※ 釧路から夕方帰ってきました。
釧路といえば、歌人「石川啄木」が若き日に一時期暮らした街として知られています。ウォーキングコース「湖と港の眺望コース」の前半は石川啄木の跡を辿るウォークでした。
健康くしろサポーターズクラブが作成した「湖と港の眺望コース」(コースマップはこちら⇒ 6km)は釧路の観光スポットフィシャーマンズワーフをスタート&ゴールとするコースでした。
※ コースのスタート&ゴールのフィッシャーマンズワーフの全景です。
コースはスタートして直ぐに、これも観光スポットの一つ「幣舞橋」を渡り南大通を米町方面に向かいます。
※ 幣舞橋は4つの彫刻が立っていることでも有名です。
橋を渡って少しコースを外れて、啄木が勤めていたという釧路新聞社跡に新聞社の建物を模して造った「港文館」に寄りました。
※ 旧釧路新聞社の社屋を模した「港文館」です。
港文館の横には啄木の立像と歌碑が立っていました。
啄木は記録によると釧路で暮らしたのはわずか76日間だったということですが、その間にかなりの歌を創ったようです。港文館横の歌碑には、
さいはての 駅に下り立ち 雪あかり
さびしき町に あゆみ入りにき
という歌が刻まれていました。
※ 啄木の彫像の横に歌碑が並べて立てられていました。
港文館にも立ち寄りましたが、啄木関連の展示が大多数を占めていて、面白いと思ったのは北海道歌留多の木札が並べられていて、啄木の創った歌が書かれていて「百人一首」ならぬ「一人百首」と命名されていたのが面白いと思いました。
続いて、マップにある「啄木下宿跡」というのを探したのですが、そのあたりを探しても見つかりませんでした。ところが近くのシーサイドホテルの横に小さな表示があり、そこに「啄木下宿跡」と記されていて、歌も一首刻まれていました。その歌は、
こぼりたる インクの罎(びん)を 火に翳(かざ)し
涙ながれぬ ともしびの下
※ すでに跡形もない「啄木下宿跡」でした。
南大通は大通とはいっても人通りはほとんどなく閑散とした街並みでした。
マップに出ていた「金比羅院」というちょっと寂れかけたような寺院をカメラに収め、米町公園に向かいました。
※ 残念ながらこの金比羅院についての説明は見つかりませんでした。
釧路港を見おろす位置に立つ「米町公園」には灯台を模した小さな建物と、俳人高浜虚子の句碑と石川啄木の歌碑が並ぶように立っていました。
※ 「米町公園」に立つ灯台を模した小さな建物です。
高浜虚子の句は、
灯台は 低く霧笛は 欹(そばだ)てり
とありました。
※ 高浜虚子の句碑ですが、その奥に釧路港が見えます。
一方、啄木の歌は釧路を詠んだ歌としては最も有名な、
しらじらと 氷かがやき 千鳥なく
釧路の海の 冬の月かな
という歌が刻まれていました。
※ 「しらじらと~」と続く有名な歌碑が立てられてありました。
啄木をめぐるウォークはまだまだ続きます。