現在は政治的影響力を持たない武村さんですが、小沢一郎さんについて「少し枯れて隠居さんのような心境になればいい」と期待しました。新生党副党首として細川内閣を支えた渡部恒三・民主党最高顧問も「私とともに黒衣に徹するべきだ」と小沢さんを諫めました。
小沢一郎さんは細川・羽田内閣の崩壊(1994年)のきっかけを作ったあげくに、その3年後には新進党を自ら解党する歴史的大暴挙に出て、日本の政権交代を遅らせ、経済・社会の停滞を招いた、いわば“A級戦犯”です。
悪の代行、小沢一郎さん。
その証拠に、小沢一郎さんを1990年代前半から15年以上一貫して支持している人はほとんどいません。側近議員も藤井裕久さんただ一人で、みんな小沢さんのもとを去るか、次々に落選しました。
先日、官報を読んでいたら、新進党の初代総務委員長だった元側近が、国政復帰をかけているのでしょうが、国民新党の比例支部を作って、支部長に就任していました。もと側近の二階さんは今は自民党派閥領袖ですし、小沢さんの中学校の同級生として権勢をふるった議員は落選し、首長に返り咲いて二階派の顧問になっています。
ではなぜ小沢さんに熱狂的な支持者がいて、小沢グループである一新会倶楽部に若者が馳せ参じるかというと、
歴史を知らない(忘れる)人が多いからです。
実際の所、一新会の前議員は、「そのうちまたプッツンするんじゃないか」「そんな細かいこと、あの人が気付くわけないでしょう」といった小沢さんの悪口を平然と言っており、小沢信者など皆無です。つまり、自分が選挙で勝つために、小沢さんを利用しているだけで、小沢さんの政策に惚れ込んで一新会に入会している前議員はただの一人もいません。
小沢一郎さんは竹下登さんと義兄弟の関係にありますが、その竹下さんは自民党を「歌手1年、総理2年の使い捨て」と表現しました。この言葉を借りれば、小沢一新会は「歌手1年、参議院2年の使い捨て」。
小沢さんのことを書くと、2ちゃんねるで攻撃されます。私はリアルタイム解析や未来検索ブラジルなどで、悪口を把握しています。ある特徴に気付きました。いわゆる“小沢信者”は「今は小沢さんを頼るしかない」という依存体質の人が多いようです。精神的に自立できない、あるいは経済的、家庭的、地域的な理由も含めて、自立できない人が多い。もちろんその人たちも含めて社会です。小沢さんの力は必要です。それと私が「小沢さんを嫌い」だと2ちゃんねるで書かれることがありますが、政治ですから好きとか嫌いとかそういう次元の話ではありません。
ただ、1998年4月、の第2次民主党結党大会を取材した際に、来賓の渡部恒三・衆院副議長の声を時々思い出します。恒三さんは副議長就任のため新進党会派を離脱していましたが、小沢さんに解党されてしまったので、当時は“宿無し”でした。退任後に民主党に入党しました。その恒三さんが、会場中の厳しい視線に耐えながら(気付かずに?)、来賓席に座っていた、ミニ政党「自由党」党首の小沢一郎さんに対して前年の山一・拓銀ショックなど自民党の経済失政を挙げながら、「もしも新進党が残っていたら」「そこに小沢君がいますが」「もしも新進党が残っていたら」と繰り返しながら、政権交代の可能性を逃したことを面前で糾弾した声が今でもたびたび思い出されます。
小沢一郎さんを豪腕だと思っている人がいますが、昨年大晦日から報道が始まった西松事件で、「必要なら返金する」と言いながら何もせずに3月3日になって秘書が逮捕されました。危機管理能力がない証拠です。「自分は最後で良い」と言って、岩手4区の公認を遅らせたのは評価に値する戦術ですが、代表辞任表明後も自分を公認せずに執行部を明け渡したのは、私には実に甘い男だとしか思えません。つまりこの人は危機管理能力がないというより、「危機管理」という言葉を知らないんだと思います。一国のリーダーはまったく任せられないし、仮に民主党代表が官邸に常駐する状況になり、この人を幹事長として党本部のトップに置くのは危機管理の観点から私は絶対に反対です。
さらに付け加えると、小沢事務所が取り仕切っているとされる民主党陣営が、公示前ポスターを3枚つなげて張っているのを発見しました。公選法では2枚までですから、ちゃんとやってください。このように小沢事務所というのは、入ってもすぐに辞めてしまいますから、選挙は下手です。
民主党は寄り合い所帯です。それは日本社会と同じです。
ですから、一新会倶楽部の連中にも頑張ってもらわなければ、政権交代はなし遂げられません。
与党になったからと言って、政治献金が急に増えるわけではありませんから、借金返済には時間がかかります。小選挙区で自分の名前で勝ち上がることが、政治家としての自立です。政権交代のその先に、一人一人の“小沢卒業”が必要です。