物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本での四元数の歴史的導入

2017-06-10 12:11:35 | 日記

日本での四元数の歴史的導入についてを自分の博士論文のテーマにされた方がおられると知人の Y さんから聞いた。その女性は科学史の博士論文を書こうとされているらしいのだが、数学が難しくて困ると Y さんにこぼしておられたという。

私の本『四元数の発見』を机の上においておられたとかいう情報を先だって Y さんが私にメールをくれた。なるほどいろいろな人がおられるものである。もっとも数学が難しいのは私の本のことではなかろう。

実際に、行列のかけ算と、ベクトルの内積と外積を知っていれば、私の本を読むことができる。もちろん、触れてはいないけれども底流にはちょっと進んだ概念も含まれてはいるが、それは知らなくてもまったく問題がない。また問題がなくはないかもしれないが、少し頭が機敏であれば、理解できるようなものばかりである。

それに何度も同じ式を別の方法で導出してある。それらはひょっとしたら余計なことであったのかもしれない。

空間回転を四元数で表現する方法も3つの方法で説明をした。どれが一番歴史的に古いのかは私も知らない。これは歴史的な観点で話が展開されているわけではないからである。

このような情報はすべてインターネットのサイトにはあったのだが、それが十分に論理的な展開がされてなかったので、それを私が試みただけである。だが、それくらいのことも不十分にしか展開されていなかった。

四元数についての発見の無意識の心理を探ろうとするような推測を知人の S さんがご自分のブログ上で展開されている。論がおかしい箇所もないわけではないが、興味深く思ったので「数学・物理通信」にまとめたものを投稿していただけないかと打診したのだが、丁重に断られた。

しかし、S さんは私の本での式の展開等もたどられているので、参考になるかもしれない。

 


今日はブログが不調?

2017-06-09 18:30:38 | 日記

お昼前にブログを書こうとしたのだが、どうもブログのところへアクセスができなくていまようやくブログを書いている。

昨日から、n次元の球の体積を求めるためのヤコビアンの一つの証明を入力しているのだが、どうも入力が大変であり、何とかいい方法を考えないといけない。

これは友人の数学者 Y さんの『行列解析ノート』(サイエンス社)にしたがって式を入力しようとしているのだが、うまくいかない。Y さんの証明にはミスプリントがあり、それを修正して入力しようとしているのだが、どこがわるいのかlatexが受け付けてくれない。

すでに一つの方法では証明を書いたので、余分かも知れないが、それでいくつか複数の考え方があったほうがいいと思って数日来悩んでいる。バカなことである。

明日から1週間ほどブログを休むかもしれない。


ユーモア路上観察展(2017)

2017-06-08 12:32:41 | 日記

松山市か近郊にお住まいの方なら、松山市小坂2丁目の乗松巌記念館エスパス21で開催中の「ユーモア路上観察展」を見に行かれることをお勧めする。

もちろん、入場無料である。乗松、越智、芳野の三氏の見つけた面白い光景の写真の展示である。その各写真につけられたタイトルがまたおもしろい。

これは勤勉にまた注意深く町中を徘徊していなくてはこういう写真をとることができないだろう。いつもこの3人の方々あふれる写真に感心してしまう。

たしかに、こういう写真を撮ったからといって実生活の役には立たないかもしれない。しかし、やはり人間はパンのみにて生きるものにあらずなのだ。ユーモアとそれを見つける注意深い観察眼にいつも敬服する。

5月27日(土)から6月11日(日)の午前10時から午後5時まで開館している。火曜日は休館である。

私たちも先刻見に行ってきたところである。


私の日常にしていること

2017-06-07 12:54:09 | 日記

毎日、何をしているか。暇を持て余してよからぬことをするのではないか。これは多分に私に対して他人が考えることである。

それで自分のやっていることをふり返ってみよう。毎日、朝は大体において午前中に新聞を読む。これはかなりの時間をとる。最近はもう見出しをみてこれは読まないと先に決めてしまうところも多い。

それから、仕事場に来てお昼前からお昼過ぎにかけてブログを書く。これはテーマが見つからないときも何か書く。これにはかなり時間がかかる。

それからNHKのラジオのドイツ語講座とフランス語の講座を聞く。それぞれの放送時間は15分である。フランス語の講座は聞けないときが多い。それにブログを書いている途中で放送が始まったりすることもあるので、そのときはあまり集中して聞けない。12時からはラジオ体操をする。

午後の再放送についてもほとんど同様である。午後に時間があれば、数学エッセイの原稿を書いたり、居眠りをしたりする。

そうこうするうちに、夕方になると7時前には帰宅をする。夜はテレビを見たり、本を読んだりするが、テレビは意識して切って読書をするように努力をしている。大体、11時ころから12時または12時30分まで本を読んで就寝する。

