物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

超幾何関数

2024-07-18 11:17:27 | 数学
超幾何関数について書いた以前のエッセイを修正しようとしている。もっとも昔は級数の収束性など気にしたことがなかったのに、さすがこの年になると、このことが気になり始めた。

少なくともどういう条件なら、級数が収束するのかその条件を付け加えておきたい。もっとも最近大きな数学公式集が出ているのだが、それにははっきりとは記載されていないようだった。これは読者の私の読み方がわるいのかもわからないが。

ということで「貧乏暇なし」である。もっとも関心事があることは楽しいので、人生には暇などない。

妻などは知人に「私がまだ20年くらいは仕事があると言っている」と言っておいたと私に報告してくれた。もっともアカラサマニ、こんなことをいったことはないだのが、私の仕事のたくさんあることをさすがに妻は理解してくれている。



続・指数関数の底

2024-07-17 09:32:17 | 数学
指数関数の底の導入のしかたであるが、一つは(1+1/n)^{n}のnが無限に大きいときの極限としてである。これは連続複利法として知られている。

または一般の指数関数を仮定して、その1回微分が元の関数と同じになるという条件から自然対数の底eを定義するという考えである。

あるいは、1/xという双曲線のx=1からx=aまでのx軸とこの双曲線1/xとx=1とx=a (a>0)に挟まれた面積が1となるように定義される。

本末転倒かもしれないが、e=1+1/1!+1/2!+1/3!+1/4!+・・・からも定義される。このときには暗にe^{x}=1+x/1!+x^{2}/2!+x^{3}/3!+x^{4}/4!+・・・を仮定しているようにも思われるが、果たしてそうなのか。

余談だが、(1+1/n)^{n}でnを大きくとってもなかなか本来のeの値の値に収束しないが、e=1+1/1!+1/2!+1/3!+1/4!+・・・を使って計算するとその収束速度は格段に早い。eの近似値は語呂で「フナ一杯、二杯、一杯、二杯、すごくお(い)しい」と覚えたらといいという。e=2.718281828459045・・・である。

指数関数の底

2024-07-16 11:59:23 | 数学
本当は指数関数の話かどうか分からないのだが、いちおう指数関数とタイトルをつけた。

要するに自然対数の底(てい)eを底とする指数関数と、その底eのことである。「数学・物理通信」に投稿された論文でそのことを知った。ネピアの対数だが、彼の考えた底が自然対数の底eの逆数を底とする対数だった。

その論文のその箇所が理解できなくて補足のエッセイを書いたのだが、まだしっくりとは来ない。それでその後自然対数の底eの導入についてまた調べた。実は以前にもそれについて数回エッセイを書いたことがある。

そのノートを昨夜読んでそれらをまとめてみたいと思うようになった。どうやったら、いちばん自然にというか、合理的にその底を導入できるか。

まだ一行も文章は書いていないが、かなり頭の中では構想ができてきた。これは朝方のうつらうつらの段階で考えるともなく考えていたことである。





『線形空間論入門』

2024-07-15 09:08:45 | 数学
梶原健『線形空間論入門』(日本評論社)をE大学の付属図書館から借り出してきて読んでいる。

とはいってももし私に読めるような内容であれば、書店で購入したいと考えているのだが、これはいまは品切れらしい。

第3章を読んでいるのだが、かなり読めるらしいことはわかったが、ところどころ頭をひねるところもある。だが、アマゾンコムの書評でも好評だっただけのことはある。

1冊の数学書を読むことは私の飽きっぽさからいって難しいので100ページ前後を目指している。まだ30ページとちょっとのところを読んでいる。

前にも書いたが、私は大学で線形代数を学ばなかった世代に属する。もう半世紀以上も大学で線形代数は教えて来られているのだが。

le 14 juillet

2024-07-14 23:18:11 | 本と雑誌
今日はle 14 juillet, (日本語のカタカナで拙く発音をつけるとル・カトルツ・ジュイエ)であることを忘れていた。

言うまでもなくフランスの革命記念日である。パリのシャンゼリゼにはフランス陸軍のパレードがあるのだろうか。

大統領もそのパレードには参加すると聞いたかもしれない。「シャンゼリゼ―には望むものは何でもある」(il y a tout ce que vous voulait aux Champs-Elysees) とかシャンソンにあるが、そんなふうには思えなかった。

シャンゼリゼからちょっと横に入ったレストランでは英語で注文を聞くウエイターが来たが、こちらがカタコトでもフランス語を話すと知って早々に退散した。もっともこのレストランで「お勘定を」というフランス語をはじめて覚えた。

