物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

本の中の雑談

2020-06-24 13:55:07 | 物理学
今日、大学生協の書籍部に行って、今月の雑誌をとってきた。

その中に1冊だけだが、数学関係の本があった。これは『微分積分学演習』(岩波書店)である。

これは微分積分学の演習問題を取り扱った本である。その中にcoffee breakとtippsというコラムが載っていたので、そこだけ拾い読みをしていた。

それで、毎日のこのブログを書くのが遅くなった。これらのコラムを二人の著者のうちどちらが書かれたのかは知らないが、その中に定積分の話題が二つあった
一つはガモフの定積分というものであり、ガモフが量子力学での原子核のアルファー崩壊の理論の論文を書いたときに必要だった定積分のことである。こちらは私たちに親しいテーマの定積分である。

もう一つはオンサガーの定積分と題されたものである。こちらの定積分は数値積分でもその値をあたることができるが、これをオンサガーは複素関数の方法で解いたようであった。その詳しい説明はないので、わからない。

もう一つの話題はランダウは彼の門下になるために試験をしたそうだが、そのときに物理の問題を数題と定積分の問題を一ついつも出したと、この本のコラムのどこかに書かれていた。

それにしてもFeynmanも定積分を上手に計算したというし、物理学者が成功するためには定積分を上手に計算できなくてはならないようである。




Prolegomena

2020-06-23 13:16:23 | 本と雑誌
ある科学史家の論文を読む機会があった。

その中に哲学者カントのProlegomenaが出ていた、ところがこの言葉の意味を知らなかったので独和辞典を引いてみた。

始めに引いた独和辞典には載っていなかった。それで収録語数が少し多い独和辞典を引いてみたら、ProlegomenonはVorwortとあった。Vorwortは序文という意味である。

ProlegomenaはProlegomenonの複数である。80歳を越えてようやくProlegomenaの意味を知るというお粗末であった。

「数学・物理通信」ではいつも編集後記を書いているが、ドイツの雑誌では編集後記はなく、なんでも序文のところに書くということを何年か前に知った。

還元公式が先か加法定理が先か

2020-06-23 13:02:48 | 数学
三角関数の余角の公式だとか補角の公式だとか、はたまた負角の公式は加法定理よりも先に現れる。

その後で加法定理を導くのが普通の高校の三角関数を教える順序である。それを逆転させることができないかと考えている。

なかなかその道は細い。普通の余弦定理と距離の公式からcosの加法定理を導くのはほとんど定番の加法定理の導き方である。

もっともcosの加法定理から、sinの加法定理を導くときには余角の公式を用いるのが普通である。そうするといわゆる還元公式を先に教えたり、導いたりしておかないと加法定理が完全には導けない。

加法定理からはもちろんこれらの還元公式を導くことができるが、加法定理をこれらの還元公式を用いないで導くにはどうするかはかなり難しい。

忘れていたことを

2020-06-22 16:39:14 | 本と雑誌
忘れていたことを思い出したので書く。

それは初等数学の用語の対応した英語についての書いた辞書というか本がほしいということだった。

そういう本にはいくつかあるが、私がよく参照するのは武藤、三浦編著の『算数・数学用語辞典』(東京堂出版)がある。しかし、この本にも出ていないような用語もある。

また英訳があるのだが、ちょっとほんとかなというものもある。直角三角形の隣辺は普通はadjacent sideだと思うのだが、この本にはadjoining sideとあって本当なんだろうかとちょと疑問に思わないでもない。

いま『数学英和・和英辞典』(共立出版)の和英を引いたら、両方ともありだとわかった。

それにしても武藤先生たちの辞典には対応した英訳のない用語もあったりする。
それでも、だいたいの場合にはこれで用が足りるのは助かる。

昨日の日曜日にもう一つ

2020-06-22 15:37:53 | 本と雑誌
昨日の日曜日にもう一つ今日の月曜日になったら、ブログに書いておきたいと思ったことがあったのだが、忘れてしまった。

