物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

いつものように

2024-01-12 11:41:42 | 数学
いつものように今日のブログを書く前にはいままでの私の書いたブログで読まれたブログを読んで、表現を修正するという作業をした。

さあ、これから今日のブログを書こうということだが、テーマが思い浮かばない。さあ、どうしよう。

実は先ほどまで以前に私が書いた四元数に関連した数学エッセイを読み直していた。一昨日からは「四元数(補遺3)-四元数とパウリ行列-」を読み返している。

ところが、これがとても粗雑にしか書かれていなくて、ミスプリントが一杯だし、式の番号もおかしい。これでは皆さんに読んでいただく数学エッセイとしては不合格である。恥ずかしい。まったく気がつかなかった。

というか書いた後で十分に時間をおいてから読んでみなかったのだろう。書いている最中は何回読んでも十分ではない。ある種の他人の眼が必要なのである。

もちろん、私以外の他人の方が読んでくださるのがよいのだが、そういうことは私からお願いできる筋ではない。そうすると自分が自分の書いた文章をある程度時間をおいて読むのがいいのであろう。

ところが、この「四元数(補遺3)-四元数とパウリ行列-」のエッセイはそうする機会がなかったらしい。それで自分では改訂することをいままでしなかったが、大いに改訂する必要があった、問題がおおありの数学エッセイであった。このエッセイはページ数11ページのけっこう長いエッセイである。 

(付記)この数学エッセイの内容はあまりほかではきちんと取り上げられたことのない内容であるので、エッセイの価値はあるであろう。ただこういうことには真正面から取り組まれた方はおられなかったと思う。だから私のエッセイの存在意義があるのだが、こう粗雑ではその価値が半減するだろう。


まったく気がつかなかった

2024-01-11 12:34:11 | 本と雑誌
昨日だが、NHKラジオのフランス語講座のテクストにあるクイズを解こうとしていた。

妻のスマホでの検索力にいつも大いに頼っているのだが、それだけなく私も仏和辞典とか和仏辞典とかも総動員している。

ところが昨日奇妙なことが起こった。フランス語のprendreという重要な動詞が仏和辞典にないのである。何回も間違いではないかと思って探したのだ。どうしても見つからない。これは重大な仏和辞典のミスだと思ってちょっと後ろの方を見たところ、その辞書の後ろの方にドイツ語のいくつかの有名な歌の歌詞が出ていた。

仏和辞典にドイツ語の歌の歌詞が出ているなんておかしいなと思ってよく見ると実は私の見ていたのは仏和辞典ではなく、独和辞典であった。私はこのことに全く気がつかないでこの辞書を使っていたのだ。道理で引く単語、引く単語がこの辞書にでて来ないはずだ。

独和辞典と仏和辞典とは私の書棚に隣り合って収まっている。仏和辞典を取り出したつもりが独和辞典を取り出していたのだった。それもサイズも装丁とかの様子もよく似ているために気がつかなかった。

普通なら、周りの単語を見れば、綴りがドイツ語風であることに気がついたはずだが、それが全く気がつかなかった。不規則動詞の変化までこの辞書で調べようとしたのだから、私は。

ちなみにフランス語のクイズは私にはかなり難しくて、いつも1時間もそれ以上かかって解く。

同じレベルかどうかは知らないが、NHKのラジオのドイツ語の講座のクイズは最近は10分くらいで解くことができるので、こちらのほうは解の応募のハガキは出さないようになった。これも以前には難しくてなかなか時間がかかったり、答えがわからないこともあったのに。


1月の子規の俳句

2024-01-10 12:38:24 | 本と雑誌
年が変わってさっそく1月の子規の俳句である。

   元日やしろがねの餅こがねの蜜柑    子規

   New Year's Day
           silvery rice cakes
           golden tangerines        Shiki 1897

愛媛では昔から蜜柑が栽培されていたのだろうか。これは瀬戸内海地方の冬でも比較的温暖な気候に大いに依存していることだろう。

最近ではかなり長くミカン類の収穫額が日本一を誇っていたが、ここ数年和歌山に抜かれたとか聞いている。これは数年前に起こった西日本豪雨の災害によって、ミカンの産地である宇和島の一部と西予市が大きな災害を被害を受けてなかなかその復旧が進まないからでもある。

斜面のミカン畑は一度崩れるとその復旧は簡単ではないからである。

空が晴れていれば放射冷却で寒い

2024-01-09 11:59:55 | 物理学
昨日に比べて今日は空が晴れている。その分だけ朝は寒かったらしい。昨日は朝ガススートブにスイッチを入れたとき8度であったが、今日は7度であったとか。1度だけ寒かったわけだ。

高校受験の勉強を中学校でしていたときに補修授業で理科の先生から熱の伝導の3つのしかたとかいうのを教わった。(1)伝導 (2)対流 (3)放射である。

物と物とか接触しているときに温度が高い方から低い方に熱が伝わっていく。これが伝導という方法での熱の伝わり方である。

風呂の水が温まるときなどには対流という方法で熱が伝わっていく。これは地球の空気が温まるときにもこの対流が使われるであろう。

もっとも地球の空気が温まるにはまず太陽からの赤外線の放射が地球の表面を温め、それが放射で地球の周りの空気を温めるということもあろうか。それだけではなく、空気の対流による熱の伝導もあるだろう。