どうやってだったかは覚えていないが、パリ案内の日本語のガイド書に出ていたのではないかと思う。l'addition, s'il vous plait !と言えばいいのだった。 

もちろん、s'il vous plait !は知っていたが、勘定書きは知らなかった。ちょっと直訳すれば、「たし算を、どうぞ!」ということになる。これもカタカナで発音を書いておくとラディション・シルヴプレェとなる。

ドイツ語だったらツアレン・ビッテというところだろう。Zahlen, bitteだが。
die Rechnung, bitteとも言っただろうか。 


今日でただ塾はお休み

2024-07-13 20:53:27 | 数学
今日の午後ただ塾の数学の先生を務めてきた。生徒さんによると来週からは夏休みに入るという。8月はともかくとして7月中は塾が続くと思っていたので、ちょっと拍子抜けした。

また9月に再開されるまでしばしのお休みである。今日は演算形式の多項式の除法の話をして、それ以外に未定係数法の話を付け加えておいた。

また多項式の除法であまりを元の多項式から引くと割り切れて因数分解できることも付け加えておいた。

数学嫌いの生徒さんである。どうやって関心を持たせるかに苦労しているが、なかなか関心を持ってくれるには程遠い。

だが、それには負けておられない。

話がこの生徒さんにとって程度が高すぎることはわかっているのだが、なかなか話を聞いてもらえるところまで行かないので、いかに工夫するかである。

ちなみに、ただ塾の数学の先生はもちろんボランティアである。

Aufwandとannaehern

2024-07-12 12:23:01 | 外国語
Aufwandとannaehernは最近になって覚えたドイツ語である。

annaehernは覚えやすい。というのはnahe近いという形容詞がある。

  Gibt es hier in der Naehe einen Supermarkt ?

というと「この近くにスーパーマーケットがありますか」という意味である。この中にはNaeheという名詞が入っている。これは近所とでも訳せるだろう。

そうするとannaehernは近づくという意味は理解しやすいし、覚えやすい。

ところがAufwandがなかなか覚えれらない。何回か辞書を引いてその日本語の意味を確認するのだが、覚えられないのだ。

die Wandといえば、ドイツ語の初心者でも壁を思い出すが、これからなかなかAufwandに結びつかないのである。

Aufwandとは「労力や資金とかをある目的のために使うこと」を意味するらしい。これは独独辞典で最近知ったことだが。



続・二項定理

2024-07-11 16:42:43 | 数学
一つ目の「二項定理」の修正を先ほど終わった。予想に反して意外と時間がかかった。

例によって記号についての補足をかなり書いた。もっとも山本幸一『順列・組合せと確率』(岩波書店)の二項係数に関係したものからかなり書き写した。

もちろん、そのままの書き写しではなく、私なりの修正を加えたものであるが。

この本はシリーズで買って持ってはいたが、あまり参照することはなかったが役立った。

妻はなんでも本を買うとか言って文句をいうが、やはり手元にあるとすぐに参照できるという利点がある。

今回に手元においた本はこの本と『組合せ数学入門』I (共立出版)であったが、後者は今回はまだ役立つことにはなっていない。もっとも以前になにかで役立ったと思う。



武藤徹先生

2024-07-11 11:29:52 | 数学
武藤徹先生が7日に逝去されたという知らせをいま先ほどもらった。

このブログにも書かせてもらったことのある朝日新聞の近藤康太郎記者からである。この近藤さんはいま朝日新聞でときどき「アロハで農業をした」「アロハで猟師をした」とかの連載記事を書かれている方である。

朝日新聞の編集委員を務められてもいるが、まだ面識はないものの武藤徹先生とのつながりで知り合った方である。武藤先生への手紙を許可を得て「数学・物理通信」に転載させてもらったことがある。

武藤先生とは一度しかお目にかかったことがないが、きわめて熱心な数学の先生である。有名な数学者・矢野健太郎先生のお弟子さんの一人である。

いま彼の中学数学のテクストを調べたら、1925年の生まれとあったから、99歳の大往生である。ご冥福をお祈りする。

二項定理

2024-07-10 10:51:42 | 数学
先日、中学・高校数学の数学エッセイの数が49だったかあると書いたが、二項定理について書いたエッセイが他に2つあることに気がついた。

それとこれは数学エッセイとしてはいいが、もしか自分の本にでも掲載したら著作権の侵害で訴えられる恐れのある、結構長い文書がある。

これは昔、高校2年生のときの数学のテクスト「解析II」の「順列、組合わせ、二項定理」に関係した章を私なりにアレンジした文書である。これはそういう恐れのあるものだから、論外としている。

