祈ろう。

(2013.10.9付記) 私の科学史の論文上での論争相手のA博士などには上に書いたこれらの人々を尊敬するなどという感情は多分理解されないであろう。それはひょっとしたら、私の世代に少しは残っていたロマンチシズムかもしれない。

だから、それを現在の人が理解しないことは私も理解しているつもりである。だが、ザップ将軍の死亡記事が新聞に載ったことはそれでもそのロマンを理解できる人がいることを示している。


レビ小球型認知症

2013-10-07 11:31:05 | 健康・病気

先週の水曜日のNHKの「ためして合点」でレビ小球型認知症をとりあげていた。

それを見て感じたことを一つ書く。このレビ小球型認知症では幻視がよく起こる。それについての対症法が言われていた。

それはトイレに入ったときに人が何人かいるように見えたりするが、それは見えた本人にとっては現実である。だが、その幻視の像は他の人には現実の実在ではない。

だから、その幻視の像を触るように仕向けたりすれば、その幻視の像は消えるという。このときに本人にそんな人や物はないということをただ言葉で言うだけでは本人を説得はできないという。

このことはなかなか興味深い。人間の認識の一部として視覚が大きな要素としてあることは事実だが、人間はそれだけでものを認識しているわけではない。

聴覚、触覚、嗅覚、味覚、それにもちろん視覚によって総合的にものごとを認識しているのである。そのことを忘れてはいけない。

ピアジェという心理学者がスイスにいたが、彼は幼児も空間とか物とかの認識がこういういろいろな感覚によって獲得されていくのだということを本に書いていたらしい。らしいというのは実はピアジェの本を読んだことがないからである。

実は数学者の遠山啓がピアジェについて書いたのを読んだことがあるにすぎない。ピアジェの書いた数と量の認識の心理学の訳本(遠山や銀林訳)はもっているのだが、まだ読んだことはない。


本を探す

2013-10-05 14:13:25 | 日記・エッセイ・コラム

本を探すといっても自分の持っている本で、いま用があってその本を探している。

自分の関心のあるテーマについて書いた、自分のもっていない本がないかを探すことではない。

今朝、ヒルベルトという数学者の伝記を、2階の書棚で探したのだが、どうもお目当ての本を見つけられなかった。一度しかたがないから、階下に降りて来て、身支度を整えたが、どうも見つからないはずがない。

そう思ってもう一度2階に上がってそのありそうな該当の書棚を見たら、なんと書棚の後方ではなく、前面にあるのを見つけた。多分前後2段に並べた後方にこの書をおいてあると勝手に思って前方にあるのをよく見なかったらしい。

本はそこにあり、多分その本を手で動かして本棚の後ろを見たのだろうが、前にあると思ってもいないものだから、見過ごしたのだろう。

私にはそういう思い込みの強さがあって、どうもいけない。小さいときからそういう風であったので、親兄弟姉妹や親戚からよくとぼけていると、バカにされたりした。

どうしてこうなのかは自分でもわからないが、こういうすっとぼけたところがあるのが私である。


特殊相対論とミンコフスキー

2013-10-04 11:33:45 | 物理学

「特殊相対性理論とミンコフスキーとはミスマッチだ」と思う方もおられるかもしれない。そんなことをいう人は特殊相対論のことを知らない方だろう。

1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を発表した後で、その3年後の1908年にミンコフスキーがその幾何学的な意味を示した。

私は相対論の講義を聞いてよく理解できなかったが、このミンコフスキーの解釈を聞いてようやく特殊相対論を理解できるようになった。それ以来、これは私のお好みである。

雑談会でその分野の専門家であるEさんが、特殊相対論の話を一般の人のためにしたのだが、わかりやすくという意図のためにかえって理解が難しくなっていると感じた。

そのときに技術者だったKさんがE=mc^{2}という式がどのように導出されたかをまだ知らないと言っていたので、その説明をしたいと考えるようになった。

私の勤務していた大学の工学部には特殊相対論を教える科目はなかった。それで原子力工学の基礎を教えるために2回と半分くらいの授業時間を使って特殊相対論の初歩とE=mc^{2}の導出を講義していた。いわば、目的志向の講義であった

講義のプリントをつくって学生に配ったが、その記録は小著「数学散歩」(国土社、品切れ)に載せてある。もちろん、この講義のプリントはもっと他のことも書いてあるが、それらは授業で取り扱わなかった。

そういうことで、ミンコフスキーのアイディアにもとづくローレンツ変換の初等的な導出をしようかと考えているこのごろである。


マッコリ2

2013-10-03 11:36:04 | 日記・エッセイ・コラム

先日、マッコリをスーパーで買ったことを述べたが、昨晩夕食の時に飲んでみた。

マッコリは甘酒のような白い酒である。もちろん甘酒のように甘くはない。それで昨晩の夕食は貝の貝柱のフライと刺身であったが、水曜日でもあることなのでマッコリを飲むことにした。

冷やしてあったマッコリをとりだして、よく振ってからコップについだ。貝柱の刺身をつまみながら口に含むと麹の匂いがした。

なかなかいけると思った。もちろん、マッコリを飲むのは初めてではない。だが、レストランで飲んだ時よりも日本人の好みに合わせているのだろうか、幾分甘味がするような気がする。もっとそっけないと言ってはなんだが、味がしないような気がしていたのに。

貝柱の刺身とフライをつまみながら、もう一杯お代わりをして飲んだ。しかし、私にはこれくらいでいい。3杯以上飲むのは控えた。

水曜日は大学に在職中は午後授業がいっぱい詰まっていたので、帰宅したら気分転換にビールか一杯飲んでいた。

その習慣もほぼなくなってきたが、それでもときどきはこの習慣を思い出して水曜日の夕食に何かを飲むことがある。これは毎週ではないので、思い出したらということである。

昨日はドイツ語のクラスの要約をつくるのに結構午後の時間を使って疲れた。その影響が多分にあったと思う。