物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

RSVPとNRSVP

2020-06-15 10:40:11 | 外国語
RSVPとNRSVとはフランス語である。

それぞれRespondez s'il vous plait !とNon respondez s'il vous plait !である。

始めの文章はパーティの主催者がその開催を知らせるときなどに参加するなら、連絡をしてなどというときに使う。

二番目の文章は手紙などくれた人がこの件に関しては返事をくれなくても良いよというようなときに文の末尾に書いたりする。

あるパーティの後で同僚の教授がご自身のイギリスでの留学に出かけて、その直後にある連絡をもらい、その文の最後にRSVPとあって意味がすぐにはわからなかったと話をしかけたときに、Respondez s'il vous plait !と言ってしまい、話の腰をおってしまうというぶしつけなことをしてしまった。

それもずっとあとになってぶしつけなことをしてしまったのだなとわかったときはもう取り返しがつかなかった。




6月の子規の俳句

2020-06-13 17:34:29 | 日記・エッセイ・コラム
毎月、子規の俳句を一首書いている。

これはE大学校友会の配布のカレンダーに載っているものである。

  苔の上にこぼれて赤しゆすらの実  子規  (1900)
  red nankin-cherries
       drop onto
       the moss

まだ子どものころといっても6歳にもなっていないころだが、赤いゆすらの実を食べたことがある。

これは私の実家の庭にゆすらの樹があったから、たぶん5月か6月だが、それがざるいっぱいにとれたのである。

それを洗って母が食べさせてくれた。記憶ではそれは1945年のことでその年の8月には日本の敗戦がくる。食物もあまりないころで、ゆすらは貴重なおやつでもあったろう。        


遅くなりました

2020-06-13 15:46:07 | 数学
いやなにがと言ってもこのブログを書くのが遅くなった。

「数学・物理通信」10巻5号の準備をしていた。ようやくできあがって読者の声をメールで寄せて下さった方に点検のお願いのメールを出した。

少しはメールの表現を変えたりしているので、メールをくれた本人に見てもらう必要がある。

いまの予定では来週の水曜日6月17日を発行日に設定している。文章をそういうことで何回も読む。それでも体力がないから、どこかミスをしてしまうことが多い。

Zoomでのドイツ語クラス(初回)

2020-06-12 12:54:11 | 外国語
Zoomでのドイツ語クラスをしたいとR氏からメールをもらったのは、もうほぼ1週間前である。

それでも3の倍数の月には「数学・物理通信」を発行しているので、それの原稿の推敲の方に私の仕事の重点があった。

とうとう9日の夜になって数人の人の尽力によりまがりなりにもカメラとかマイクとかが機能することを確かめることができた。特にマイクの作動には子ども助力を得た。

その後、水曜日に明日の木曜日にR氏と私と最低2人でのクラスをやろうではないかとR氏から提案があった。しかし、それは夜の19:45からであるので、私の妻の了解がないとできないと、まずはメールで返事しておいた。

その後、妻の了解が得られて実際に19:45から行うことができた。それでもはじめに私の音声が入らないといわれたのだが、それはマイクのアイコンをクリックしたらマイクが使えるようになり、少なくとも初回はほとんど2人でクラスができた。

最後ころに、R氏夫人のSさんが短時間参加したが、大部分はR氏と私のやりとりであった。

私の妻などは火曜日の晩にこれではドイツ語のクラスなど実現不可能だとほぼ断言していたから、実際にそばで聞いていてクラスが実行可能だと知って驚いていた。

大体、関心のあることにはなんでも乗り出してくる妻がおとなしかったので後できいたら、なかなか口をはさむことなどできなかったと言っていた。

なんのことはない技術的な問題ではなく、言葉の問題であったらしい。

それでもマイクのクリックとか画面共有とかのアドバイスを側からしてくれて助かった。

R氏は今後他のクラスのメンバーにもZoomのインストールを呼びかけるつもりらしい。


反応

2020-06-11 12:46:26 | 数学
昨日、「数学・物理通信」10巻3, 4号を発行した。

ちょっとページ数は30ページに足らなかったが、あまりそのページ数にはこだわっていないので、発行した。

そしたら、いくつかの反応があった。その一つは「数学・物理通信」を自分のサイトに載せて下さっている名古屋大学の T さんからであった。

彼の教え子で現在では数学者の千葉逸人さんの話であり、千葉さんが学生のころに数学の本を書いて「その原稿の見てくれませんか」と T さんに頼んできたことについての便りであった。