それはともかくとして、二つの二項定理のエッセイを改稿しておきたいと考えて修正をはじめた。ところが記号を変更したくなった。昔、組合わせの記号として使っていた_{n}C_{m}を変えることだ。

それを昨夜始めたのだが、式の表現が変わってくるので一行の式の長さが変わってくる。それで少しこの修正が出来上がるのに時間がかかりそうだ。

それも修正したいエッセイは2つもある。しかし、いずれもそれほど長いエッセイでないのが救いだ。


ベクトル空間の数学

2024-07-09 13:47:18 | 数学
ベクトル空間の数学と書いたが、公理論的なベクトル空間にかかわる数学というつもりである。

これがもうひとつわかっていない。というかポントリャーギンの書いたベクトル空間の説明がもう一つわからないということである。

一つは小著『四元数の発見』の第六章の説明がもうひとつすっきりしないということでこの章を書きなおした新しい原稿を数か月前に「数学・物理通信」に投稿した。

第六章の説明のつながりのわるさを少しは改善したのだが、ベクトル空間に関する私のわからなさを全部解消したわけではない。

そういうことでE大学の付属図書館に出かけて梶原健さんの線形代数の本を2冊借りて来た。これで私のモヤモヤが解消するとは考えていないが、藁にも縋る思いである。

四元数に関してはフルビッツの論文の内容を理解したいと考えている。これは私の理解を越えているのであろうか。太田浩一さんの本の中にこのことに関した記述を見つけてはいるのだが、まだ詳しくは読んでいない。



書いてきた数学エッセイの数2

2024-07-08 17:54:15 | 数学
私の書いてきた数学エッセイの数の大雑把な全貌がわかってきた。

これは一部を本として出版した四元数とか、これはそんな本にはまったくなってはいないが、ベクトル代数、ベクトル解析に関係したものたちを全部除いたそれ以外のエッセイのおよその数である。

小学算数の関係はあまり多くなく、まったく関係がないエッセイを含めてだが、14編およそ56ページである。

つぎに中学・高校数学の関係だが、49編で272ページである。

最後に大学程度の数学に関係したエッセイが、シリーズで書いたものも含めて49編で総ページ数をあたってみたら、およそ355ページとなった。

私の判断では大学程度の数学の話は私には興味があるが、一般にはおもしろくはないだろう。

それでも、以下には大学程度の数学の分野のいくつかの掲載したシリーズ名を書いておこう。カッコ内の数はその編数である。

1.微分をして積分を求める (3)
2.n次元の球の体積 (4)
3.自然数のべき乗の級数 (4)
4.Cauchy-Lagrangeの恒等式の再論(5)
5.平方根の近似値 (3)
6.ラプラス演算子の極座標表示 (2)
7.直交座標系から極座標系へ(2)

等である。

6.7は3次元のラプラス演算子の極座標への直交座標系からの変換に関係している。量子力学を学んで直交座標系から極座標系への変換をやってみたくなり、1週間ほど学校から帰ったらそれに取り組んでみたが、大学3年生の時には成功しなかったといういわくつきの計算もその後文献を見て行ったことがある。

この計算は『数学散歩』や『物理数学散歩』にも所収されたが、その計算をもっと省力化したような計算も「数学・物理通信」で発表している。

もちろん、ラプラス演算子の極座標表示は、円柱座標を経由して極座標への変換できることは、どの物理数学のテクストにも書いてあり、これを行うことは大学3年のときにでもできたが。




ビヴァリヒルズに住む夢

2024-07-08 13:56:15 | 本と雑誌
ビヴァリヒルズに住む夢を持った親しい友人がいた。もっとも金持ちの人が住むという町だから、長い間住むつもりはなかったらしい。

定年退職後の3か月でもいいからビヴァリヒルズに住むつもりだと聞かされていた。それで君がそこにたとえ一時でも住むなら「ぜひそこを訪れるからね」とこのH君と約束していたのに彼は高専を退職後にまもなくして事故で亡くなってしまった。

もう何年になるのかも分からないくらい前である。ひょっとしたらまだ私は定年退職前だったかもしれない。

彼はUCLAに一年留学をした経験をもっていたから、ロサンジェルスは親しい町だった。かなり近しい親戚もカリフォルニアのその近くに住んでいるとか聞いたことがあった。

わたしなんかと比べれば頭のいい彼だったが、あまり頑張るほうではなかった。そういうのは彼の美学に反していたのかもしれない。うまく立ち回れば学位くらい簡単に取れるはずの男だったが、結局取らずじまいだった。