これが大体の私の毎日である。そういう日常で私のしていることは

第一に 3か月毎のサーキュラー「数学・物理通信」の発行である(注)。これは2009年12月からはじめた。通巻50号はすでに過ぎた。

第二に、雑談会という会を毎月(8月を除く)開いている。これは月に1回だが、第4土曜の午後の3時間ほどをこれに使っている。これは私自身や友人たちがあまり人と話をする機会が減ったということでの集まりである。これもすでに70回を越えた。世話人の N さんの提案で毎回誰かが報告者となるのだが、報告者がいなくて本当の雑談になることもある。

第三に、木曜の夜はドイツ語の夕べがあり、そこで数時間ドイツ語を話す。もっとも私は黙って他の人がドイツ語を話すのを聞いていることが多い。これは私には話題がないこととと十分なドイツ語の話す力がないことによる。

第四に、その前にいつも木曜には前回の会合の要約のドイツ語をlatexでまとめている。この作成には大体2時間くらいかかるが、A41枚から多くても2枚くらいの分量である。

もっともその蓄積はかなり多くなっているが、その資料をきちんとUSBメモリーに保存しているかどうかは最近ではどうもあやしくなっている。これはドイツ人の R 氏が定年退職したら、単語集を編纂でもして生計の足しでもできたらいいのにという私の考えからはじめたことである。もっともこの資料は数回後のドイツ語の夕べでの復習材料となってもいる。

第五に、一年ほど前までは火曜日の夜は2時間のテニスに出かけていたが、昨年の5月末でこれはやめてしまった。

第六に、妻と一緒に市民コンサートに音楽を聞きに数か月毎に出かけていたこともあったが、これは経済的理由で最近やめた。毎月数千円の支出が家計に重くのしかかるようになってしまったから。

第七に、「ドイツ語圏とその文化」というサーキュラーをこれは不定期刊行で発行しているが、これは本当に気が向いたらであってあまり熱心に発行してはいない。それでも6号くらいはすでに発行したろうか。

(注)サーキュラー「数学・物理通信」はメール配布(無料)である。私の知人・友人等へメールで配布されている。また名古屋大学の谷村省吾さんのサイトにそのバックナンバーがある。インターネットで、「数学・物理通信」で検索すると到達できる。


結城浩さんの仕事のしかた

2017-06-07 11:58:23 | 日記

たまたま県立図書館に本を返しにいって、『数学ガールの誕生』(ソフトバンク・クリエイティブ)を借りてきた。

これは基本的には結城さんのどこかでの講演の記録だが、おもしろいのはその後に参会者との質疑応答がある。それがおもしろい。というのは結城さんの仕事のしかたがわかるからである。

結城さんは一つのテーマについて本を書こうと思ったら、そのテーマにについての本を30冊ほど読み、それらから自分の理解できたことをほぼ3冊分の本の原稿に書き、それを1冊の本にまとめると答えている。

これはなかなかできないことであるのに、すごい努力である。当然のことではあろうが、自分の理解できたことしか書けないといわれる。

私が『四元数の発見』(海鳴社)を「数学・物理通信」に連載をはじめたときはまったく四元数についてわかっていなかった。

もちろん、四元数がどのような考えから考え出されたかについての、一つの手がかりはつかめていたけれども、堀源一郎さんの書いた『ハミルトンと四元数』(海鳴社)の第2章のハミルトンのノートの訳の内容が把握できなくて、私が愛数協の機関誌「研究と実践」にすでに書いていたことしか自分の知っていることはなかった。

その後、この堀さんの本の第2章を解読できたのは奇跡としか言いようがない。大体、私にそんなことができたとは今でも信じられないくらいである。私は自分の頭の悪さを自覚しているから。

もっともこの解読を評価してくださったのは四元数と八元数の物理への応用を専門にしておられた M さんくらいで他の人からはあまりけなされたこともないけれども、ほめられたこともない。

いやいや、またまた道をはずしてしまった。自分の本のことを書くつもりはなかった。結城さんの仕事のしかたについて書くのが私のしたいことであった。結城さんは最近では「ベクトル」とか「三角関数」とか「式とグラフ」とかの高校数学から大学数学へかけたテーマも扱うようになっておられる。

以前は「フェルマーの最終定理」とか「ゲーデルの不完全性定理」だとか「ガロア理論」とかいうちょっと私の手の届かないようなテーマを手掛けており、いわばグレート・ストーリ・テラーであるといってよい。