一つは英語でなんでもはなせるようになることができたらいいのにと土曜日のEテレに放送をきいて思ったことであったが、もう一つは忘れてしまった。

昔の大学受験生であったころに、読んだ受験参考書の藤森良夫『解析の基礎』続(考え方研究社)の三角関数のところを読んでいる。古い本である。高校生のときにも十分読めてはいないと思うが、数学嫌いになってしまった私を救ってくれた本である。

読み返す暇などなかったのだが、ここにきて読み返している。

英語を話すこと

2020-06-22 15:11:02 | 本と雑誌
あまり今まで英語を話すことにあこがれを感じたことはなかった。しかし、土曜日だったかにNHKのEテレで台湾の新型コロナウイルスへの対策がうまく機能したことへの関係者へのインタビューの放送をしていた。

この中に対策の主任だった人と有働さんとだったかが英語で話をしていたのを聞いて、英語を話すことにあこがれをはじめて抱いた。

それは台湾の対策主任だった人が退任して元の研究者に戻ったという話が最後に出ていた。この人は英語を流ちょうに話すだけではなく、最後のところでこの人の世界観を聞くことができた。

そういう自由で民主的な人の世界観というか人生観というかを聞いたときに英語が流ちょうに話せたらいいのにと思ってしまった。これは英語ではかなり多くの人がそれを理解することができるだろうという事実がうらやましかったからだ。



ビールのCM

2020-06-20 13:03:23 | 本と雑誌
テレビでビールのCMをやっているのを見てビールを飲んでいる人が「うまいね」というのを見て、いつも「ビールって、そんなにうまくないのになあ」とつぶやいている。

ワインとかお酒などでは、ときに飲んでおいしいと思うことがあるが、ビールは若いときからうまいと思ったことはほとんどない。

高校を卒業して、大学に入った後で何かの機会に高校で教わった、数学の先生宅を訪ねたことがあったが、そこでおそらくはじめて飲んだビールがうまいとは思わなかった。

どうもそのときの第一印象を私はビールに関しては引きずっているようである。これくらい第一印象は人に影響を与えるものらしい。 

索引

2020-06-19 13:31:42 | 本と雑誌
角と角度についての簡単なコラムを書きたいと思っている。

昔読んだ岩波新書の『数学の学び方・教え方』に何か角とか角度について書いていなかったかと思って探そうとしたが、当然のことだろうが、これには索引がついていない。

それで、この新書の中に角とか角度についての記述があるのかどうかはすぐにはわからなかった。いまe-Learningのコンテンツの三角関数の部分を書こうとしていることはこのブログでも書いたが、その中で角とか角度についての説明をe-Learningのコンテンツのコラムとして書きたいと考えた。

本の索引をつくるのは昔ほど面倒ではなくなってきてはいるが、それでも本を一冊書いて、いざ索引をつくろうとすると面倒なのでつくれないということがある。

私のことで恐縮だが、外国書の訳本ではない本をはじめて書いたのが、『数学散歩』(国土社、2005)であったが、これに索引をつけるという考えはなかった。

しかし、『数学散歩』に索引がなかったことは、この書の利用価値を減じたのではないかと思ったので、この書の一部を抜き出した書『物理数学散歩』(国土社、2011)を編集したときには索引をつけた。これはこの本を一度通読をした方でも辞書的に使う人のためを考えたからである。

もちろん、『四元数の発見』(海鳴社、2014)を書いたときにも不十分ではあるが、それなりに索引をつけた。

しかし、大部な著書でも索引のない本は普通であるらしい。最近通読した本に『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社、2019)があるが、これくらい大部な著書となれば、索引があってしかるべきであるが、まったくついていない。

