※ 8月19日、私は根室のフットパスコース「厚床パス」を歩いていました。その際、ある農家の庭先で見た光景が私の目に焼き付いた。その光景の写真を掲載した8月22日付のブログで「あるショートストーリーを思い付きました」と記した。そのショートストリーをこのほどようやく完成させました。愚作をお読みいただければと思います。
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壮太は早朝の搾乳を終え、朝食を取った後に庭に出た。
近ごろ妻の早苗が家の中で煙草を吸うのを嫌がるようになった。言外に身体に悪いから煙草を止めてほしいという思いがあるようなのだが、壮太にとっては食事の後の一服はどうしても止められなかった。
8月に入って根室地方も晴天が続き、今朝も朝から気持ちの良い空が広がっている。
壮太は煙草に火を付け、美味そうに一服吸い空を見上げた。
そしてあることに思いを巡らせた。
壮太は40歳代後半を迎えていた。
この厚床に父の壮一が入植するときはまた生まれておらず、厚床へ来てから壮一の長男として生まれたのだ。
父の仕事を当然のように引き継ぎ、牧場の二代目としてなんとか経営を軌道に乗せることができたかなと思えたのは今から7~8年前だった。それまでは壮一も壮太も苦労の連続だった。
あれは今から15年くらい前だったろうか?
壮太の息子の宙(そら)が確かまだ入学前だったから5歳くらいのときだった。
当時、乳価が崩れ壮太の一家は食べるだけで精一杯だった。
宙には子どもらしいおもちゃの一つも与えられないほど苦しい生活だった。
それにもかかわらず宙は子牛たちと明るく戯れる毎日を送っていた。
そんな宙の様子を眺めながら、壮太はおもちゃの一つも買い与えられずいる宙を不憫に思って、庭の立ち木にロープをかけ、捨ててあった古タイヤを括り付け即製ブランコを作ってやった。
そのブランコはを壮太が思っていた以上に宙は喜び、毎日毎日飽きずにブランコに乗り続けた。
あれから15年…。
宙は逞しく成長し、今は帯広市近郊にある農業大学校で学んでいる。
来春には卒業の予定なのだが、「父の仕事を継いで牧場経営をやる」と農業大学校に進学したが、ここにきて彼が進路に悩んでいるという内容の手紙が壮太のもとに届いた。
大学校で学び、農業経営の厳しさを知りどうして良いのか迷っているという。
壮太は宙の悩みが良く分かった。自分の苦労を振り返ったときに「どうしても自分の後を継げ」とは強くは言えないのだ。
一方で、息子には自分の仕事を継いでほしいとの思いもあった。それは、壮太自身は自らが酪農家として生きてきたことに誇りを持っているからであった。
さらには、日本の食糧を支える農業こそがこれから到来が予想される食糧難の時代には重要視されてくるであろうとの思いもあったのだ。
しかし、壮太は結論は息子の宙に任せようと思っている。
壮太が父の仕事を継いだころは、子どもが親の仕事を継ぐのが当然という考えが主流だったが、今の世の中は自分の人生は自分自身で選択すべきだという考え方が主流になっているからだった。
もうすぐ農業大学校の夏休みが始まる。息子の宙も間もなく帰省するはずだ。
いったい彼はどんな答えをもって帰ってくるだろうか。
壮太は彼の答えを冷静に聴いてやるつもりだが、今は一抹の不安と微かな期待を抱く複雑な心境になっている。
ふーっ、と息をつきながら壮太はもう一服点けた。
壮太の頬を草原を渡る風が撫でていく…。
その風が少し強さを増したとき、木に括り付けていたタイヤのブランコが微かに揺れたような気がした…。
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壮太は早朝の搾乳を終え、朝食を取った後に庭に出た。
近ごろ妻の早苗が家の中で煙草を吸うのを嫌がるようになった。言外に身体に悪いから煙草を止めてほしいという思いがあるようなのだが、壮太にとっては食事の後の一服はどうしても止められなかった。
8月に入って根室地方も晴天が続き、今朝も朝から気持ちの良い空が広がっている。
壮太は煙草に火を付け、美味そうに一服吸い空を見上げた。
そしてあることに思いを巡らせた。
壮太は40歳代後半を迎えていた。
この厚床に父の壮一が入植するときはまた生まれておらず、厚床へ来てから壮一の長男として生まれたのだ。
父の仕事を当然のように引き継ぎ、牧場の二代目としてなんとか経営を軌道に乗せることができたかなと思えたのは今から7~8年前だった。それまでは壮一も壮太も苦労の連続だった。
あれは今から15年くらい前だったろうか?
壮太の息子の宙(そら)が確かまだ入学前だったから5歳くらいのときだった。
当時、乳価が崩れ壮太の一家は食べるだけで精一杯だった。
宙には子どもらしいおもちゃの一つも与えられないほど苦しい生活だった。
それにもかかわらず宙は子牛たちと明るく戯れる毎日を送っていた。
そんな宙の様子を眺めながら、壮太はおもちゃの一つも買い与えられずいる宙を不憫に思って、庭の立ち木にロープをかけ、捨ててあった古タイヤを括り付け即製ブランコを作ってやった。
そのブランコはを壮太が思っていた以上に宙は喜び、毎日毎日飽きずにブランコに乗り続けた。
あれから15年…。
宙は逞しく成長し、今は帯広市近郊にある農業大学校で学んでいる。
来春には卒業の予定なのだが、「父の仕事を継いで牧場経営をやる」と農業大学校に進学したが、ここにきて彼が進路に悩んでいるという内容の手紙が壮太のもとに届いた。
大学校で学び、農業経営の厳しさを知りどうして良いのか迷っているという。
壮太は宙の悩みが良く分かった。自分の苦労を振り返ったときに「どうしても自分の後を継げ」とは強くは言えないのだ。
一方で、息子には自分の仕事を継いでほしいとの思いもあった。それは、壮太自身は自らが酪農家として生きてきたことに誇りを持っているからであった。
さらには、日本の食糧を支える農業こそがこれから到来が予想される食糧難の時代には重要視されてくるであろうとの思いもあったのだ。
しかし、壮太は結論は息子の宙に任せようと思っている。
壮太が父の仕事を継いだころは、子どもが親の仕事を継ぐのが当然という考えが主流だったが、今の世の中は自分の人生は自分自身で選択すべきだという考え方が主流になっているからだった。
もうすぐ農業大学校の夏休みが始まる。息子の宙も間もなく帰省するはずだ。
いったい彼はどんな答えをもって帰ってくるだろうか。
壮太は彼の答えを冷静に聴いてやるつもりだが、今は一抹の不安と微かな期待を抱く複雑な心境になっている。
ふーっ、と息をつきながら壮太はもう一服点けた。
壮太の頬を草原を渡る風が撫でていく…。
その風が少し強さを増したとき、木に括り付けていたタイヤのブランコが微かに揺れたような気がした…。