2024年の始動

2024-01-08 13:42:03 | 本と雑誌
今日、1月8日から今年2024年を始動する。今日は成人の日で祝日だが、私は定年後は基本的には日曜日しか休まないことにしているので、今日が2024年の始動はじめである。

いまある方と折衝をしていて、この方と仕事ができたらいいなと考えている。多分最終的には引き受けてくれるのではないかと楽観的ではあるのだが。

話は別だが、四元数関係の『四元数の発見』にはまだ載っていないエッセイ15編を数日前にプリントアウトした。なかなかこれらを通して読むという作業はしてこなかった。この正月明けからこの作業をしてみたいと思っている。

それと昨日古本店である、近くのBook Offで購入した線形代数の本のベクトル空間の章を読み始めた。これが定価220円で売られているのを他の本と共に購入した。

実は,ここに以前に山本義隆『熱学思想の史的展開』のちくま学芸文庫版を見掛けたので、これが今もあれば、購入したいと思って出かけたのである。これはさすがに残っていなかった。ちなみにこの本の現代数学社版はもっているのだが、山本さんは同書がちくま学芸文庫に収められる機会に増補改訂されたとか聞いているからである。

山本さんとはもう50年近く会っていないので、彼は私のことをもう忘れたかもしれない。何かの本の後書きで彼が病気をしたとか書かれていた。その後、『小数と対数の発見』(日本評論社)を書いたとかあった。いや、この本のあとがきにそう書いてあったのかもしれない。





昨日は文書の印刷をたくさんした

2024-01-06 10:06:30 | 本と雑誌
昨日は文書の印刷をたくさんした。ところが、マウスの調子がわるくなり、これが使用がほとんど不可能になり、とても苦労した。

そのプリントが終わって、マウスのところの移動する速さを変えたりしたら、元にもどった。

これらの文章は私の先生にあたるSさんに送るためであった。正月早々いやはや私も忙しいことである。

つい先日まで孫が松山に始めてきていたので、この子が車の事故に巻き込まれないかと気が気でなく妻と私が二人で付き添っていたからである。その嵐が去ったら、自分の用がすぐにあったという訳である。

文書の印刷はいうまでもなく、四元数関係の私の書いたエッセイである。数えてみたら、15通もあった。それに手紙を5枚も書いた。


航空機の事故

2024-01-05 22:34:23 | 科学・技術
羽田空港で海上保安庁の航空機とJALのジェット機が滑走路上で衝突して大事故が起こった。

GPTAIが進んできたとかいうのに、いまなお滑走路上で二機の航空機が衝突するなんてこういうことに対して、なぜいままで真剣に取り組んでこなかったのか。

人間はミスをするものだ。だから、人間のミスをもっと機械的に排除する方法を考えることをどうしてしていないのか。

よくわからないのは2機以上が同じ滑走路上にいないような手法を開発すべきではないかと思う。人間はミスをするものだから。

朝日新聞の社説でもそういう方向に研究を進めるべきだという風なことが書いてあったが、もっと強く主張すべきであろうと感じた。

着陸しようとしている航空機があるときには間違って待機中の飛行機が滑走路には入ることができないような機械的な装置または仕組みを考案するべきでしょう。

かなり大きな航空機が衝突するまでどこにいるかわからないことが起こりうるとの前提に立てば、人間の知恵でその仕組みをどうしても考えられないとはとても思えないのである。もしそれができないというのなら、人間などはそんなに偉そうにするべきではない。

ようやく孫が東京に帰った

2024-01-05 22:25:54 | 数学
ようやく孫が東京に帰ったなどと書くとさぞ迷惑したのだろうと思われるだろうが、私たちは久しぶりに楽しかったことでもあった。

ただ、活発な子なので、いつどこで車にはねられるかもしれないということでかなり緊張を強いられた1週間ほどであった。

その合間に昔の先生に電話してちょっとやっかいな頼みごとをしてしまった。その願いを聞いてもらえるかどうかはまだわからないが、たぶん聞いてもらえるだろうと楽観視している。

話のトピックを数学の分野に入れたが、ここだけでは数学とは関係がありそうにないだろう。それはいつかはわかるのだろうが、後日の楽しみとしよう。

新年おめでとうございます

2024-01-01 11:20:26 | 本と雑誌
12月28日からは孫がはじめて松山にやってきてその対応で忙しくしていてブログを書くことが全くできなかった。

いま、そばで孫がネットテレビを見ているので、なんとかこの年初のブログを書いている。

年賀状をもらうことができたが、新しい方からということはなく、いつもの方々からであった。その中にはスペイン領のテネリフェ諸島に昨年出かけた人もあった。もっともその年賀状の写真からはどこに出かけたのか私には読み取れず目のいい妻に見てもらった。

もちろん写真にテネリフェと書いてあったらしい。字が写真の地の部分と重なって私には読み取れなかったのである。名前は私も知っているところである。

なぜその名を知っているかといえば、定かではないのだが、NHKのフランス語かドイツ語のテレビ講座かラジオ講座でそこに休暇で行く人がいるいうことを知っていたからであろうか。

この年賀状をくれたK君は私の研究室の出身である。神戸のある企業に勤めている。毎年どこかに出かけては行ったところで取った夫婦の写真を送ってくれる。