岡田克也さんが、69歳のお誕生日を迎えました。おめでとうございます。ご両親もいまだ健在です。
今週日曜日の参院選では福井で山崎正昭元議長が80歳で当選。安倍晋三さんはその父と同じく67歳で他界しましました。
立憲民主党の泉健太代表は47歳。岡田克也常任顧問は昨年11月以降SNSで「泉」の固有名詞に触れない不気味な静けさを保っていますが、実際には、常任顧問として、菅直人最高顧問とふたりでにらみを利かせています。
[写真]月に2、3回開かれる、立憲民主党常任幹事会でにらみをきかせる、岡田克也常任顧問、衆議院第二議員会館の地下にある「立憲民主党会議室」で、2022年6月7日、宮崎信行撮影。
また、選対本部長代行として、「神奈川で奇跡が起こる」と応援演説し、その候補者は当選しました。
[写真]「神奈川で奇跡が起こる」と演説した岡田克也選対本部長代行、2022年7月2日、神奈川県内の東海道在来線の「戸塚」駅前で、宮崎信行撮影。
聴衆は、地方議員さんを入れても50名足らずでしたが、朝日新聞、共同通信の記者も現地で発言をチェック。それを意識してか「選挙後に大きな塊をつくる」と語り、立憲民主党と国民民主党の合併を図りたい考えを示しました。略称「民主党」にこだわっているのは岡田さんのようです。
ところで、2010年に幹事長に就任してからの12年間の反動からか、その候補者を「社会人としてしっかりした実績がある人」と強調。東大法学部の後輩だということもあったのでしょうが、あまり元気な人はうんざりだというところでしょう。
6年前の今ごろは、「まずは3分の2をとらせないこと」の目標について記者から問われ「3人区の北海道で徳永エリさんと鉢呂吉雄さんの民進党公認2名が当選した」と田中角栄さん・渡辺美智雄さんばりの訳の分からない数学を披露したうえで、東京都知事候補を血眼になって発掘。経産省の官僚の後輩の古賀茂明さんにホテルに来てもらった際には、天気の話をして「いや、天気の話でなく都知事選の話でしょ」と切り返されたうえで断られました。鳥越俊太郎さん擁立後は、枝野幸男幹事長が宇都宮健児さんに降りてもらうよう圧力をかけ野党一本化を実現しましたが、トリプルスコア(イメージ含む)で敗北。岡田代表・枝野幹事長から、蓮舫代表・野田佳彦幹事長の「花斉会コンビ」にかわってしまいました。が、翌年の都議選直後の突然の「希望の党」騒ぎで、逆に、「枝野幸男代表・岡田克也代表」の体制が期せずして復活し、おととしまで続きました。およそ1年間、枝野代表・福山哲郎幹事長からあまり相談されず不満を持っていましたが、きょねん秋に枝野さんが退いた後は、固有名詞に触れないながらも、22歳若い泉健太代表を持ち上げているようです。小沢一郎さんとのわだかまりは全く解けていません。
私はさる2022年5月21日、生まれて初めて、三重3区にある岡田克也事務所にうかがいました。これに先立つ、三重・津市で開かれた会合では、私は出張先で鞄を軽くしたのになぜかICレコーダーを3個も持ってきてしまったので、とりあえず鞄の機材を机に出しました。また記者席がないため、動画撮影用に最前列に座りました。そうしたら岡田さんが上機嫌で前列の人にあいさつしながら、「何、最前列に座って、そんなに並べちゃって。きょうは何もないよ」と小川淳也政調会長と前原誠司国民民主党選対委員長の話に記事になるようなことはでないと牽制。保守政治家というのは、右でもない、左でもない、連続して当選している政治家だということを学びました。
党代表当時は、網膜剥離手術のため目を傷めており「暴言王トランプ大統領誕生で米国大混乱」「英国のEU離脱で世界経済大混乱」と岡田さんらしくない世界情勢を提示しましたが、目も完全に治ったため、正しい世界情勢の羅針盤を林芳正大臣に提示し続けています。林大臣は岡田委員には自分ひとりで答弁するよう心がけています。
おととし秋の新・立憲設立でから1年ほどは、私は衆議院外務委員会室には入れませんので、岡田さんの写真も無かったのですが、きょねん秋から常任顧問としてにらみをきかせるようになってからは、また写真も増えてきた印象です。
1歳年下の安倍さんはこの世を去りましたが、山崎元参議院議長より11歳も若い。「神奈川の奇跡」発言がどこまで確証があったのかは分かりませんが、22歳年下の泉代表を持ち上げることが、未来につながりそうです。
以上です。
