数多くの講演会に参加している私だが、いつも期待通りの話が聴けるわけではない。しかし、時には期待以上の話を聴ける場合もある。今回などは私にとって期待以上のお話が聴けた講演会だった。
11月28日(木)午後、北翔大北方学術情報センター「ポルト」(中央区南1西22)において北翔大学と北海道工業大学の連携企画による「超高齢社会に対応する北海道のまちづくり」と題する連続講演会が開催され参加した。
北翔大からは「地域の福祉力をどう高めるか」と題して尾形良子准教授が、工業大からは「豪雪による人身事故と超高齢社会における冬期の生活」と題して千葉准教授がそれぞれ講演した。

※ 北翔大北方学術情報センター「ポルト」の外観です。
私にとって興味深く、そして期待していた以上に有益な話が聴けたと思えたのは尾形氏の話だった。それは尾形氏が「かつての日本社会においては地縁・血縁による絆が強く太かったが、社会構造の変化によってそれが崩壊してしまっている今、人と人の繋がりを再構築しなければならない」と強調したところに私はいたく共鳴したのだ。
そして尾形氏は一つのキーワードを提示した。それは都市において適した人と人の繋がりとは、「緩やかなつながり」であるとした。それは都市に住む住民の特性に配慮した言葉なのだろうと私は思った。

※ 講演をする北翔大の尾形良子准教授です。光量がなく望遠のためクリアな写真とはなりませんでした。
3年前、私はマンション管理組合の理事を務めていたとき次のような文章を書いたことがある。
「マンションは数多くの戸数を有しながら、それぞれが独立性の高いプライバシーが保障された住居というのが魅力なのだと思います。しかし同じ建物内に住んでいるということでは、ある意味で私たちは運命共同体でもあると思います。
そこで、それぞれのプライバシー、独立性を最大限尊重しながらも、必要なコミュニケーションを図って快適なマンションライフを実現し、維持していきたいと思います。そのためにマンション内に「緩やかなコミュニティ(共同体意識)」が形成されていくことができればいいなぁ、と願っています。」と書いてマンション内に配布した。
この二つに共通する「緩やかな」とは、都市住民の大多数が田舎のような濃密な人間関係を忌避する傾向にあるが、しかしそれぞれが孤立状態にある現状から脱却するためには適度な距離感のある「緩やかな」というのが都市住民には受け入れやすいだろうという思いがそこにあるような気がする。事実、上の文章を書いた私はそうした思いを抱きながら書いたのだった。
このブログのおいて長々と書くことを私はヨシとしない。したがって強引に尾形氏がまとめたことを記して、結論を導くことにする。
尾形氏は主題に対して、地域の福祉力がアップすれば、人と人の繋がり(緩やかな)の再構築は可能であり、地域力にも好影響を与えると指摘した。その結果、地域が活性化するとした。
私が現在関わっている「近美を愛するブリリアの会」、「桑園交流ネットワーク」は両者共に人と人の繋がりを求めるものであり、その延長線上に地域の活性化があると信じて活動しているものである。こうした活動をさらに有益なものにするためにも、こうした類のお話をこれからも数多くお聞きしたいと思った。
尾形氏のお話は他の研究者の主張の受け売りがあったりしてまだまだ未整理であり、生煮え感のある話であったが、私自身が持つ課題にノックしてくれる魅力ある内容だった。
この課題に対して尾形氏自身の中でさらに整理されたお話をもう一度伺いたいと思う。
11月28日(木)午後、北翔大北方学術情報センター「ポルト」(中央区南1西22)において北翔大学と北海道工業大学の連携企画による「超高齢社会に対応する北海道のまちづくり」と題する連続講演会が開催され参加した。
北翔大からは「地域の福祉力をどう高めるか」と題して尾形良子准教授が、工業大からは「豪雪による人身事故と超高齢社会における冬期の生活」と題して千葉准教授がそれぞれ講演した。

※ 北翔大北方学術情報センター「ポルト」の外観です。
私にとって興味深く、そして期待していた以上に有益な話が聴けたと思えたのは尾形氏の話だった。それは尾形氏が「かつての日本社会においては地縁・血縁による絆が強く太かったが、社会構造の変化によってそれが崩壊してしまっている今、人と人の繋がりを再構築しなければならない」と強調したところに私はいたく共鳴したのだ。
そして尾形氏は一つのキーワードを提示した。それは都市において適した人と人の繋がりとは、「緩やかなつながり」であるとした。それは都市に住む住民の特性に配慮した言葉なのだろうと私は思った。

※ 講演をする北翔大の尾形良子准教授です。光量がなく望遠のためクリアな写真とはなりませんでした。
3年前、私はマンション管理組合の理事を務めていたとき次のような文章を書いたことがある。
「マンションは数多くの戸数を有しながら、それぞれが独立性の高いプライバシーが保障された住居というのが魅力なのだと思います。しかし同じ建物内に住んでいるということでは、ある意味で私たちは運命共同体でもあると思います。
そこで、それぞれのプライバシー、独立性を最大限尊重しながらも、必要なコミュニケーションを図って快適なマンションライフを実現し、維持していきたいと思います。そのためにマンション内に「緩やかなコミュニティ(共同体意識)」が形成されていくことができればいいなぁ、と願っています。」と書いてマンション内に配布した。
この二つに共通する「緩やかな」とは、都市住民の大多数が田舎のような濃密な人間関係を忌避する傾向にあるが、しかしそれぞれが孤立状態にある現状から脱却するためには適度な距離感のある「緩やかな」というのが都市住民には受け入れやすいだろうという思いがそこにあるような気がする。事実、上の文章を書いた私はそうした思いを抱きながら書いたのだった。
このブログのおいて長々と書くことを私はヨシとしない。したがって強引に尾形氏がまとめたことを記して、結論を導くことにする。
尾形氏は主題に対して、地域の福祉力がアップすれば、人と人の繋がり(緩やかな)の再構築は可能であり、地域力にも好影響を与えると指摘した。その結果、地域が活性化するとした。
私が現在関わっている「近美を愛するブリリアの会」、「桑園交流ネットワーク」は両者共に人と人の繋がりを求めるものであり、その延長線上に地域の活性化があると信じて活動しているものである。こうした活動をさらに有益なものにするためにも、こうした類のお話をこれからも数多くお聞きしたいと思った。
尾形氏のお話は他の研究者の主張の受け売りがあったりしてまだまだ未整理であり、生煮え感のある話であったが、私自身が持つ課題にノックしてくれる魅力ある内容だった。
この課題に対して尾形氏自身の中でさらに整理されたお話をもう一度伺いたいと思う。