はじめ T  さんに編集後記に引用してもいいですかと許可を求めたが、それよりも「編集者への手紙」としたほうがいいのではないかと思ってそのような再度のお願いのメールをした。

どういう返事をもらえるかはわからないが、こういう風な反応があると編集者としては楽しい。今月は10巻5号をも発行予定であるから、それに掲載できるはずである。



Zoom初体験

2020-06-10 10:20:05 | 科学・技術
Zoomを初体験した。

R氏からzoomを使う試行をしたいと言われたのは先週の金曜日だったが、zoomインストーラーがインスートルできないと思っていた。

ところがPCのところダウンロードというところに6回もインストールされていた。簡単だといわれたが、そう簡単ではなかった。

zoomインストーラーをディスプレイ上に移して、そのインストーラーをクリックしたら、初期化されてzoomが開いた。

ところが私からの画面は写っているらしいが、音声が聞こえないという。これは携帯
で話をしていてわかった。それで一度zoomを切って、子どものところに妻がスマホで助けを求めた。そうしたら、私のパソコンの方に入ってマイクを使えるようにしてくれた。

それで、もう一度R氏に連絡して彼の集会に参加したら、今度は音声は聞こえるというがカメラが動かないらしく、へどもどした。もっともそれはR氏がなんとかしてくれた。妻はスマホからも参加してR氏の別の端末からもアクセスして4人(?)の集会になった。

昨朝は何も知らない人だったのにまがりなりにも夫婦そろってZoom初体験となった。これには大いに子どもからの助力もあったが、妻の尽力が大きい。

それにR氏の忍耐力には感心する。彼の呼びかけがなかったら、zoom初体験など到底できなかったろうから。





小説『カード師』

2020-06-09 13:08:22 | 物理学
小説『カード師』は朝日新聞に現在連載中の新聞小説である。作者は中村文則さん。

カード師の私の体験を書いている小説だが、ある人の遺書を私が読んでいるというところらしい。

らしいとしか言えないのは私にはちょっと面倒な設定であるので、途中から読むのを諦めたからである。

ところが今日は光とは電子とかの波と粒子の2重性の話が出てくる。これは量子力学をまじめに学ぶ人は一度は聞くテーマである。

いわゆる二重スリットの話といえば、ああ、あの話なのと分かるくらい有名な話である。もっとも一般の人にこの話がどのくらいわかるかはわからない。

朝永振一郎さんのエッセイにこれを簡明に説明したエッセイがあった。「光子の裁判」というタイトルだったか。

光は波と思われていたが、これが粒子性をもつものであることは光電効果かとかCompton効果からわかってきた。それで20世紀初頭にこの光の2重性の解釈に物理学者は苦しむことになる。

古典物理学的に言うと粒子であるものは波動であるとはいえないし、波動であるものは粒子であるとはいえない。だが、量子力学では光とか電子はその両者の性質をもつものとしてとらえる。

それはどういう実験的観測をするかによる。粒子としての位置を測定すると、それは粒子性を示すし、光の運動量をきっちり定めようとする実験をすると波動性が得られる。だったかな?

