凄い人生を歩む人もいたものです。アフリカ・タンザニアに移住して36年、現地でタンザニア人と結婚し子どもを設け、今タンザニアの緑化のために汗しているという椿延子さんという方のお話を聞いてきました。
少し時期を逸してしまった感はありますが、10日ほど前に海外へ雄飛した一人の女性の物語を聞きました。
椿延子さんとは、1946年蘭越町に生まれています。
帯広蓄大を卒業後、生活改良普及員を務めていましたが、タンザニアに海外青年協力隊員として2度にわたり計4年間赴任したことが縁で、本格的にタンザニアに移り住むことになりました。
タンザニアでは農業省の生活改良普及員、兼農業専門学校教師、兼兼業農家として働き、現地のンズルンゲ氏と結婚、一男一女を設けました。
現在は熊本県に本部があり、タンザニアの環境保全型農業の普及を目ざすNGOでNPO法人の「地球緑化の会」の現地世話人として活動を続けています。(履歴などかなり割愛している部分があります)
その椿さんの講演会が某日、教育文化会館であり参加してきました。
講演会は椿さん一人ではなく、「地球緑化の会」の事務局長、椿さんの主人のンズルンゲ氏、椿さんの息子のンダキ氏(日本名「大」だい)、そして椿さん本人というリレー講演のような形でした。
「地球緑化の会」の事務局長からは、会の理念やタンザニアにおける植林活動の様子が語られました。
椿さんの主人ンズルンゲ氏は早口のスワヒリ語でまくしたてられましたが、椿さんが通訳してくれました。氏は、タンザニアの森林はどんどん失われている現状にある。木材の輸出は禁じられているのだが守られていない。日本は木材輸入国だが、輸入を抑える努力をしてほしいと訴えました。
※ 講演をする椿さんの夫ンズルンゲ氏です。横に通訳
をする椿さんがいます。
椿さんの息子の大くんは、昨年春から津別町で酪農研修をしているそうです。たどたどしい日本語で懸命にお話ししてくれました。
彼は日本の農業に若い人が少ないことを指摘した。そしてそれは日本の機械化農法に原因があるのではないかと言及し、日本の農業は機械に振り回されて借金が貯まるために若い人が少ないのではないかと分析した。タンザニアでは規模は小さいが負債はないと強調しました。
※ 現在、津別町で酪農の研修をしている息子の大
大(ンダキ)さんです。
最後に登場した椿氏は、息子が日本の農業を自分と同じように見ていることに驚くとともに、成長した息子を「嬉しい」と語っていました。
椿氏は生まれ育った昔の蘭越での農業のような形態に還りたいと思っていたところ、それがタンザニアだったと語りました。
※ 淡々と、にこやかに語る椿さんの表情が印象的でした。
淡々と、気張らずに語る姿に、「もう自分のふる里はタンザニアなんだ」という思いがひしひしと伝わってきました。
63才になってなお郷愁を感ずるどころか、エネルギッシュに前進し続ける椿氏に同世代として尊崇の念を覚えたひとときでした。
少し時期を逸してしまった感はありますが、10日ほど前に海外へ雄飛した一人の女性の物語を聞きました。
椿延子さんとは、1946年蘭越町に生まれています。
帯広蓄大を卒業後、生活改良普及員を務めていましたが、タンザニアに海外青年協力隊員として2度にわたり計4年間赴任したことが縁で、本格的にタンザニアに移り住むことになりました。
タンザニアでは農業省の生活改良普及員、兼農業専門学校教師、兼兼業農家として働き、現地のンズルンゲ氏と結婚、一男一女を設けました。
現在は熊本県に本部があり、タンザニアの環境保全型農業の普及を目ざすNGOでNPO法人の「地球緑化の会」の現地世話人として活動を続けています。(履歴などかなり割愛している部分があります)
その椿さんの講演会が某日、教育文化会館であり参加してきました。
講演会は椿さん一人ではなく、「地球緑化の会」の事務局長、椿さんの主人のンズルンゲ氏、椿さんの息子のンダキ氏(日本名「大」だい)、そして椿さん本人というリレー講演のような形でした。
「地球緑化の会」の事務局長からは、会の理念やタンザニアにおける植林活動の様子が語られました。
椿さんの主人ンズルンゲ氏は早口のスワヒリ語でまくしたてられましたが、椿さんが通訳してくれました。氏は、タンザニアの森林はどんどん失われている現状にある。木材の輸出は禁じられているのだが守られていない。日本は木材輸入国だが、輸入を抑える努力をしてほしいと訴えました。
※ 講演をする椿さんの夫ンズルンゲ氏です。横に通訳
をする椿さんがいます。
椿さんの息子の大くんは、昨年春から津別町で酪農研修をしているそうです。たどたどしい日本語で懸命にお話ししてくれました。
彼は日本の農業に若い人が少ないことを指摘した。そしてそれは日本の機械化農法に原因があるのではないかと言及し、日本の農業は機械に振り回されて借金が貯まるために若い人が少ないのではないかと分析した。タンザニアでは規模は小さいが負債はないと強調しました。
※ 現在、津別町で酪農の研修をしている息子の大
大(ンダキ)さんです。
最後に登場した椿氏は、息子が日本の農業を自分と同じように見ていることに驚くとともに、成長した息子を「嬉しい」と語っていました。
椿氏は生まれ育った昔の蘭越での農業のような形態に還りたいと思っていたところ、それがタンザニアだったと語りました。
※ 淡々と、にこやかに語る椿さんの表情が印象的でした。
淡々と、気張らずに語る姿に、「もう自分のふる里はタンザニアなんだ」という思いがひしひしと伝わってきました。
63才になってなお郷愁を感ずるどころか、エネルギッシュに前進し続ける椿氏に同世代として尊崇の念を覚えたひとときでした。