私などは本を1冊通読するよりは、その部分のどこかにある項目について書いたヒントがないかというふうに本を使うことが多い。

遠山啓『数学の学び方・教え方』とか『数学入門』上、下(岩波新書)などは興味深い書だが、あのことはどこに書いてあったかなと探したくなるときがあるが、そう簡単にはその箇所を探し当てることなどできない。

遠山啓『教師のための数学入門』(国土社、1991)にも索引はついていない。これは残念なことだ。

第一、それについて書かれていたのかどうかもわからない。角とはある種の図形らしいが、角度はある種の「量」であり、それについて教育的にどのような認識をしてきたのか、または人類は角とか角度をどのように認識してきたのかを知りたいと現在思っている。

そう思っていくつかの書籍、特に事典とかを探している段階なので、本に索引があれば大いに助かるのだが。

これから本を書く人は電子書籍であっても、索引は余計なものだという考えではいけないだろう。もちろん、小説にまで索引はいらないであろうが、索引のない本は利用価値がぐっと下がるのは事実である。

本をこういう風に常に辞書的に使うという発想の私がわるいのかとも思うが、やはりそうではあるまい。世の学術的な本を書く人の猛省を促したい。

もっとも電子書籍などでは、検索がすぐにできるかもしれないので、索引は不用なのかもしれない。その辺の事情に私は疎い。




一日遅れで

2020-06-19 12:25:48 | 本と雑誌
昨日「数学・物理通信」10巻5号を発行した。水曜日に発行しようかと考えていたが、どうも水曜日ではあまりに急すぎると思って、本日の金曜日くらいの発行のつもりであった。

しかし、どうもなんだか仕事が残っているのも次の仕事へのとりかかるためには障害となる気もした。

それで、一日の猶予はおいたが、我慢しきれずに昨日の発行となった。手元において見直す必要があったのかもしれないが、もう原稿のチェックはする気がおきなかった。

原稿のチェックを十分したということではないが、もしミスがあってもしかたがないというほどの気持ちからである。さすがに3号を一月に一気に発行すると、たとえ原稿があっても気分が疲れる。

それでも、まだ私は元気だからなんとかなっている。もし、どこか病気になったら、こうはいかないであろう。しかし、いつかそういうときが必ず来る。






遅々として進まない

2020-06-18 12:19:33 | 本と雑誌
これは私のつくっている、三角関数の教材のことである。

以前につくったe-Learningのコンテンツの補完部分として三角関数について書き始めているのだが、なかなか進まない。

昔、私が大学在職中に編纂した「電気電子工学科ミニマム」の三角関数の部分の大幅な書き換えをしたものをe-Learningのコンテンツの三角関数の部分としたい思っている。図の入力とか問とかその解答とかが必要なのだが、それがあまり進んでいない(注)。

これは6月は「数学・物理通信」の発行月にあたっていることもあり、今月はその編集発行に明け暮れた。

ようやく、その仕事もほぼ終わってあとは10巻5号の発行の作業のみが残っている。しかし、その作業も今日、明日のうちには終わる見込みである。

(注) 「電気電子工学科ミニマム」は私の編纂したある種の反公式集とでもいうべきものである。

はじめは初等数学の簡単な要約のつもりではじめたが、結構内容は豊富になった。
 
詳細はここで書くことができないが、ページ数は83ページである。これは3年目の第版だからはじめは40ページにも届かなかった。

第3版の数学的内容である各章の名前を挙げておこう。

第2章 三角関数
第3章 指数関数と対数関数
第4章 微分と積分
第5章 Taylor展開
第6章 ベクトル解析
第7章 フーリエ解析
第8章 微分方程式
第9章 複素数
第10章 線形代数の有用な定理と公式
第11章 偏微分
第12章 双曲線関数
第13章 デルタ関数
付録1 定数表
付録2 ギリシャ文字
付録3 逆双曲線関数


zoomでの「徳島科学史会」が実現か?