こういうテーマなら確かに30冊の本を読んだり、原論文にあたったりしなくてはいけないだろう。結城浩さんは得難い貴重な数学についての著作家であろう。こういう人が出てこられたということは日本の文化の大きな成果でもあろう。

こういうすばらしい人と私が競争するなんてことは考えられない。私などは小さなテーマのエッセイを書くので精一杯である。

(注)はじめに書こうと思った結城さんの仕事のしかたについてにあまり書けなかったので、ぜひ続編をこのブログに書きたい。

 


「数学・物理通信」の発行

2017-06-06 11:45:18 | 日記

昨日、7巻3号と4号を発行して送付した。5月中に用意していたので、昨日私の書いたエッセイを読み返してそれぞれ1カ所を修正して発行した。

ほとんど送付から時間を経ないで、受け取りが数人メールで届いた。私と同じで終日パソコン前で仕事をしている人が居られるのである。こういう方々には頭が下がる思いである。

こういう人々がおられて、そういう人に支持されて「数学・物理通信」が存在できている。ひょっとしたら、とても特異なことであるのかもしれない。というのは数学だとか物理だとかは世間一般の人にとってはあまり親しみがあるということではない。

もちろん、それらについても愛好者がいることは確かではあるが、その愛好者の数は割合としたら、とても小さいものであろう。だが、それにもかかわらずこういうサーキュラーが存続できている。よくよく考えたら奇跡のようなことかもしれない。


記事がないので

2017-06-06 10:55:59 | 日記

加計学園問題について書く。文部科学省での文書をなかったことにして再調査せずとは、とても苦しい政府のいいわけである。

確かに首相は誰にも頼むとは言わなかったかもしれないが、友人であることは周知の事実だろうし、「忖度をするな」とまではいってないだろうし、そういう場合には側近は忖度をするものである。だから、首相は自分の潔白をただ国会で述べただけでは十分ではなかろう。

いきさつがどうであるにしろ、他に競走がない状態で審議に入っているので、そこらに忖度があると言われてもしかたがないところがある。本当になんてこともないのなら、さっさと文科省の中をくまなく調査すべきだろう。調査する考えがないということ自身が忖度だと言われても客観的にはそうだろうなと感じてしまうのが、正直なところである。


Hamiltonの四元数の発見

2017-06-05 11:29:35 | 日記

Hamiltonの四元数の発見の無意識の心理を探るという趣旨を嶋喜一郎さんが四元数に関する数回のブログで述べている。私はそのようなことまでは考えていなかった。

実際にハミルトンがどう考えたかだって自分自身にもよくはわかってはいなかったかもしれないが、その深層心理まで入り込もうという試みである。ちょっと怪しげな推論かもしれないが、おもしろいのではなかろうか。

このブログの後で嶋さんにメールをして彼のブログの趣旨をまとめてもらえないか頼んでみよう。


Tシャツ

2017-06-03 12:35:54 | 日記

もうかなり暑くなったので家では T シャツを着ている。それでも外に出かけるときには普通のシャツを着ている。それくらいもう暑くなってきている。

大体、ひと夏を家では T シャツで過ごす。クールビズという語もあるが確かに日本の夏の湿度に高さと気温の高さにはまいってしまう。

クールビズは外に働きに出かける人のいでたちであろうが、家ではもっとラフな服装でも叱られることがない。


奥田知志さん

2017-06-03 11:53:04 | 日記

という方が、今日の朝日新聞のBe 面の「フロントランナー」という欄に出ていた。私たちには学生団体SEALDsの奥田愛基さんのお父さんといったほうが分かりがいい。

この人は北九州市で生活困窮者を助ける運動を30年間やっているという。若い学生のときに大阪の釜ヶ崎を訪れ、「神様はいったいどこにいるのか」と思ったそうだが、神様は日本に奥田さんを送ってくれた。

3000人の路上生活者をすでに助けたとある。地道な活動だけがこういう偉大な成果を生むのであろう。最近、行き場のない人の住む施設を自宅兼用で建てたという。そして全30室の個室にこういう人を住まわせているとか。

北九州市での月2回(冬の間は毎週金曜日)の未明の巡回と夜の炊き出しを続けているという。私は読んで涙がでた。ところが罰当たりなことにそれぐらいが私のできることである。

でも私は私にできることをするしかない。そう思いなおす、いまである。


笹退治その後

2017-06-02 10:57:26 | 日記

庭の笹の退治に苦労しているということを書いたことがあるが、その牙城に迫りつつある。庭の隅の笹がそこから庭全体に広がってきた源のところを半分くらい今週の日曜日に除去した。

