[写真]三重3区の三重郡(川越町)を訪れた筆者。
前衆議院議員の自民党・三重3区、石原正敬さんは「内閣総理大臣が年頭参拝をして、雨が降ったのは、39年ぶりとのこと。 旧知の新聞記者さんに教えてもらった。」と、受け取り方によっては意味深な発信をきょう「X」(旧・ツイッター)でしました。石原さんは現職時代の昨夏、岸田文雄首相(当時)の派閥に属しながらも、決選投票で岸田さんが指示した石破茂さんか、はたまた、高市早苗候補かについて明かしていませんでした。
その後の、第50回衆院選では、維新の新人の初チャレンジを受けた岡田克也さんが、前回よりも得票数・率を減らしながらも、石原さんはそれ以上にダメージを受けて、落選。東海ブロックで惜敗率最下位となりました。伊勢湾台風以降、三重・愛知県では若い首長が多い傾向がありますが、石原さんもかつて最年少の町長、三重郡菰野町長でした。ところが、菰野町の最大の大地主は岡田さんのお母さんの実家(高田家)で、しかも岡田家の「岡田文化財団」も菰野町にあり、岡田さんはイオン創業者の一人、小嶋千鶴子さん(旧姓・岡田)さんから空き家を相続しました。
石原さんは、人口増の元気な自治体・菰野町で最も多い割合の得票をしていますが、岡田さんが父方・母方とも菰野町の有力者で頭を押さえつける構図となっており、今後も苦戦が予想されます。
三重3区をめぐっては、元財務副大臣だった平田さんがJC四日市の討論会で、岡田幹事長(当時)との論戦の後、終了を告げた司会者からマイクを奪い「みなさん、私の当選の可能性は万に一つもありません」と公示前に語ったり、北海道出身・北海道大学卒のゼネコン元社員の桜井さんが元職になってから「X」で「岡田代議士様、よろしくお願いします」と陳情をするなど、自民党支部長の奇行が目立っています。もちろん、すべての現職議員にとっては明日は我が身の行動といえるかもしれませんが。
以上です。
前衆議院議員の自民党・三重3区、石原正敬さんは「内閣総理大臣が年頭参拝をして、雨が降ったのは、39年ぶりとのこと。 旧知の新聞記者さんに教えてもらった。」と、受け取り方によっては意味深な発信をきょう「X」(旧・ツイッター)でしました。石原さんは現職時代の昨夏、岸田文雄首相(当時)の派閥に属しながらも、決選投票で岸田さんが指示した石破茂さんか、はたまた、高市早苗候補かについて明かしていませんでした。
その後の、第50回衆院選では、維新の新人の初チャレンジを受けた岡田克也さんが、前回よりも得票数・率を減らしながらも、石原さんはそれ以上にダメージを受けて、落選。東海ブロックで惜敗率最下位となりました。伊勢湾台風以降、三重・愛知県では若い首長が多い傾向がありますが、石原さんもかつて最年少の町長、三重郡菰野町長でした。ところが、菰野町の最大の大地主は岡田さんのお母さんの実家(高田家)で、しかも岡田家の「岡田文化財団」も菰野町にあり、岡田さんはイオン創業者の一人、小嶋千鶴子さん(旧姓・岡田)さんから空き家を相続しました。
石原さんは、人口増の元気な自治体・菰野町で最も多い割合の得票をしていますが、岡田さんが父方・母方とも菰野町の有力者で頭を押さえつける構図となっており、今後も苦戦が予想されます。
三重3区をめぐっては、元財務副大臣だった平田さんがJC四日市の討論会で、岡田幹事長(当時)との論戦の後、終了を告げた司会者からマイクを奪い「みなさん、私の当選の可能性は万に一つもありません」と公示前に語ったり、北海道出身・北海道大学卒のゼネコン元社員の桜井さんが元職になってから「X」で「岡田代議士様、よろしくお願いします」と陳情をするなど、自民党支部長の奇行が目立っています。もちろん、すべての現職議員にとっては明日は我が身の行動といえるかもしれませんが。
以上です。
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