今週日曜日の参院選では福井で山崎正昭元議長が80歳で当選。安倍晋三さんはその父と同じく67歳で他界しましました。
立憲民主党の泉健太代表は47歳。岡田克也常任顧問は昨年11月以降SNSで「泉」の固有名詞に触れない不気味な静けさを保っていますが、実際には、常任顧問として、菅直人最高顧問とふたりでにらみを利かせています。
[写真]月に2、3回開かれる、立憲民主党常任幹事会でにらみをきかせる、岡田克也常任顧問、衆議院第二議員会館の地下にある「立憲民主党会議室」で、2022年6月7日、宮崎信行撮影。
また、選対本部長代行として、「神奈川で奇跡が起こる」と応援演説し、その候補者は当選しました。
[写真]「神奈川で奇跡が起こる」と演説した岡田克也選対本部長代行、2022年7月2日、神奈川県内の東海道在来線の「戸塚」駅前で、宮崎信行撮影。
聴衆は、地方議員さんを入れても50名足らずでしたが、朝日新聞、共同通信の記者も現地で発言をチェック。それを意識してか「選挙後に大きな塊をつくる」と語り、立憲民主党と国民民主党の合併を図りたい考えを示しました。略称「民主党」にこだわっているのは岡田さんのようです。
ところで、2010年に幹事長に就任してからの12年間の反動からか、その候補者を「社会人としてしっかりした実績がある人」と強調。東大法学部の後輩だということもあったのでしょうが、あまり元気な人はうんざりだというところでしょう。
6年前の今ごろは、「まずは3分の2をとらせないこと」の目標について記者から問われ「3人区の北海道で徳永エリさんと鉢呂吉雄さんの民進党公認2名が当選した」と田中角栄さん・渡辺美智雄さんばりの訳の分からない数学を披露したうえで、東京都知事候補を血眼になって発掘。経産省の官僚の後輩の古賀茂明さんにホテルに来てもらった際には、天気の話をして「いや、天気の話でなく都知事選の話でしょ」と切り返されたうえで断られました。鳥越俊太郎さん擁立後は、枝野幸男幹事長が宇都宮健児さんに降りてもらうよう圧力をかけ野党一本化を実現しましたが、トリプルスコア(イメージ含む)で敗北。岡田代表・枝野幹事長から、蓮舫代表・野田佳彦幹事長の「花斉会コンビ」にかわってしまいました。が、翌年の都議選直後の突然の「希望の党」騒ぎで、逆に、「枝野幸男代表・岡田克也代表」の体制が期せずして復活し、おととしまで続きました。およそ1年間、枝野代表・福山哲郎幹事長からあまり相談されず不満を持っていましたが、きょねん秋に枝野さんが退いた後は、固有名詞に触れないながらも、22歳若い泉健太代表を持ち上げているようです。小沢一郎さんとのわだかまりは全く解けていません。
私はさる2022年5月21日、生まれて初めて、三重3区にある岡田克也事務所にうかがいました。これに先立つ、三重・津市で開かれた会合では、私は出張先で鞄を軽くしたのになぜかICレコーダーを3個も持ってきてしまったので、とりあえず鞄の機材を机に出しました。また記者席がないため、動画撮影用に最前列に座りました。そうしたら岡田さんが上機嫌で前列の人にあいさつしながら、「何、最前列に座って、そんなに並べちゃって。きょうは何もないよ」と小川淳也政調会長と前原誠司国民民主党選対委員長の話に記事になるようなことはでないと牽制。保守政治家というのは、右でもない、左でもない、連続して当選している政治家だということを学びました。
党代表当時は、網膜剥離手術のため目を傷めており「暴言王トランプ大統領誕生で米国大混乱」「英国のEU離脱で世界経済大混乱」と岡田さんらしくない世界情勢を提示しましたが、目も完全に治ったため、正しい世界情勢の羅針盤を林芳正大臣に提示し続けています。林大臣は岡田委員には自分ひとりで答弁するよう心がけています。
おととし秋の新・立憲設立でから1年ほどは、私は衆議院外務委員会室には入れませんので、岡田さんの写真も無かったのですが、きょねん秋から常任顧問としてにらみをきかせるようになってからは、また写真も増えてきた印象です。
1歳年下の安倍さんはこの世を去りましたが、山崎元参議院議長より11歳も若い。「神奈川の奇跡」発言がどこまで確証があったのかは分かりませんが、22歳年下の泉代表を持ち上げることが、未来につながりそうです。
以上です。
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