だが、まだ半分以上が残っている。笹の下の土をのけて笹を根元から除去しようとしている。


ノーベル賞受賞者の同期生2

2017-06-02 10:36:09 | 日記

ノーベル賞受賞者の同期生という題で先日ブログを書いたが、その2である。

私がE大学に勤めて間もないころだが、町の酒場でどこかで見かけたような人に出会った。それが電気工学科のM教授であった。彼はNHKに長年勤めていて、その後 E 大学に勤めるようになった。

この M さんとその後一緒にお酒を町の酒場で飲んだことがあったが、この M 先生は三高、京都大学出身の秀才であり、大学ではあの湯川、朝永両先生の同期生であった。

三高のときには朝永さんと特に親しかったという。湯川さんの方とはそれほど親しくはなかったと言っておられた。こういうふうにいまでこそノーベル賞受賞者は京都大学の専売特許ではなくなったが、一時は京都大学からノーベル賞受賞者を輩出するという時代があった。

それから時は過ぎて、利根川進さんがノーベル医学生理学賞をもらわれた後での話だが、ある京都大学の化学出身の研究者の方から利根川がノーベル賞をとるなら、「俺も僕もという話がある」のだという話を聞いた。

そういう時代になって来ているのだとは感じたが、なかなかノーベル賞を近しく感じたことはなかった。よく考えてみると京都大学の理学部の出身の方などは日本ではじめてノーベル賞を受賞した湯川先生の薫陶を受けているのだから、別にノーベル賞といっても私などとはちがって近しく感じていたとしてもおかしくはない。

ともかくも、そういう時代に私たちは生きている。


現代戦の特徴

2017-06-01 13:12:08 | 日記

は何かと聞かれた専門家はミサイルと原水爆とかABC兵器とか答えた。

日本の生んだ独創的な歴史家であった羽仁五郎は即座に「ゲリラとゼネスト」と答えたという。北朝鮮のミサイルとかロケット発射実験とか、はたまた、原爆実験とかに暗い気持ちになる向きもあるかと思うが、国を守る一番いい方法は実はゲリラとゼネストである。

その気概をもたなくてはいけない。それに自分の国が守るに値する国だという実感があるかどうかであろう。どうもそういう気概があれば、いくらどこかの国から攻められても自国を守ることができるのである。


そろそろ「数学・物理通信」を

2017-06-01 12:30:49 | 日記

発行する時期が来た。7巻3号と4号はおよそ準備ができている。もっとも私はいつもはやとちりをするほうなので、実際の発行は来週半ばにしたいと考えている。

7巻5号も6月中に発行する予定ではあるが、こちらのほうは私が書いているエッセイがまだ書き終わっていない。それが書き終わらないと発行できない。

「数学・物理通信」は数学者の N さんと私とが編集して発行しているメールで無料配布のサーキュラーである。物理に関するテーマは少なく、数理物理的な話と数学プロパーなテーマが多い(注1)。

それを手に入れるには私に個人的にメールをくれて、発送先のリストに入るか、それとも名古屋大学の谷村さんのサイトにアクセスされるかのどちらかである。

谷村さんは「数学・物理通信」が発行されるとほとんど直ちに彼のサイトにリンクして載せてくれている。掲載が遅れたこともないわけではないが、 そのときは谷村さんがたまたま外国旅行中であった。

こういう理由があるとき以外はほとんど1日か2日以内に、おそくても1週間以内に載せて下さるので、彼のサイトを通じていろいろ連絡を下さる方もある。それは結構、込み入った要望であったりする(注2)。

私自身も自分のホームページをもちたいは思っているが、いろいろな事情で実現していない。そういうことで、この機会に谷村さんに改めて感謝をしておきたい。

(注1)無料のメール配布のサーキュラーというのはお金がほとんどかからないし、投稿原稿があってもそれに対して原稿料は払わないので、商業的なものではない。ただし、こちらも購読料をとったりはしない。こういうシステムは、なかなか優れたアイディアであると自画自賛している。

数学者の A さんは「数学・物理通信」に投稿された論文をもって、ある国際会議に出かけて発表されたと事後にメールで連絡を頂いた。これはこのサーキュラーの使い方の一つではあろう。もちろん誰にでもできることではないが。

もっとも私の発送先のリストに入っている方か、それらの方からの推薦とか紹介があった方に投稿を制限している。それ以外の投稿をまったく受け付けないわけではないが、掲載の可否は共同編集者 N さんと私との二人の編集人たちの独断と偏見によることが多い。それですでに論文の掲載をお断りしたことが数回ある。

 (注2)あるときは W 大学の学生が自分の卒論か修士論文の指導と閲読を共同編集者の N さんに頼むという要望であった。