光は波動でも粒子でもない、両方の性質を併せ持つものであるという理解である。これは古典物理学の範疇ではその両方の特性をあわせもつことなどできないが、量子力学ではそれが可能である。いわゆる弁証的統合的理解が必要である。

いわゆる、2重スリットでは2重スリットのところで光の位置を観測しないかぎり波として振る舞う。ここを通過した後で光を粒子として観測したときにはその過去が変えられるという風に小説では書いてあったが、2重スリットのところでは何の観測もしていないならば、それは波であったのか粒子であったのかは判定することが出来ないという風に考えると理解している。

この話は何十年も量子力学の講義をした来た私にもわからない。

私のいまの理解では波としての性質は確率波として理解しており、1個1個は粒子性をもっているのではないかと思っていたが、それも私の思い込みで観測しないときには光が粒子性をもっていたか波動性をもっていたかは何も確定的にいうことができないというのが公式の見解であろう。

こういう事実を目に見えるように実験してくれたのが亡くなった、外村彰さんであった(注)。

光の粒子は一個一個粒子のようにスクリーン(または写真フィルム)上にやってくるが、それが長時間露光されていると、波動的なふるまいの光の干渉縞が観測される。

(注) 外村彰 『目で見る美しい 量子力学』(サイエンス社)は量子力学のテクストとしてはあまり数式の多くない写真の多いすばらしいテクストである。

特に66-67ぺージの写真が今回の内容と関係している。この本の価格も2,800円とリーゾナブルである。


また新しい週が始まる

2020-06-08 11:48:31 | 科学・技術
日本やアメリカでは週は日曜から始まるのだが、ヨーロッパでは週は月曜に始まる。

土曜日には休まないことにしているが、日曜は休むことにしている。もっとも昨日の日曜は15時ごろ特別に仕事場に来て、10巻4号に掲載予定のエッセイの修正に励んだ。

これはもちろん私にしたら珍しいことである。zoomでのオンラインのドイツ語教室をするために先生のR氏にzoomのインスートルを勧められているのだが、それが土曜の午前の試行ではうまくいかなった。

はじめてzoomというソフトを知ったので、半信半疑でインストールしようとしたのだが、そのインストーラーがインストールできないでいる。

それでオンライン教室は今日の16時からに変えてもらった。さて、首尾よくインスートラ―をインストールできるだろうか。

zoomというソフトは優れモノのソフトらしくオンライン会議にはもっぱら使われているらしい。今日の新聞にもzoomでうんぬんの記事がいくつか出ていた。

文章の推敲

2020-06-06 12:34:36 | 数学
「数学・物理通信」10巻3号の編集に数日かかりきりである。

ところが自分の投稿した文章の推敲に時間がかかっている。これは何回も読み返すのだが、自分の書いた文章はなかなか修正箇所がなくならない。

今朝もまた読み返したのだが、どっさりと修正箇所がでてきた。自分の書いた文章は何回読んでも頭でわかってしまっているのでなかなかミスがなくならないためらしい。

それも以前に書いたエッセイを今回投稿しているのだから、すこしは他人の眼になっていてもいいはずなのに。

ということはいままで何回も経験したことではあるが、今回も痛いほど知らされた。



急に暑くなってきた

2020-06-05 11:45:59 | 本と雑誌
昨日くらいから急に暑くなってきた。

上着をきておれなくなった。日本の悪名高い嫌な季節の到来である。6月から9月まではとても生きておられないくらいの暑さである。

80年以上日本人をしているが、この季節はかなわない。それでもエアコンのおかげでなんとかこれまで日本人を務めさせてもらっている。

先日だったか、加藤周一さんのエッセイ集を読んでみたら、彼は日本にいるときは夏には軽井沢におられることが多かったみたいなので、これは普通の日本人のできることではない。

数学者の遠山啓さんは夏には北軽井沢に行ったこともあったようだが、彼は70歳で亡くなったが、求めに応じてどこにでも環境のわるいところへも講演にでかけたとか聞いた。それもあまり講演料ももらわなくてもだったとか。

私などは遠山さんよりも10歳以上も長く生き延びているが、これは彼のようなハードワークをしてこなかったためと思われる。

もっとも影響力の大きかった遠山さんと私を比べたりしたら、遠山さんに失礼にあたるだろう。それくらいの偉大な人である。遠山啓さんは。

実は一度だけ彼を見かけたのは松山市市民会館での講演会であった。あれは1978年のことだったろうか。競争原理を教育の場からとり除こうという彼の強い主張をいまでも覚えている。