2020-06-17 12:30:43 | 本と雑誌
毎年、8月に愛媛、香川、徳島のいずれかの地で行ってきた徳島科学史会が今年は場合によってはzoomによるミーティングがはじめて実現するかもしれない。

これはまだ可能性の段階なので実際に参加者がどこかに集まる可能性がまったくなくなったわけではない。

しかし、新型コロナウイルスの感染のおそれはまだなくなってはいないので、zoomによるミーティングの可能性が低くはならない。むしろ大きいといえるだろう。

実際にそういう会議をするとなるとどういうことが必要なのかまだまったくわかっていないが、それでも世の中は動いていて、その可能性が強くなってきている。


毎回のことだが、

2020-06-16 15:30:46 | 本と雑誌
毎回のことだが、今回もちょっと脱力感がある。

いや、数学・物理通信の編集後のことである。まだ10巻5号は発行していないが、編集がやっと終わって発行できることになった。

6月にすでに3号と4号を発行したのだが、もう一号の5号を発行できる段階となった。

今日、最後まで残っていた一人の著者の了解が得られた。それで今週中には5号が発行となる。

か精神をかなり集中してやっているので、出来上がると解放感というかむしろ脱力感が強い。

しばらくは、セミの抜け殻のごとくである。

Well begun is half done

2020-06-16 13:24:14 | 本と雑誌
Well begun is half done(はじめよければ半ばの成就)とは私が英語好きの中学生のころに覚えた文句である。

これとかAll is well that ends well(終わりよければすべてよし)とかはあまり自分では詳しくは読んだことのないが、旺文社の原仙作『英文標準問題精講』だったかに多分載っていた文句である(注)。

これは古くはシェ-クスピアの戯曲中の文句だったのかどうだかはわからない。

ちょっと似ているか全く似ていないかわからないが、ドイツ語にはAller Anfang ist schwer(アッラア アンファンク イスト シュヴェア: アンファングではない。ここではgはクと発音する。)ということわざがある。

いつかこのブログで、このことわざを紹介したことがある。これは「すべてはじまりが難しい」という意味だろう。

ドイツ語と物理ははじめが難しかったという実例までそのブログでは紹介した。

(注) はじめて気がついたが、Well begun is half doneにもAll is well that ends wellにもwellという語が使われている。

Annfangの発音と同様に付け加えていうと、ドイツという意味のドイツ語Deutschlandもドイチュランドではなく・・・ラントである。もっとも、このトは日本語の母音を含んだトではないから、あまりドと発音しているのかトと発音されているのか私たちドイツ語を母語しない者には判別は難しい。

zoomへのアクセスへのマニュアル

2020-06-15 12:44:21 | デジタル・インターネット
zoomへのアクセスへのマニュアルを書いた方がいいのではないかと思いながら、これにはとりかかれない。

これは私が3日ほど時間をzoomインストーラ―を自分のパソコンにダウンロードするのに手間をかけてしまったので、それをしないで済むようにとの配慮からである。

だが、なかなかそれにはとりかかれない。

zoomインストーラ―を自分のパソコンにダウンロードできれば、あとはなんてことはない。もちろん、だれかの指導がいるけれどもことの半分以上がなされている。


「数学・物理通信」10巻5号の準備がおよそできた

2020-06-15 12:32:49 | 物理学
6月に10巻3, 4号をすでに発行したのだが、いま5号を準備している。今週の水曜日すなわち6月17日に発行しようとしている。

ところが、ちょっと困ったことが起きた。一番長い論文を書いた方の一部の式が間違っているとの指摘を受けた。それで著者に問い合わせをしている。

その返事が早く来れば問題はないのだが、私のメールをいつ見てくれるかわからない。それによって発行がもっと先にずれ込むおそれは十分にある。

まあ、別にいつでも構わないのだが、こういう仕事ははやくかたづけて、つぎの仕事にかかりたいと考えているので。

私は気の長いときもあれば、気短いときもある。今回は後者である。