田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「地域学」を考える

2009-12-17 19:15:35 | 札幌学 & ほっかいどう学
  最近私は「札幌学」なる講座を意識的に受講していますが、東北各地の「地域学」を創始した本家本元である赤坂憲雄氏の講演を聴くことができました。
 
 赤坂憲雄氏とは、現在東北芸術工科大学大学院長を務められていますが、と同時に民俗学者として有名な方です。特に「東北学」を提唱し、確立したことで、その後の国内の地域学ブームを引き起こす因を成したことで知られています。
        
 その赤坂氏を迎えた「『ほっかいどう学』実践講座 in 札幌」が12日(土)かでる2・7で開催され参加してきました。演題は「地域学、東北知の鉱脈を掘る」という高尚な題が付けられ、話の内容も私などが理解するには少々難解な内容であったように思います。
 氏はすでに一度本講座の講師を務められていたということから、地域学の概論的内容を省略したきらいがあり、私のように初めて聴く者にとってはさらに難解になってしまったところもあったようです。そうした中で、私なりに氏の言葉から学び得たことを記録しておくことにします。
        


 氏は人間の歴史の始まりは定住の地をもたず、離合集散を繰り返す「遊動」の歴史であったとします。それが約一万年前ころから人類は群れをつくって「定住」するようになった。定住によって、人々の文化を育む「里山」が生まれた。
 それが現代になって住んでいるところでの生業が成り立ちにくくなり、再び「遊動」の時代を迎えたようだと分析します。それは同時に「里山」の消滅をも意味してくることになる。
 里山が消滅する前に、そこでの人々の暮らしや文化を記録に留めること、それも「地域学」の一つである。(と赤坂氏は明言はしていませんが、私はそのように受け取りました)

 赤坂氏はその他にも民俗学者らしく、日本の歴史や現状、人々の暮らしの断片を切りとり、氏らしい見方・考え方を数々提示してくれました。赤坂氏の中ではもちろん全てが連環しているのだと思いますが、私には少々断片的すぎて、それらを結び付けることはできませんでした。
 その中で、中心が一つしかないような同心円的な地域学の形態・組織は消滅していくだろうと予言し、中心が二つも三つもあるような複雑な集合体の方が多様な形で発展していくと述べました。
 このことが何を指すのか、今の私には理解できないところですが忘れずに記憶しておきたい一言です。
        

 この機会に一般論的な地域学を調べてみました。すると、「自分の住む地域の歴史や文化、産業、自然などを見つめ直し、地域の魅力や可能性を発掘しようとするもの」とありました。
 私が学ぶ「札幌学」はまさにここでいうところの地域学に他なりません。

 赤坂氏が考える地域学は、民俗学的視点から、あるいは学術的視点から地域史、地域学を捉えたものであるように思います。
 私が学ぶ「札幌学」は民俗学的意味は薄いけれど、確かに地域学の一つと言えそうです。
そうした意味では「札幌学」は、赤坂氏が主張するように地域学には二つも三つも中心があってよいとするその具体の一つなのかなぁ、と考えたりしたのですが・・・。