詐欺のメール

2020-06-04 12:16:50 | 本と雑誌
詐欺のメールが頻繁に来るようになっている。

振り込む銀行口座の変更を要請するものである。有名なナントカ.com名で来るのだからだまされてしまいそうである。もっともナントカ.comとはちょっとした違いがあるのだろう。だから容易に騙されてしまいそうである。

最近はここでほとんど購入していないので、ナントカ.comが本当に変更を要請してきたものかどうかその判断に困ってしまう。

私自身はこのナントカ.comにはわるいが、ここで物を買うことを止めている。



編集になかなかとりかかれない

2020-06-03 11:57:56 | 物理学
6月になったので、そろそろ「数学・物理通信」の編集にとりかからなければならないのだが、まだとりかかれていない。

投稿された論文のページ数を調べてどれとどれを組み合わせるとおよそ30ページに近くなるかを調べて目次をつくる。

それ以外の考慮すべき項目もまったくないわけではないが、まあページ数が大きな要素となる。

別に、ページ数は数学・物理通信を郵送するわけではないのでどうでもいいようにも思えるが、実は目次がそのタイトルの英訳も含めてその分量が1ページに収まることも大事な要素となる。1回だけ英訳の部分がもう1ページにはみ出したことがあるが、こういうことは望ましいことではない。

編集は簡単だと思う人もいるかもしれないが、あれやこれやを考慮すると、それほど簡単ではない。それに一応出来上がってからも再度投稿者に点検をお願いしなければならない。

そういうことを何回か繰り返してようやく発行となる。それをすでに80号以上つづけてきたわけである。だれからも別に褒めてもらえるわけでもないし、もちろんお金がはいるとかいうこともまったくない。もっとも褒めてもらったりするようになるとそれが止め時だと判断するかもしれないから、人間とは面倒なものである。

それでもただただ好きでやっている。

いつのまにか暑くなってきた

2020-06-02 11:18:38 | 数学
つい先ほど正月が来たと思っていたのに、昨日はもう6月1日だった。

今日は6月2日である。グラフの描き方に悩んでいる。これは余弦関数cosの描き方だが、これを普通のように水平方向ではなく、垂直方向に描くことを考えているからだ。

円の動径の射影として正弦曲線を描くのは普通だが、この同じ動径を下の方から平行光線をあててその動径の射影を垂直方向の上方にグラフを描きたいのだ。

中学生君に正弦曲線の説明を先日したのだが、余弦曲線はその正弦曲線からみたら、90度位相が進んでいるように描かれる。

そのことを説明したのだが、どうしてそうなっているのかをどう説明したらいいのかなと考えているうちに正弦曲線の場合は左から平行光線をあてて、その動径の射影を描くのに対し、余弦曲線は円の動径に下方から平行光線をあてて、その射影を描いているということに気がついた。

この正弦曲線と余弦曲線を同時に描くには、円を描いたその右横と上方にグラフを描く必要がある。問題は上方に余弦曲線を描くところが問題である。

こういう経過を経て、余弦曲線は正弦曲線と比べて位相が90度だけ進んでいるという図を描くという話が出てくるのだということをこの年にして知るに至った。

旧友からの投稿

2020-06-01 16:32:35 | 科学・技術
「数学・物理通信」に旧友からの投稿が先日あった。

30歳前の若いときに知り合った旧友だが、あまり不断に接触はなかった。ところがこのところの新型コロナウイルスさわぎである。

編集委員のSさんからも前に新型コロナウイルス関係の論文を投稿していただいたが、それに類似した論文である。九大名誉教授の小田垣さんの論文もあるのだが、それらを東京都と大阪のコロナ感染者数に限って数値的に追うという論文である。

それを昨日の日曜日に暇なので見ておいたので、修正箇所を今日修正した。長文の論文である。もっともBasicの計算プログラムつきだから長くなるのはしかたがない。

今日から6月だが、なかなか「数学・物理通信」の編集にはとりかかれそうにない。