大学院の博士課程の5年間をほぼ一緒に過ごした。もっとも彼はK市に実家があり、そこから通っていた。もちろんH市に住んだこともあったが、私とは違ってずっと住んでいたことはなかった気がする。

学部の頃のことだが、試験の前に試験勉強をしても試験前日には私も彼も何もわからなくてもつぎの日に来たときには彼はほぼ理解しているのに私はまだまるっきりわからないということが何回もあった。

そういう頭の良さを彼は生かしきれなかった。私は頭が悪いなりに努力して博士課程を終えるときには3年で学位をもらって課程を修了した。もっとも頭のわるいやつがノロノロうろついているのを見かねた先生の一人であった、Yさんが面倒をみてくれたので大いに助かった。

それも博士課程2年の終わりころまで全く論文が書けなかった。もちろん共著の論文だが、フルペーパーと言われるレターでない論文を書いたのは、博士課程2年の終わりの正月すぎであり、その論文が雑誌に掲載されたのは博士課程3年目の5月ころだった。

そこまではH君と一緒に研究をしていたが、そこで1967年4月に二人が別れてそれぞれの個別の研究をすることになった。彼のもらった課題が私のもらった課題よりも難しかったことは事実である。

だが、頭のいい彼ならば難なくこなすことができたはずだ。kinematicsが私の与えられた課題に必要なものよりも難しかっただろうとは思うのだが。

だから、私には彼が結局のところ学位を取らないですますとはとても思えなかったのだが。人生とはままならぬものである。

couque d'asses

2024-07-07 20:50:30 | 本と雑誌
couque d'asses(クックダセー)というビスケットみたいなお菓子を食べた。どうもフランス語らしいので辞書をひいてみたりしたのだが、よくわからない。

そのうちに妻がスマホでこれについてインターネットで何か書いてあるサイトを見つけて読ませてくれた。

よくはわからないのだが、日本人女性でフランス人の男性と結婚している人が書いた文章らしかった。

日系の食料品店で件のcouque d'assesというお菓子を買ったのだが、昼食で帰宅した夫のエドがその名前を見て大いに笑ったとか。

assというフランス語は辞書を引いてもでて来ないが、英語ではロバとかお尻とかいう意味だと書いてあった。お尻というのはいくら何でもおかしいからロバだろうかというような判断がされたらしい。

古い仏和辞典にはcouqueは北フランスのお菓子だとあった。この日本人女性の書いたところではasseはイタリア語で板を意味するのだが、その複数はassiとなるとか。

なるほどビスケットは板状だからちょっと複数と単数の違いがあるがいいとしなくてはなるまい。

ちなみにcouque d'assesはフランス語風に発音するとクックダスとなってダッセーとはならない。



書いてきたエッセイの数

2024-07-06 10:32:34 | 本と雑誌
数学エッセイだが、中学・高校数学に話を限ると出版の可能性があるかもしれないとある方に言われて、自分が書いた数学エッセイと称するものを昨日プリントして見た。

よく数えてはないのだが、30は優に超えているので、40編くらいに近いのではなかろうか。もっとも大学程度のものは含めていない。

2005年3月に大学を定年退職する機会にそれまで書き溜めてきた数学エッセイ等をまとめて自費出版したのが、『数学散歩』(国土社)であったが、そこには38編の数学および物理の記事を再録した。

500部出版したが、200部くらいは知人とか友人にさし上げた。これはもう手元に自分用の数部が残っているだけである。2011年に『数学散歩』に収録したエッセイから物理数学に関係したモノだけを選んで、やはり500部印刷したが、これが全く売れない。

自宅の2階にまだ200部くらい残っている。物理の専攻の学生に売れるかと思ったのだが。もっとも定価が安いので、出版社があまり儲けにならないので熱心に売ってくれないことが大きいのではないかと思っているが、理由はわからない。

一時、古本として14,000円などという法外な値段がついたこともある本なのだが。最近も神田の自然科学専門の古書店、明倫館で『数学散歩』は6000円の値段で売られているのをインターネットで見たばかりである。

(2024.7.7付記)
きちんと数えて見たら、49編だった。ページ数は295ページである。

これにこの中に入れなかった小学校の算数についてのエッセイとか大学程度のものを入れると、さていくらくらいの数のエッセイを書いて来たのだろうか。気になるところである。